第411話 その者青き衣を纏いて
◇その者青き衣を纏いて◇
「なにそれ…?…天使のキトン?ま、まあ…人の趣味はそれぞれだし…、…その…似合ってる…よ?」
ナナが笑うのを我慢しながらも、申し訳なさそうに呟く。ポルックスの集めた水は、布のように折り重なりながら、彼の身体に纏わり付く。その姿はナナの評したように宛ら天使のキトンや天女の羽衣のようではあるが、それを纏うポルックスが熊のような図体の男であるため、違和感が拭えない。…見ようによっては弁慶の着る僧兵の服のようにも見えるが、生憎と相対するナナには弁慶の知識は無い
ナナの言葉に厳つい顔を返しながらポルックスは再び剣を構える。彼の纏う水の膜が、空間を侵食するかのように宙を漂い浮遊し、船上の風に揺れた。
「…似合って無いのは知っている。だがな、結構便利なんだよ。…幾ら斬っても血濡れにならないからな」
「なるほどね。ついでにシャワーも浴びれるって感じかな?…その割には随分と薄汚い格好だけれども。…それで水を浴びてるからって洗濯をサボってない?」
距離を詰めてくるポルックスを牽制するようにナナが剣を振るう。それはポルックスごと叩き斬るほどの鋭さがある剣筋ではあったが、彼の周囲で揺れている水の膜がそれを阻む。
剣に触れた水の膜はその勢いを殺すように纏わり付き、ついにはナナの波刃剣を押し留める。まるで砂の山を斬り付けたような重い手応えに、思わずナナは顔を顰める。
先ほどやった様に水を蒸発させてみても、爆ぜる水により剣筋が曲がり、更には残りの水の膜がポルックスを守るように漂っているために衝撃すら届いていない。
「なるほどね。柔いように見えて、随分と厳重な守りじゃないか。柔よく剛を制すって奴かな」
「どうする?氷魔法使いと交代するか?…余りにもお前の剣とは相性が悪いぞ」
チラリとポルックスはナナの背後にいるタルテ達へと目を向ける。奴の魔剣により制御されている水を凍結させるのは簡単なことではないが、不可能という訳ではない。この状態で凍らされれば氷像となってしまうため、警戒しているのだろう。
しかし、凍結させることのできるメルルは既に魔法を使える状態ではない。だからこそ、目の前の男はナナが対処する必要があるのだが、複数の水の膜がナナの炎を阻む。たとえ多少の水を蒸発させたところで、船の外の河から即座に水が補充される。打ち破るのなら、全てを水を一気に蒸発させるほどの火力が必要なのだが…。
…チラリと、ナナは足元の船へと目線を下ろす。彼女の本気の炎に炙られれば、木で出来た船は容易く燃え上がることだろう。これならばハルトのように勇者の船に乗り込んで迎撃するべきであったか…。
「大丈夫かな…。燃えちゃっても直ぐ消火すれば…」
「なるほど。…船の心配をしているのか。随分と火力の出る魔剣らしい…」
ナナの考える余裕を潰すように、ポルックスが過激にナナを攻め立てる。剣が交わるたびに小規模な爆轟が発声し、剣戟とは思えぬ音が船の上でこだまする。
数手、数十手。重なる剣戟は止む様子が無い。ポルックスも船が炎上するためにナナが大規模な炎を使えないことには気付いているようだが、捨て身を覚悟で攻めてくることを警戒しているようだ。考える余裕を潰すだけではなく、大技を放つ隙を与えることなく、このまま押し切るつもりらしい。
「ナナさん…!援護しますか…!」
「大丈夫!これぐらい何とも無いよ!!」
背後から心配するようなタルテの声を受けて、ナナは気合を入れるように足に力を込める。二本の水の刃と漂う幾重もの水の膜の防壁で、押し切るように詰めてくるポルックスをナナは逆に押し返そうと苛烈に剣を振るう。
なんてことはない。水の魔剣で彩っているが、やっていることは重装歩兵と変わらない。引くことを知らぬ騎士剣術には、それを押し留める型だって存在する。
力と力のぶつかり合いに、船が軋む音を上げながら揺れる。そして、拮抗する間合いが激しく競り合いながらも、二人の距離が一歩、また一歩と近づいてゆく。
最初に動きを変えたのはポルックスだ。鬩ぎ合いに焦れたのか、あるいは間近に迫った死に恐れたのか、脇に一歩逸れたのだ。そして、ナナはそれを見逃さず的確に反応した。
逸れたことで僅かに防御寄りとなったポルックスの剣戟をすり抜けて、傍らにあった氷柱を斬りつける。溶断された氷柱は、試し切りの巻き藁のように一拍置いてから倒れ始める。
「ふん。…小賢しい」
氷柱の落下先に居たのはポルックスだ。たとえ水の防御膜を纏っていても、重量物による圧殺は免れない。しかし、余りにも分かりやすい攻撃にポルックスは余裕を持って対応する。水の膜が落下する氷柱に触れると、彼が軽くその場で跳ねただけで、押し出されるように移動してみせたのだ。
「…ふうん。意外に素早いんだね。…でも、これで終わりだよ」
滑るような移動にナナは感嘆してみせるが、もとより落下物による圧殺は本当の目的ではない。本当の目的はポルックスをその場から退かせること。今奴が足場にしているのは、メルルの作り出した氷に覆われている。その氷が船をナナの炎から守ってくれるはずだ。
「持ち手すら焼く炎熱の槍。その似姿。矛の利となること、物に於おいて陥さざる無なきなり。…
剣を水平に掲げ、そこに炎が灯る。そして次の瞬間には空間に赤い軌跡を描きながら、凝縮された炎熱の突きが放たれた。
間に倒れこんだ氷柱が横たわっていたため、ポルックスも攻撃が飛んでくると予想していなかったのだろう。慌てて水の膜を厚くするように身体に纏う。しかし、まるでレーザーのような炎熱の突きは、氷柱も、厚い水の膜も容易く蒸発させながら留まることなく突き進んだ。
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