第412話 しんでしまうとは、なにごとだ!
◇しんでしまうとは、なにごとだ!◇
「…ぁあ?…ごりゃ…、だしかに…終わり…だ…」
ゴボリと湿気を孕んだ音と共に、ポルックスは口から血を吐き出す。そしてその血が足元へと流れ落ちると、それに連れ添うように、僅かに残っていた水の膜も同時に落下して彼の足元で混ざり合う。
ナナの放った赤い閃光は、その過程にあった全てを燃焼、蒸発させながらポルックスに迫り、彼の右胸に大穴を開けたのだ。ポルックスは自分の胸に視線を落とし、黒く焦げた肉と開いた大穴を確認すると、糸が切れたかのように崩れ落ちる。そして熱量に当てられて溶解した氷の足場と共に、船外に向けて崩れ落ちていった。
「……。…よし!どこも燃えていないね!」
貫いたポルックスが崩れ落ちると同時に、ナナは残心を止めて即座に船の様子を確認する。余波の熱で甲板は湯気を立ち上らせて入るが、直進性の高い魔法であったこともあり、どこも燃えてはいない。
しっかりと形を残す船の様子を確認して、ナナは満足そうに言葉を放つ。むしろ、程よく氷も解けて、元の姿に戻ったと言えるだろう。
しかし、ナナが上手くいったと喜んでいると、勇者の船の方から大きな破砕音が鳴り響く。何が起きたのかと即座にそちらにナナは振り向いた。
「…ぇえ!?」
「…!?ナナさん…!?危ないです…!」
破砕音が鳴って直ぐにタルテから叫び声にも似た声がナナに掛けられる。その声に誘われたからか、あるいは既に反射的に行動を開始していたか、ナナはタルテの待つ所へ向けて即座に飛び退いた。
勇者の船の破砕した箇所からは、何かが赤い光を伴って一直線に向かってくる。それはけたたましい音を立てながら、ナナの立っていた場所へと着弾した。
「ちょっと…!?こんどは何なの!?」
着弾した衝撃で、ナナが無傷だと喜んでいた甲板は大きく凹むように割れ、細かな木片が宙を舞う。その轟音と、衝撃で大きく揺れた船に、イブキが悲鳴にも似た声を上げた。
「…!?ハルト!?」
飛び退いたナナは、即座に反転して着弾した何かへと駆け寄る。彼女にはその着弾したものが何であったか見えていたのだ。
「ああ…。くそ…。みんなは無事か…?…ちょっと…止め切れなかった…」
普段の彼らしくない弱々しい声。それが決して気分から来るものではないことが、ナナの目には一目で分かった。彼の腹は血で赤黒く汚れ、その中心に不気味な光を放つ剣が突き立っていたからだ。
「喋っちゃダメ!直ぐタルテちゃんに…」
「…めちゃくちゃいてぇ…。…俺の下半身…付いてる?」
下半身は付いているが、腹がミンチになってしまっている。致命傷といえる傷に、ナナは焦ったようにタルテを呼ぼうとするが、その瞬間に突き立っていた剣が動き始める。下手に剣を抜いてしまえば、傷が開いて大量出血してしまうため、ナナは直ぐに剣を押さえつけようと手を伸ばすが、それよりも早く剣はナナの手をすり抜けて勇者の方へと戻ってゆく。
それでも、ナナは剣の抜けた傷を手で押さえて止血する。死に瀕したハルトの命を、なんとか引き止めようと縋るようにハルトの身体に取り付いた。
「あれ?全てを貫く威力で放ったんだけれど…、船もまだ残っているし…、それどころかソイツも原型を留めているの?…もしかして、金属でできてたりするのかな?」
「…勇者…」
戻っていった剣は、破砕した穴の縁に姿を現した勇者の手に収まる。そして、勇者は船の様子を眺めながら、興味深げに彼女達に向けて声を掛けた。
「おおっと。聖女は彼に近づかないでね。…せっかく君らを盾に鼠を仕留めたのに、回復されちゃ堪らないよ。…でも、まぁ…、見事に君らと船を守ってみせたとなると、少し悔しい気分になるね」
勇者は剣の先を船倉の扉へ向けて、牽制するように言葉を放つ。そこには、ハルトが着弾した衝撃で歪んでしまった扉からルミエが顔を覗かせていた。彼女は血に塗れたハルトの様子を目にして、血の気が引いたように顔を青くしている。
「そ、そんな…。せめて…応急処置だけでも…!」
「流石に応急処置程度じゃ死ぬでしょ。…救うには特級回復魔法を使うしかないだろうけど…、そしたら完全回復だ。それを僕が許すと思う?…第一、特級回復魔法は勇者の僕に相応しい魔法さ」
治療することを止められたルミエは堪らず声を上げるが、それを勇者は一蹴する。敵である勇者が治療させることを許すことは無いのは当たり前ではあるが、その言葉にルミエは悔しそうに顔を俯けた。
「…それとも、治療させたら素直に付いてきてくれるかな?…まだ残っている傭兵も居るみたいだし、全て倒すのは面倒だからね…」
「…私が。…私があなたに協力すれば、…治療させて貰えるのですね?」
「何を言いますの。…その必要はありませんわよ」
勇者の提案にルミエが顔を上げる。しかし、それを咎めるようにメルルがルミエの前に立って勇者からの視線を遮った。
「で、でも…このままじゃハルトさんが…」
「あれ?もしかして彼とは同じ傭兵チームって訳じゃないの?あははは。臨時の仲間とは言え、見捨てられるなんて可愛そうだねぇ」
メルルの反応に勇者は愉快そうに笑う。だが、メルルはその様子を微笑ましそうに眺めるだけで、焦る様子は無い。なぜなら、勇者がルミエに注目している間に既にタルテがハルトの元に駆けつけているのだ。
タルテのことを単なる聖女の身代わりだから光魔法が使えないと思っているのだろうか。あるいは致命傷のハルトはルミエの使う特級回復魔法でないと救えないと考えているのか。ある意味では勇者の考えは正しい。回転する剣で腹を抉られたハルトは多少の回復魔法では助けることはできない程の深手だ。
しかし、多少の回復魔法でなければ助けることができる。それを証明するように、タルテの手の平に柔らかな光が灯った。
「物語は終わらない…。剣が折れても…倒れても…、龍にだって挑んでゆく…。勇ましきその姿は…!光となって舞い戻る…!
タルテの手から光が溢れる。それは血に塗れたハルトに降り注ぎ、宿るように集まってゆく。
かつて、龍に挑んだ勇者はその血を浴びて不死となった。それは龍に挑んだ報酬であり、龍からの餞別でもあった。死ぬには惜しい強き者と、自分に並ぶ勇ましき者と、共に生きるための願いの魔法。
幻想の時代よりは霞むものの、その魔法に宿る神秘は世界のあり方すら歪めてしまう。龍の傲慢は死することすら許さない。それが、大切な者であれば尚の事。
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