第401話 灯篭流しは沈めるために

◇灯篭流しは沈めるために◇


「それじゃ、切り開こうか。俺らの逃走経路を…」


 逃走経路は真正面。敵の中央を食い破りながらここを突破する。闘争経路と言い換えても良いだろう。こちらに向けて迫る船団を睥睨しながら俺は船の先頭に立つ。そして、その後ろにナナとメルルが並ぶように続いた。タルテはルミエを守るように立ちふさがり、イブキは…視界では捉えられないが、物陰で魔弩を静かに構えていることを風で感じ取ることができる。


 俺の声を合図にするようにナナの手元に炎が灯った。掌に収まるような小さな灯火でありながら、そこには格別の熱量が秘められている。その熱を背中に浴びながら、俺は風の導きを構築していく。手元から伸びる風の道に、ナナは掌の上の灯火を流し込んだ。


「まずは敵の足並みを乱すね。火に炙られれば敵も素面じゃいられないでしょ」


 ナナの手元から放たれた炎は、星空に向けて尾を引きながら飛び立っていく。そしてそれが天上に至ると、まるで分身するかのようにその炎が増殖した。


 神話の都市を焼いたと言われる炎の驟雨。それが街を攻め落とそうとする軍船の群れに向かって降り注いだ。


「…!?魔法攻撃!?防御体制をとれ…!!」


 ナナの派手な魔法に炎に焼かれる前だというのに船上が騒がしくなる。魔法使いがいるのか、魔道具の類があるのか、炎を防ぐべく船に風の膜が張られる。しかし、俺の風魔法がその膜を貫くようにして抜け道を作り上げた。


 軍船の甲板の上に一気に火の手が広がる。星明りと僅かな篝火しかなかった周囲が、その炎の灯りにより照らし出されることとなる。船とそれに乗る俺ら、そして水面とブルフルスの城壁が橙色の化粧をして闇の中に浮かび上がった。


「あら、ナナにしては随分と嫌らしいことをしますわね。初手に向こうの真っ先に嫌がることですか」


「ああ。ここまで明るく照らせば、流石に街にいる誰かしらも気付くだろう。これで向こうも秘密裏に侵入するという思惑は早々に崩れたって訳だ」


 上空に向かったナナの炎は、城壁を超えてブルフルスの街からも目撃することができたはずだ。それに今なお空を染め上げる炎の灯りは、ここで何かが起きていると周知することとなる。流石にすぐに兵士が駆けつけてくることは無いだろうが、それでも無防備なところに辺境伯軍の侵入を許すことは無いはずだ。


「…だが、意外と船の燃焼が遅いな。むしろどんどん下火になって行く…。難燃剤でも塗ってあるのか?」


「火は船の天敵ですから、対策をしていてもおかしくは無いですわね。ハルト様がこじ開けましたが、風魔法による防御も備わっていたようですし…」


 船に着弾した段階で、ナナの魔法の火はただの火に変わる。だからこそ、船の上で燃え上がっている炎は彼女の制御を外れており、自然に燃えるままに任せるしかない。それでも木造の船ならば全焼したっておかしくないのだが、どんどんと炎が小さくなっていくのだ。船員が消火作業をしていることもあるが、異様に炎の進行が遅い。


「確かにあんまり燃えてないけど、今のは単なる牽制だよ。本命はこれから。一切合財燃やしてみようか」


「…くれぐれもこちらに飛び火させないで下さいましね…」


 俺らの燃えてない発言に挑発されたのか、ナナは次の魔法を構築し始める。どうやらフラストレーションが溜まっていたのはナナも同じようで、その魔法を構築する様子は異様に楽しそうだ。


おとあかみ、紅蓮ぐれんとりよ。くうだち背立せだちかざせ」


 触媒を掲げるように投げ上げ、それが中心点となって魔法が構築されてゆく。触媒は魔法の補助であり、世界に対する楔。その楔を切欠に、ナナの魔法が世界に神秘を顕現させる。


はねあか紅蓮ぐれんとりよ。空断くうだ世断せだち、かざせ」


 炎でできた紅蓮の鳥。見掛けでは特殊な形の炎にしか見えないが、あれは異端の炎。格別な熱量があるわけでも無いのに、燃焼という概念を押し付け発火させる概念上の鳥だ。


「紅蓮の鳥よ、空に舞え!色を奪い灰へと変えろ!」


 幻聴とも思えるどこか神秘的な鳴き声を上げ、紅蓮の鳥が飛び立った。紅蓮の鳥は船の間を戯れるように飛び回り、空気中に火の粉を散らしてゆく。


 火の粉が落ちたところ、羽ばたきの風に煽られたところ。紅蓮の鳥に僅かでも影響を受けた箇所は忽ちに火を灯し始める。燃焼という概念を強制的に付加する紅蓮の鳥にとって、難燃剤程度の対策は意味を成さない。たとえそんな塗料を表面に塗っていたところで、内側の木材が燃え始めることを止めることはできないのだ。


 意思を持つ生物や物品には魔法的な耐性があるため、燃え上がることは無いが、船に使われている木材など簡単に燃やしてしまう。ナナの放った凶悪な拠点破壊用の魔法が敵の船団を瞬く間に飲み込んでゆく。


「おい!?あの鳥はなんだ!なぜ船がこんなにも燃えている!魔道具は!?魔法使いは!?どうして魔法を防がない!」


「ふ、風壁の内側に侵入してくるんです!あれは単なる火魔法ではありません!魔法使い達は今消火で手一杯です!」


 火魔法の対策はしていたのだろうが、だからこそ、その対策を突破してくる紅蓮の鳥に向こうは大分混乱しているようだ。どうやら水魔法使いが居るようで、彼らが消火に励んでいるが、それを嘲笑うように火の鳥はその上空を舞っている。


 火の鳥にも弓矢が向けられるが、そんなものは空中で燃え尽きる。…このまま行けば全ての船を灰に変え、敵を全滅させることができるかもしれない。そんな期待を抱かずには居られないほどに効果的な攻撃ではあったが、火の海に塗れながらも、まったく影響の無い船も存在する。


 それは勇者の乗る船であった。火の鳥から放たれる火の粉を浴びても、その船は一向に燃え上がる気配が無いのだ。


「…?なにかで炎上を防いでいる?でも、そんな気配は…」


 ナナは燃え上がらない勇者の船を観察するが、その原因を見極めることができないで居る。一方、勇者は面白いものを見るようにナナの紅蓮の鳥を観察している。こちらの攻撃を見極めるというよりは、バードウォッチングに勤しんでいるといったほうが良いだろう。


 ひとしきり紅蓮の鳥を観察して満足したのか、勇者は得意げな顔でこちらに向き直った。


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