第422話 朝のような世界
◇朝のような世界◇
「まずは状況を整理しましょう。…このまま待つことで解決するとは思いませんが、不用意に動くわけには行きませんわ」
深刻そうな表情でメルルが呟く。彼女の言うとおり、あまりに不可解な状況であるため安易に動くわけには行かない。特に今はルミエの護衛中でもあるのだ。連れ歩くにしろ、この小屋を拠点にして防衛するにしろ、とにかく情報が欲しい。
まず第一に、全員が寝入ってしまっていた。俺は直ぐに目を覚まさないほど深く寝入っていたし、女性陣は火を囲んだ状態で眠ってしまっていた。一服盛られた可能性もあるが、薬には無効といえるほどの耐性が俺にはあるし、ナナには無効程ではないが他の者より耐性があるため、同時に寝入ることには違和感が残る。
第二に、時間の経過…、あるいは周囲の環境がおかしい。朝霧が沸き、柔らかな光に包まれている村の風景は朝方の長閑な山間部の原風景ではあるが、まだ火の残る焚き火や砂を流す砂時計が時間の経過自体は短いことを教えてくれる。
…夜の間の記憶が全員無くなっている?だが、ルミエが外で寝ていたことの説明が付かない。全員が夢遊病のように無意識で行動して初期位置に戻ったとか…?あるいは俺らが寝ている間に誰かが焚き木を足して砂時計を返していた可能性もあるが、余りにも意味不明な行動だ。
「多分、その焚き火と砂時計は正常よ。…アンタも何か感じてるんじゃない?」
イブキが俺に向けて口を開く。その言葉を聞いて俺は思考を止めて周囲の索敵に集中する。
「…言われりゃ分かるって感じだ。あいにくと魔法的な要素を感知するのは苦手なほうでな。そこはイブキのほうが得意みたいだな」
同じ風魔法使いでも風には特徴が出る。それは風に感覚を乗せるハーフリングでも同じで、俺の風の索敵は物理寄りだが、イブキの風の索敵は魔法的な要素までも精密に知覚することができるようだ。
もちろん俺でも魔法的な要素は知覚できるが、何かあるのを感じる程度で、それが何かは上手く感じ取れない。…おそらく、生来の才能に加え、普段から魔弾を風で操っていることでその辺りが鍛えれられているのだろう。
「何かあるって…?どの辺りから感じるのですか…?」
「そこらじゅうよ。…それこそ、この霧もただの霧では無く何かしらの魔力を感じる…。朝が来たというより、…私にはこの朝のような世界に迷い込んだように感じるわ」
「…朝のような世界ね…。確かにそう言われると、前に迷い込んだ妖精の小路のような…どこか違和感のある気配を感じるよ」
イブキが手の平を宙に漂わせ、周囲を覆う朝霧を撫でるように風を弄ぶ。霧は周囲を見通せないほど濃いわけではないが、空を覆うほど一面に広がっている。まるで村が霧の中に閉じ込められているように見える。
ナナはこの状況を妖精の小路のようだと語ったが、それはある意味間違いじゃないのかもしれない。どこか世界の法則が捻じ曲がったような状況。それは妖精たちが作り出した小規模な
俺も周囲の状況を確認しようと周囲に風を広げるが、その霧に阻害されているのか風を広げるのに抵抗感を覚える。しかし、それでも広がった風により俺ら以外の存在を感じ取る。それはイブキも同じようで、俺とほぼ同時にそちらの方向に向き直った。
「誰か居るぞ。…第一村人発見ってとこか…」
口に出すと同時に戦闘準備のハンドサインを示す。緊迫した空気が俺らの間に満ち、しばらくの間を置いて、朝霧の中に人影が現れた。
「おや。おや。旅人さんかな。久しぶりの訪問者だ。…どうだい。私には会ったかな?」
「…村…長?」
「よ、よかったですね。知ってる方が居ましたよ」
朝霧の中から姿を現したのは村長だ。昨日の晩と同じ姿で、俺らに対してにこやかな笑みを向けている。…その変わらぬ姿に、俺らが単に寝入っただけで焚き火や砂時計は何かの勘違いかとも思ったが、どうにも違和感を拭うことができない。それは他の面々も同じようで、村長に向けて警戒心を解くことはない。唯一安心感を覚えたのは、その辺りの警戒心が低いルミエだけだ。
その警戒心を持った俺らに、村長は無警戒で近付いてくる。戦う人間ならそんな不用意なことをするはずは無いが、逆にその足取りが俺らには不気味に写る。村長は流石に俺らが警戒していることに気が付いたのか、数歩離れたところで足を止めた。
「村長。私に会ったとはどういうことでしょうか?それに、あなたは何かを知っているようですね」
「いや。いや。そう睨まないで下さいな。…私とあなた方は今が初対面。昨夜に私と会ったと言うのなら、それは夢の中の私のようなものですよ。同じ魂を宿しながらも、ある意味では別の存在…。私にはそちらの記憶は残っていないのです」
村長はそう語りながら、俺らの焚いていた焚き火の傍に腰を下ろす。そして、俺らにもそうするように促した。村長は俺らが警戒していることを気付いているようだが、それを無視するように振舞っている。
俺らは目線で相談すると、村長と距離を開けながらも焚き火の周りに移動した。どうやら村長は丁寧に説明をしてくれるようなので、それを拒否する理由は無い。
「恐らくは、村で眠ったらここで目が覚めたのでしょう?…ここは厳密にはあの村とは別の村。霧に囚われた者たちの村ですよ。…もうこの説明も何度目でしょうか…。あなた達のように人が来るたびに繰り返しておりますからな」
まるで村の子供達に昔話を語るように、淡々と村長は口を動かす。そこに感情の動く気配は無く、どこか植物のような静けさを纏っている。
「まどろっこしいわね。繰り返していると言うのなら、もっと分かりやすく説明してくれないかしら?」
「ちょ、ちょっとイブキちゃん…!?あ、あの…村長さん。霧に囚われたというのはどういうことなのでしょうか…?もしかして、私達も囚われていたり…?」
強気なイブキをナナが嗜めるが、疑問に思っているのはナナも同じようで下手に出つつも尋ねかけた。
「外から来たのなら聞いたことは無いかな?願いを叶えてくれる魔女の話を。…前に来た者は知っていたんだがの」
村長の口から魔女という単語が零れた。その言葉に、俺は野営地で聞いた魔女の話を思い出した。願いを叶えてくれる魔女。森で迷った者の前に現れ、何でも一つ願いを叶えてくれる。しかし、その願いは森の外に出るために使わなければならない。そうしないと、迷い人は何時まで経っても森から抜け出すことが出来ないのだから…。
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