第407話 勇者とハルトと、少し前の彼女達の話

◇勇者とハルトと、少し前の彼女達の話◇


九曜ナヴァグラハより至る宿曜の導きよ。星辰束ね力とせよ。帰命したてまつるオン甘露尊よアミリテイ祓いたまえウン浄めたまえハッタ


 勇者は眼前に剣を掲げ、誓いを立てるように呪文を紡いだ。祭具のようと評した剣と盾だが、儀式を執り行うその様子は間違いではなかったことを示してくれる。剣と盾に宿っていた赤い光がオーラのように揺らめき、勇者の体にまで伝播する。


 笑みを絶やさなかった勇者が、酷く冷酷な顔で俺に向き直る。その動きは歴戦の猛者のように鋭さがあり、より一層洗練されたようにも思える。…勝負中に強くなっていくのも、勇者に必要な段取りだというのだろうか。


「…ッ!?浮遊剣ッ!リーチもガン無視かよ!」


「これも避けるか。本当に逃げるのは上手だね」


 念動力サイコキネシスか、あるいは見えざる手に掴まれたように、吉兆示す破邪の剣アガスティヤは勇者の手を離れ、遠隔で俺に斬撃を叩き込む。俺は待機させていた圧縮空気を炸裂させることで、かろうじてその剣身から逃れることができた。


 …どこかの浮遊剣使いを見たことが無ければ、今の攻撃も避けきることができなかったであろう。


「おおっと?…今のは風魔法かな?もしかして見えなければ凶兆阻む加護の盾シャニラーフが反応しないとでも?」


「道具頼りが何を得意気に…ッ!」


 牽制として風球を放つが、忌々しい盾が的確にそれを防ぐ。勇者は目に見えぬ風魔法には気が付いてはいなかったのだが、盾にはどうにもお見通しだったらしい。


 そして、簡単に防がれてしまったために、勇者の攻撃の手を緩めることもできなかった。勇者が投げるように吉兆示す破邪の剣アガスティヤを放れば、その手の延長線上を辿る様に剣は宙をなぞり、そして再び奴の手に収まる。


 先ほどまでは間合いの縁を舞うように戦っていたが、ここに来て勇者が間合いというものを無視し始めた。左右から弧を描いて迫る剣を、俺は二転三転してかわしていく。隙を見て一気に距離を詰めて切りつけもするが、案の定凶兆阻む加護の盾シャニラーフが俺を阻み、勇者に届くことは無い。


 …どうするべきだ。剣の舞で船上の全てを巻き込むほどの風魔法を構築するか…?いや…勇者の不思議な踊りではないが、剣の舞は踊る様に舞うその所作に意味があり、それによって魔法を構築する。往なすことが不可能な攻撃相手では、その所作が崩されてしまうだろう。


「おや?とうとうネタ切れかな?…何か対策を考えているようだけれども…僕がそんなことを悠長に待つとでも?」


 勇者がそう語ると、奴の手元で宙に浮いた剣がドリルのように回転しはじめる。その剣は巻き上げるように赤い光を吸収していき、異様な雰囲気を孕み始めた。恐らくは奴が最初に俺に見せたように剣を射出するような攻撃だろう。それこそ、まるでエイヴェリーさんの浮遊剣を髣髴とさせる。


「そんな見え見えの攻撃が当たるかよ。道具頼りは戦闘の組み立てが下手らしいな」


「…ふふふ。いいのかな?この攻撃は君のお仲間にも届くよ?」


「…!?おま!目的の聖女が乗ってるんだぞ!」


「大丈夫。星の導きが彼女の身は守ってくれるさ」


 ナナ達の乗る船は確かに勇者と俺を繋ぐ延長線上にある。しかし、この船のほうが大型で高さもあるため、その間には船自体が障害物として存在する。…だが、勇者の攻撃は簡単に甲板を貫くほどの威力もある。


 俺がどうするべきかと逡巡した瞬間、考える時間を与えぬためにか即座に勇者の剣が放たれた。


「…クソがッ!?」


 俺は山刀を胸の前で交差させ、赤い直線を描きながら迫る勇者の剣を受け止めた。回転する刃と俺の山刀が接触して、眩しいほどの火花を上げる。何とか逸らすことが出来ないかと力をこめるが、吉兆示す破邪の剣アガスティヤは俺を巻き込むようにして甲板をぶち抜いた。



「…ヒット。これでバリスタの攻撃は収まりそうね」


 呟くような小さな声で、魔弩を構えたイブキが呟く。魔弩は敵ではなく夜空に向けられているのだが、空中で不自然に曲がった弾が船の中で目的の者を打ち抜いたのだろう。


 この船を引き寄せていた鎖は既にタルテが切断しており、他に迫っていたバリスタの弾もナナとメルルが打ち落としているため、これ以上船が引き寄せられる心配も無い。敵の船に乗り込んだハルトの身が心配だが、今なら敵の船から離れ逃げおおせることも可能だろう。


「ナナ…。どうしますか…?ハルト様はまだ戻りませんが…」


「…先に進もうか。今なら向こうの軍隊も混乱してるし、安全に逃げ切れるはずだよ。…ハルトは、こっちが離れたらそれを察知して戻ってくるでしょ」


 多少は心配するそぶりも見せるが、ナナもメルルもそこまで深刻な気配は無い。お腹が空けば帰ってくる。そんな飼い犬や飼い猫のような気軽さでナナはハルトの帰還を確信している。


 それよりも優先されるのはルミエの身の安全だ。向こうが逃げ道を塞いだからこそ受けてたったが、船団が半壊した今となっては、船の隙間を縫って突破することも可能だ。であれば無理して戦闘をする必要も無いはずだ。


 それに喫水線よりは上だといってもバリスタのせいで船に穴が開いているため、あまりのんびりともしていられない。タルテが土魔法で応急処置を施しているだろうが、完全に元通りになったわけではないはずだ。


「では進ませますわよ。落ちないように注意してくださいまし」


 メルルが水魔法で船を推し進める。地下港では水魔法を使っての初めての操船であったため、ぎこちなかったが、慣れてきたのか体感できるほどに船が加速する。


 そして船は小さな波を上げ、勇者の船を回り込むように進み始める。しかし、それもほんの僅かな距離であり、船はなぜか唐突に停止することになった。


「きゃっ…!?」


「…?メルル。どうしたの?急に止まったけど」


 急停止した船にたたらを踏んだルミエが小さな悲鳴を上げ、ナナは顔を険しくしてメルルに尋ねかける。止まり方が少々不自然であったため、イブキは風で即座に周囲を確認するが、船を繋ぎとめる鎖などは見当たらない。


「ま、待ってください。何か…水の中に…座礁…?いえ…これは…。…!?皆さん!水の中から何か来ますわ!」


 目を瞑り、探るように水魔法を行使していたメルルが唐突に声を張り上げる。そして、その声に応えるようにサンリヴィル河の水面から何かが飛び出した。


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