第413話 逃げ出した。そして回り込んだ
◇逃げ出した。そして回り込んだ◇
「なっ…!?なぜそいつがその魔法を使える!?…聖女はっ…二人居たのか!?」
夜の闇を駆逐するほどの光に、勇者は驚愕の言葉を零す。眩しいほどの明るさなのに、春の陽だまりのように柔らかい光が、ハルトとタルテを中心に輝いている。どこか神聖な光景に、誰もが釘付けになり見つめていた。
そして、熱が冷めるかのようにゆっくりと光が収束する。そこには傷が完全に消え去ったハルトが横たわっており、ゆっくりと瞳が開かれた。
「おい…。ちょっとこれ…どうなってんだ?」
最初に声を漏らしたのは治療されたハルトだ。だが、その声は治療に対する礼の言葉や、完治を知らせる言葉ではなく、自身の状況に対する疑問の言葉であった。
ハルトの口から言葉が零れると同時に、ヒュルリと風が渦巻く。彼が手を動かすたびに、起き上がるのに合わせて、顔を持ち上げただけで、風が産まれ吹き荒れる。
魔法を行使した素振りも無いのに、ハルトの僅かな動きに応えるように風が彼に傅く。水面は揺れて帆は暴れ、周囲一帯を覆いつくすように吹き荒れる。その風は勇者の元にまで届き、勇者は警戒するように一歩後ろに下がった。
「ハルト…!?大丈夫…!?」
「身体は…問題ないですか…?全部治療できたと思いますが…」
「大丈夫どころの状態じゃないな…。ちょ、ちょっと離れていてくれ…!」
ナナとタルテがハルトを心配して近付こうとするが、それをハルトが止める。その声にすら反応するかのように、二人の周りを柔らかな風が包み込んで距離をとるように誘う。ナナとタルテと十分な距離が開いたことを確認すると、ハルトは勇者を一瞥した後に、夜空に顔を向けた。
「ちょっ…ちょっと…!?」
「悪い!少し待っててくれ!」
ナナの言葉を振り切るように、ハルトは風を纏う。そして、目を開けていられないほどの強烈な風が吹き荒れ、それが収まった頃にはハルトの姿が忽然と消えていた。
風が収まったことにより、荒れていた水面やはためいていた帆の動きが止まり、反動のように辺りは静寂に包まれる。その静寂を確かめるように勇者は周囲に目を這わせるが、何処にもハルトの姿は無い。その様子を噛み締めるように、次第に勇者の顔から笑みが滲み出してくる。
「はは、はははは。嘘でしょ?…もしかして…逃げ出したの!?…
静寂を打ち破るように目元を手で押さえた勇者の高笑いが響く。確かにハルトの姿は何処にもない。傍から見れば治ったとたんに逃げ出したように見えるだろう。しかし、彼女達はそんなことを僅かにも思っていない。彼女達は勇者の声を無視するように小声で話し合っている。
「残念だったね!彼をまた戦わせるつもりだったんでしょ!?いや、僕もこんなに情けない逃げ様は初めてだよ!せっかく治療してあげたのにまさか逃げ出すとは!」
上機嫌に笑う勇者がナナ達に声を掛ける。彼女達からは冷ややかな視線が勇者に注がれるが、それが悔しさからくるものだと勇者は判断し、より気分をよくしている。
「あー笑った笑った。まさかこんな形で僕の腹筋に攻撃してくるとは…!これは流石に
目元に沸いた涙を指先で拭いながら、ようやく勇者の笑い声が納まる。
「耳障りな笑い声ね。なにがそんなに面白いのかしら…」
「何って、これが笑わないでいられる?あんな魔法を使われて尻尾を巻いて逃げ出したんだよ?やっぱり聖女は僕にこそ相応しいんだ」
「…春風の一族が逃げるわけ無いでしょ?冷たい滅びの終わりを…、巨人の炎を携えて各地に春を告げた一族なのよ?海賊上がりの紛い物勇者なんて相手にすらならないわ」
同じハーフリングとして、ハルトが笑われるのが許せないのか、イブキが冷たい声で勇者に言葉を投げかける。そして、その言葉を後押しするかのように勇者の握る
「はぁ…!?なんで
勇者の握る
「んん…?…レグルスが…二つ?」
いったい何が起きたのかと空を睨む勇者の目に、春の夜空を彩る獅子座が写る。しかし、そこには本来あるべき星よりも何故か数が一つ多い。
「あら。あの星がレグルスなのね。…意外と博識じゃない」
「…これでも船乗りだぞ。星の配置ぐらい一目で分かる…」
先ほどとは対照的に、今度はイブキが楽しげに勇者に声を掛ける。勇者は返事を返すものの、不可思議な挙動を示す
だが、
「なんだ…?何が起きている…?まさか…!?星辰が崩れたというのか!?馬鹿な…。星が増えるだなんて…、そんなことあるわけが…!?」
「…それにしても…随分と都合が良いというか…運命的というか…。知ってるかしら?レグルスって星の由来を」
慌てる勇者をよそに、静かなイブキの声が響く。イブキは別に星に詳しいわけではない。ただ、その星が自分達の種族に関係していたから知っていたに過ぎない。
「レグルスはね。古い言葉で小さな王って意味なのよ。春の空に上る彼の星よ」
星の導きを示し、星の加護を受ける剣と盾が、赤く明滅する。そして、それに導かれたかのように遥かな星空から彗星の如き星が迫っていた。
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