第419話 峠の森の長閑な村

◇峠の森の長閑な村◇


「おお。大分昇ってきましたね。こういった光景はブルフルスじゃ見れないので新鮮です」


 峠道の頂上付近。つづら坂を昇りきった場所にてルミエが感嘆の言葉を零す。以前に彼女が王都に向かった際にも通った道らしいが、山の上から下界を望むような光景は、平地と河に囲まれたブルフルスでは見ることのできない風景であるため、物珍しそうな眼差しで見渡している。


 大分昇ったと言っても、ネルカトル領で育った俺からしてみれば大した高さではない。山岳地帯の多いあの地と比べれば、今いる場所は山というより森という印象が強い。しかし、その深い森自体も、ルミエにとっては馴染みの無いものであるため、随分と楽しげだ。


「ハルト。この先は大丈夫?何かあるとすればあの辺りだよ」


「問題ない。今のところ聞こえるのは木々のざわめきと動物の活動音くらいだ」


 ナナが前方の湾曲した道を指差して訊ねる。馬が疲弊する坂を上りきった地点で、曲がっているために見通しも悪い。そして湾曲した道の内側は小規模ながらも崖の壁面となっているため、そこに陣取れば場所的有利を取ることができる。加えて、坂道を登ってくる者を遠方から確認できるため準備する時間も十分に確保できる。要するに強盗をするのに適した道なのだ。


 しかし、俺が風で確認する限り、そういった者が潜んでいる様子は無い。念のためイブキにも視線を向けるが彼女も首を静かに横に振った。事前情報でも最近山賊が出没するという情報は無かったため、今は安全なのだろう。


 もちろん油断するわけではないが、安全性が高いということもあり、俺らは速度を落とさずに馬車を通過させる。ここまでの道のりもそうであったが、軍が最近通過することもあってかなり安全に通行することができている。


「ルミエさん…!これは不眠症に効くキノコですよ…!森の暗がりに生えるものなので…見たこと無いのでは…?」


「これは…刺青の茸ですか?乾燥したものは見たことありますが、生を見るのは初めてです!」


 シティガールであるルミエにタルテが山野の薬草類を紹介しながら先へと進む。治療師には回復魔法だけでなく、こういった薬草類の知識も欠かせないため、ルミエはまじめな表情でタルテの解説を聞いている。


 峠道という比較的危険度の高い道ではあるが、和やかな空気で先へと進んで行く。傍から見れば、無警戒で進んでいるように見えるが、実際は俺とイブキという二人の風魔法使いが索敵しているため、それを掻い潜って近づける者など、早々居ないはずだ。


「んん?…人がいる?何か少し妙な気配だが…」


 そんな風の索敵に人の姿を捉える。俺が一言その言葉を吐いただけで、即座に今までの雰囲気が嘘のように空気が張り詰める。…少しばかり妙な感覚を覚えたため、イブキに目線で訊ねれば、彼女も肯定するように頷いて見せた。


「私も感じてるわ。…ただ、戦う人間じゃないみたいね。警戒は必要だろうけど」


「…念のため馬車を直ぐに止められる速度に落とそうか。単なる通行人だといいんだけれど」


 緊張感を孕みながら、馬車を先へと進める。ルミエも不安そうに道の先を眺めているが、その先に見えてきた光景に安心したように息を吐いた。それは他の面々も同じで、ゆっくりと武器から手を離した。


 道の先に見えてきたのは街道の脇へと伸びる分岐道。整備された街道とは違い、踏み固められることで形成された田舎道が森の中へと伸びており、その道の先にまだ幼い少女が佇むようにしてこちらを見ていたのだ。こちらが見ていることに気が付いたのか、少女は慌てたように踵を返して道の向こうに消えてゆく。


 その少女はまさしく村娘といった出で立ちで、彼女が消えてった先には木々の陰に隠れて分かりにくいが複数の建物が並んでいる。風で木々の向こうを確認してみれば、なんてことは無い。農村がそこに広がっていただけだ。


「あそこが峠を越えた先にあるって村か。…予定よりも随分早く着いたな」


「ふふふ。軍馬のお陰で毎回予定が狂っちゃうね。どうする?まだ日が落ちるまで時間があるけど、先へ急ぐ?」


 警戒が解けると同時に、俺は懐から地図を取り出す。縮尺も地形も大雑把な落書きのような地図だが、街道を進むにあたって必要な村や野営地とその間の移動に掛かる時間が書き込まれているのだ。


 本来ならばこの村にて一泊する予定であったのだが、予定よりも随分と早く着いてしまった。だからこそ、予定を繰り上げて更に先に進もうかとも思ったんだが、地図に書かれた情報によると、それは少しばかり厳しいように思えた。


「行けなくは無いが…、もし遅れれば森の中で夜を迎えるな。森の中じゃ暗くなるのも早いだろうし…、無理して進むのは危険だな」


「それじゃ、今日はこの村の軒先を貸してもらいましょう。いつも通り、村長には私が掛け合いましょうか?」


 悲しい事実だが、俺が村長に軒先を借りることを交渉するよりも、メルルが交渉したほうが成功率やサービスが良いのだ。それにメルルは観察眼にも優れているため、所謂盗賊村なども簡単に見抜いてしまう。こんな街道脇にある村が盗賊村であることなどは滅多に無いが、より良い休息のために村長には鼻の下を伸ばしてもらおう。


 俺は馬の手綱を操って、脇道へと方向を変える。先ほどまで少女が立っていた場所にたどり着くと、木々に隠れていた農村の全貌が俺らの目に入ってきた。柔らかな印象を受ける木製の家々が点々と並び、まさに長閑という言葉を形にしたような小さな村だ。家々の脇には清流の流れる細い水路が走っており、村人が野菜や衣類をそこで洗っている。


 見慣れぬ俺らの姿に警戒するような者もいるが、やはり街道脇の村では訪ねる者も多いようで、声を掛ける前に遠巻きながら奥の村長邸を指し示してくれた。俺らが一夜の宿を求めてやってきたのだと直ぐにわかったのだろう。


「それじゃ、許可を取ってきますね。ナナも同行してくださいな。…ルミエ?どうかしましたか?」


「い、いえ。何でもありません」


 メルルが馬車を降りて村長の下へ向かおうとしたが、唐突にルミエの様子を気にしたように尋ねかけた。何かあったのかと俺もルミエの方を確認したが、彼女は軽く首を傾げただけで、すぐさま元の調子を取り戻した。


 森に囲まれたような村には初めて立ち寄ったため、この光景すらも珍しいのだろう。俺はそんな彼女の様子を楽しみながら、ゆっくりと馬車を停車させた。


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