第424話 朝霧に囚われた村
◇朝霧に囚われた村◇
「悲鳴が聞こえたと思ったら…新しく村に客が来たのか…。ふぅん…。これまた沢山来たもんだ…」
村人の一人が俺らに話しかけてくる。…確か昨日、鹿を捌いてくれていた女衆の一人だ。あの時は愛想の良い婦人ではあったが、今は愛想の一欠けらも無い。どうやら霧の向こうからやってきた者達は、ルミエの悲鳴を聞いてやってきたらしい。
彼ら彼女らもまた、写し身といえる存在があの村にて活動しているのだろう。昨夜の晩餐では上にも下にも置かない対応であったのに、ここにきていきなりの塩対応だ。もし村長に話を聞いていなかったら人間不信になっていたことだろう。
村長と同じような濁った眼差しでこちらを値踏みするように睨み、しばらくすると興味を失ったのか再び覚束ない足取りで歩き始める。当ても無く幽鬼のように歩んでいく様子はまるで夢遊病者のようで、村長の言っていたように、意思の半分は夢の中に漂っているようにも思える。
「おい、…あんたも見た顔だな…。…なぁ、あんたらもこの村に囚われてるのか…?」
「…ああ…そんなものだ。この気味の悪い世界に閉じ込められ…抜け出すことも出来ない…。…どうせ、お前らもそうなるんだろう…?」
村長が気をつけろと言ったから警戒はしたが、どうやら襲ってくるつもりは無いらしい。俺はその場を後にしようとする者に話しかけて引き止めたが、彼は卑屈に笑いながらそう答えるとそのまま足を止めることなく、去っていってしまった。
「おい、ちょっと…」
「ハルト様…!待ってくださいまし!…不用意に言葉を掛けると、それが願いと取られるかもしれません!」
引きとめようとする俺を、更にメルルが引き止める。俺はメルルの言う言葉を聞いて、確かにその通りだと冷や汗を流す。その様子を引きとめようとしていた男が面白そうに眺めている。
「…なんだ。騙されなかったか…と、言いたいところだが…、魔女への願いはそんな揚げ足取りのようなものじゃないさ…。…まぁ、精々足掻いてみろよ」
「…それが嘘じゃないことを信じるよ」
男はそんな言葉を捨て台詞に残して去ってゆく。正直に言えば、もっと話を聞いて情報を集めたいところだが、メルルの言ったように何が願いと取られるか分からないため、安易な考えで話しかけることが躊躇われる。揚げ足取りのようなことをしないと言った言葉も真実とは限らないのだ。
近場に誰も居なくなったことで、俺らは再び全員で向き直った。超常の現象に触れたことで、誰もが困惑したような顔を浮かべている。…村長の不気味な説得に悲鳴を上げたルミエも、恐慌には陥っていないようで、その点では安心だ。
「それで…、どうするつもりよ」
「どうするって言ってもなぁ…。大声でここから出せって言いながらデモ行進でもするか?どこかで魔女の耳に入るだろ」
冗談のつもりで言った言葉だが、有効な手段かもしれない。…もちろんそれは村長の言った言葉が真実であるという前提だが…。
「流石にそれは…、…最終手段だね。判断するには情報が少なすぎるよ。まずは足を使ってもう少し調べてみようか」
「でしたら…、本当に出られないか確かめてみませんか…?そんな簡単に解決するとは思えませんが…、当ても無く歩くよりは…」
タルテの言葉に全員が静かに頷く。魔法には起点が存在するため、そこから物理的に離れれば魔法の効果から逃れることが出来る。呪物や縁を用いて遠方に作用する呪術との大きな違いはそこだ。
俺らはルミエを中心に据えて、村の入り口へと足を進める。昨日通った道であるため、記憶に新しい風景が俺らの目に飛び込んでくる。
「…あれ。馬車がありませんね。お馬さんも居なくなっています。もしかして盗まれちゃったんでしょうか?」
「村長の言葉を信じるなら…、馬は魔女に見初められなかったってことじゃないか?」
村の入り口にある厩には馬の姿が無く、ルミエがそれを指摘する。姿がないと言うことは、馬は昨夜の村に未だに居るのだろうか…。あの馬も依頼の品であるため、ロストしていないことを願うしかない。
…むしろ、ここに居た方が厄介であったか…。村長の言うとおりなら、馬が魔女に開放されることを願うのを待つ必要があったはずだ。…馬と一緒に脱出することを願えば出してもらえるだろうか…。
厩の脇を通り過ぎて、村の入り口に向かう。昨日、メルニアが居たところを超えれば、街道が見えてくるはずなのだが、そこに至る前に途端に霧が濃くなる。
「…どうする?いきなり世界の暗がりに放り出されることは無いとは思うが…」
「平気じゃないかしら?何かしらの仕掛けはあるだろうけど…、悪意の気配は感じないわ」
「私も…危険性は感じませんね…。勘みたいなもので…当てになるかは分かりませんが…」
目の前の濃厚な霧の壁を前にして俺らは立ち止まる。…妖精の小路は振り向いたら世界の暗がりに連れて行かれるという意外にも悪辣なものだ。だからこそ、これ以上進むことを躊躇してしまうが、心配は要らないとイブキとタルテが宣言する。
悪意という感覚は分からないが、確かに二人の言うとおり、得体の知れない気配は感じない。…試しに風を吹かせて霧を吹き飛ばそうとしてみるが、即座に霧が充填されるのか霧の先を見通すことは出来ない。
ここで悩んでいても変わらない。俺らは互いに頷き合うと、手を繋ぎ霧の中へと足を踏み入れた。
「…一気に見えなくなったな。何かあるのは分かるが、それが何かかは分からないな…」
「私もそんな感じね。…この霧が何かを隠しているのかしら。むしろ、霧が犯人かもしれないけど…濃すぎて上手く判別が付かないわ。それこそ、今の視界と似たようなものね」
霧に塗りつぶされた視界は、どこを見ても白一色でそれが霧ということすら分からない。イブキの敏感な把握能力に期待したのだが、彼女にも周囲を取り巻くものが何かは判別が付かないようだ。
そして、道の終わりは唐突にやってくる。まるで強風が霧を吹き飛ばしたように、一気に視界が開けたのだ。踏み固められた道をひたすらに辿っていたつもりであったのだが、俺らの視界に飛び込んできたのは先ほどまで居た村の風景だ。
「おぉ…!戻ってきちゃってます…!」
「ま、ありがちな状況ですわね。いつの間にか元の位置に来てしまうと…」
…俺も薄々思っていたが、俺らはどこかで反転してしまったらしい。霧に惑わす効果があったのか、どこかで世界に境界があったのか…。朝霧に囚われた村は変わらずそこに佇んでいた。
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