第400話 星の勇者様
◇星の勇者様◇
「どうしたの?もしかして船が動かせない?ああ、無理はしないでね。夜の海は危ないから…。…どうしよっかなぁ。こっちで引き寄せるかな…」
動き出さないルミエの様子を見て、勇者は不思議そうな顔で声を掛けてくる。その表情はそれこそ無垢な少年でもあり、それでいてルミエの様子を心配し何か行動を起こそうとしている様は、面倒見の良い青年のような誠実さも感じてしまう。
「わ、私は!こんなことをする人のもとには行きません!な、なんでブルフルスを襲っている人のところに行くと思ってるんですか!」
ルミエは胸の前で手を組み、勇気を振り絞るように声を張り上げた。その声は確実に勇者の耳にも届いたのであろうが、どうにも勇者の反応は鈍い。彼は平然とした態度を崩すことなく、こちらを船の上から見下ろすようにして眺めている。どうにも船の大きさが違うため、向こうのほうが高いところに位置しているのだ。
「うーん。
コツコツと甲板の上で靴音を鳴らしながら勇者はそう言葉をこぼした。
「もう一度聞くけど、僕の元に来るつもりは本当に無いの?君には分からないかもしれないけれど、星が僕らを導いているんだ。…ほら、この剣。この剣は星の導きを僕らに分かるように示してくれるんだ。ほら、今も星は僕らを導いてくれているんだよ」
彼はそう言いながら片手の指先で剣を弄る。剣はまるで重力を忘れたように指先で踊り、それでいてその剣先は絶えずルミエの方に向いている。そして勇者はもう片手で頭上を指差してみせた。そこには夜空を彩るように数多の星々が並んでおり、下から見上げていることもあって勇者はそれらを背負うようにしてそこに佇んでいる。
…星が導くとは占星術のことではあろうか。まだ神秘が溢れているこの世界において、占星術を迷信だと切り捨てることは出来ない。それこそ、魔法だって局所的な世界の書き換えだ。まだ幻想に包まれた世界の流れを、星の導きが指し示すことだって十分に起こりえる。
「私は…嫌です!龍は地にあり惑わぬ者です!星の導きは必要ありません!」
竜讃神殿の巫女であるからか、彼女には星辰信仰は無い。彼女が信じるのは大地を流れるサンリヴィル河であり、転じて不屈不惑の龍の在り方だ。強き龍はか細き星の導きに縋る事は無い。
「…そっか。じゃあ仕方が無いね。ちょっと強引に連れて行くか。まぁ、当初の想定通りなのだけれども…」
仕方が無いから次のプランで。自信満々に聖女を誘っておいて靡かなかったのに、彼はそれも想定内というように飄々とした態度を崩さない。どうにもその態度のせいで勇者の真意が掴みにくい。彼の目的が聖女の誘拐であったり、ブルフルスへの辺境伯軍の案内であったりと複数あることもその要因だろう。
「紳士的な振る舞いは終了か?…靡かなければ強引に連れて行くなんて、ちょっとどうかと思うぜ…」
「ん?ああ、護衛の傭兵かな?…こっちだって穏便な手段で来てくれるならそれに越したことは無いんだ。でも、彼女が拒否するんだからしょうがないじゃないか。僕は十分に譲歩したんだよ?」
勇者は初めて俺らの存在に気が付いたように視線をこちらに向ける。
「ま、僕ももしかしたら嫌がるかなとは思っていたよ。どっちにしろ有無を言わさずに連れて行けば済む話だから、そっちのほうが効率が良いんだけれども…。ほら、段取りは何事にも必要だろ?大切な聖女には、そういうところを無視したくなかったんだよね」
随分とよく喋る勇者だ。こっちの思惑だとか、感情だとか、そういったものを無視するように勇者は言葉を紡いでいく。子供のような身勝手さ。あるいは海賊の親玉だからこその強引さ。…それとも勇者のようなエゴイスティックだろうか。彼の中ではそうすることが当たり前なのか、こちらのほうを慮るつもりは無いようだ。
「…勇者殿。話は聞かせていただきましたが…、案内の兵士は居ないということですよね。こちらとしては迅速に制圧に動きたいのですが…。こんなところで何時までも船を留めておけません」
勇者がお話の時間は終わりといった雰囲気を見せたからか、別の船から勇者に向けて声が掛かる。その姿格好からして、辺境伯の軍に所属するものだろう。その様子は中々お喋りをやめない勇者に対する静かな苛立ちも見て取れる。
「ああ、そうだね。君らはそっちが重要だよね。…んん。軍施設の案内はカーランが必要だけれども…、まだ生きているかな?それなら早く地下港に入っちゃおうか。…ただ、君らにしても彼らを逃がすわけにはいかないでしょ?」
「…確かに目撃者は居ないに越したことは在りませんが…、たかだか一般人でしょう?…まぁ、あそこに居られては邪魔では在りますので、このまま磨り潰すことにはなるでしょうが…」
今度は冷徹そうな軍人の視線がこちらに向けられる。そして、間を置かずして船の進軍が再開された。その進路上にはこちらの船の存在があるのだが、勇者と同じようにこちらを慮るつもりは無いらしい。
俺達程度の目撃者なぞどうでもいいと言いながらも、その船の陣形は嫌らしいもので、逃げ道というものが存在しない。唯一、通れそうな逃げ道も残っているが、それは勇者の乗る船の真横だ。明らかにこちらを誘い込もうとしている。
「ハルト。どうする?このままじゃ正面衝突だよ。…それに、ほら…」
ナナが俺に言葉を掛ける。彼女の視線の先にはルミエの姿がある。…彼女は怯えていた。それはそうだろう。自分を攫おうとしている勇者が目前に迫ってきているのだ。だが、それ以上に彼女の怯えは軍にも向けられているようだ。
彼女の故郷を制圧しようと軍船が向かってきている。これを機にブルフルスをネルパナニアの一部に組み込もうとしているのだろう。彼女はそれが恐ろしくて仕方が無いのだ。
「…ハルト様。どうやら逃げ道は無さそうですわね」
「ああ。そうだな。こっちは逃げたくて仕方が無いのに、逃げ道が何処にもない」
護衛の鉄則は安全確保。いかに戦闘を避けるかに掛かっている。…だからこそ俺は護衛がそこまで好きではない。自分の能力が護衛に向いていることは知っているのだが、性格は向いていないのだ。逃げ回るだなんてどうにもじれったくてしょうがない。
だけど、そうだ。逃げ道が無いならしょうがない。勇者がそうしたんだからしょうがないよな。
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