第398話 星海にて待ち合わせ
◇星海にて待ち合わせ◇
「…ハルト。急いでいたのは分かるけど…、ルミエちゃんは慣れていないんだから、もう少し…こう…」
船縁に縋り付くルミエの姿を見ながらナナが苦言を呈するように俺に言葉を投げかける。タルテはルミエの背中を優しく摩り、メルルは落ち着けるようにと沈静の闇魔法を彼女に施している。…俺だって彼女の三半規管を痛めつけるつもりは無かったのだが、ああも苦しんでいると流石に後ろめたさが沸いて出てくる。
「すまん。ほら…兵は拙速を尊ぶと言うし…」
「もう…、なんでも速ければいいって訳じゃないでしょ…」
ナナは呆れたようにそう呟きながらも、小休止は終えたと言いたげに戦闘中の鋭い顔つきに戻る。そして、俺が着地の片手間に吹き飛ばした男どもの様子を確認するように暗闇に目を凝らした。奴らがこの船に火をつける目的で備え付けのランプを破壊していたようで、地下港は外の闇が流れ込んできたように暗さを蓄えている。
「向こうも…混乱しているみたいだけど、すぐにまた動き出しそうだね」
「…ルミエには悪いが、さっさと船を出そう。飛ばしてきたとはいえ、例のことが本当なら勇者にはルミエが移動したことが知られているだろうからな」
聖女の位置が分かる剣と言っても、具体的にどんな形式で察知しているかは分からない。だからこそ、その察知能力は過大に評価しておくべきだろう。ここでの戦闘は向こうにだけ利があってこちらには利益が無い。
「ほら、だったら風を吹かせなさいよ。荒い風は私よりも得意でしょう?」
スルスルスル…と、上から縄に繋がったイブキが蜘蛛のように垂れ下がりながら降りてくる。変わりに彼女が掴んでいた縄に滑車を通して引き上げられていくのは、この船の補助動力と思われる小型の帆だ。ガレー船であるためメインの動力はオールなのだろうが、帆もしっかりと備え付けられているようだ。
彼女は戦闘が止んだ隙に、即座に出航の準備に動いていてくれたらしい。…しかし、半分ほど帆が上がった状態でその上昇は停止し、イブキは俺らの目の前で宙吊りになってしまう。宙吊りになった彼女は、何かに引っ掛かったのかと跳ねるようにして縄を引っ張るが、多少上下に揺れるばかりで帆が持ち上がることは無い。どうやら彼女の体重は帆の半分に満たないらしい。厚手の布であるため、思いのほか重量があるようだ…。
「…なによ。文句あるわけ…!?」
「いえ、何でもありません。…ナナ。降ろして差し上げよう」
宙吊りになったことが恥ずかしいのか、イブキは目を鋭くして俺に文句を飛ばしてくる。俺とナナは苦笑いしながら彼女の掴む縄に加わり、残りの帆を引き上げていく。そしてその紐を甲板にある突起に縛り付ければ、帆の準備ができる。本当なら角度とかの調節も入るのだろうが、俺が風を吹かせるのだから関係ない。第一、流石に正しい帆の張り方なんて習得していない。
俺が魔法を行使すると、帆はそれを受け止め風を孕んで膨れ上がる。メルルも船の動きを後押しするように水魔法で船を押し流してゆく。船はまるで息を吹き返したかのように動き始め、地下港から離れるように水面を滑るように進んでいく。
「おい!…クソっ!船が動き出したぞ!風魔法使いが風を吹かせてやがる!」
「魔法使いがいれば…それも出来るか…どうすんだよ…」
こんな人数でガレー船を動かすことなぞ出来ないと高を括っていたのか、風を受けて膨らんだ帆を見て男達が慌てている。最後の悪あがきをするかのように先ほどのように投擲物が飛んでくるが、イブキの魔弾と俺の風が的確にそれを打ち落とす。
男達を尻目にこちらは優雅な出航。…と言いたかったが、残念ながらこっちも慌てる状況だ。なぜなら船が思ったとおりに進んでくれないのだから。
「ハルト様…!船が、船が曲がって進みますわ!これ以上横から水流を当てると転覆してしまいます!」
船が曲がるものだからメルルが水流でそれを矯正するが、横からの水流が当たって船が異様に傾く。それを俺が風で調整しようとすれば、今度は逆に傾き進路もずれてゆく。
「あのぉ!?
「か…じ…?…ガレー船に舵ってあるのか?漕ぎ手が調整するものだと…」
「面舵一杯…!?聞いたことがあります…!おもってどっちですかね…?」
「ちょっと…!あまり揺らさないでよ!照準が狂うじゃない!」
「ほ、ほら…。イブキちゃん、私に掴まって…」
元気を取り戻したのか、それとも吐いている場合じゃないからかルミエが声高らかに叫ぶ。滑るように進んだのは最初だけで、時化でもないのに船はダップンダップンと揺り篭の如くに揺れながら進んで行く。
「こ…これですかね…!?とりあえず回してみます…!!…はわぁ…!?とととと取れちゃいました…!!?」
「タルテ…。それはあなたが引き千切った錨の巻き取り機ですわ…。取れても問題ありません」
「おい。お前なら知ってるだろ。なんでこんな事になっているんだ?」
「知るかよぉ…!俺が聞きたいよ!…俺は何でこんな事になっているんだ?」
「後ろです!このタイプの船なら後ろに舵柄が付いているはずです!!」
「ええと…これだよね。とりあえず少し動かしてみるから、様子を見ててよ」
てんやわんやと慌てながらも、全員の力が合わさることで何とか窮地を脱出する。そして、お別れの挨拶代わりにタルテが捥いでしまったらしい何かの部品を後方の男達へと投げつけた。…あれって必要な部品じゃないよな?
ナナが舵を調節することで船は問題なく直進していき、とうとう夜空の下へと躍り出た。既に宵闇の中にありながら、そこに広がる星灯りが薄っすらと遠くの稜線を浮かび上がらせ、穏やかな水面は星の煌きを反射している。
しかし、そんな神秘的な光景が広がっていても、俺らの注意は別の方向に向けられる。その星明りを掻き消すように、無粋な篝火が前方に連なっていたからだ。
「…ねぇ。海賊は南に居るのよね。じゃぁ、あれは何なのかしら」
顔を顰めたイブキの呟きが皆の意見を代弁するかのように小さく響いた。
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