第397話 空を駆けた少女
◇空を駆けた少女◇
「いいか!?この際船はどうなってもかまわねぇ!どの道使い古したボロ船だ!ここらが買い替え時にしようや!」
男達はゆっくりと近づいてくる船を見守るようにして待ち構える。どうやらタルテを初めとして武力的に制圧するには中々に骨が折れると判断して、逃走手段である船の破壊に集中するようだ。彼らは先ほどの恐怖の反動か、躁状態になったように意気揚々と舌なめずりしている。
「もうすぐ船が岸辺に着くけど、それなら自分で戻れるんじゃないかな?」
「…逆に聞くけど、今更あそこに俺が戻って歓迎してくれると思うか?」
ナナが船倉で怯えているウメルスに問いかけるが、彼は苦い顔をしながら船倉に顔を引っ込めた。船の上にいるというのに積極的に戦闘に参加していなかったウメルスは彼らとしても裏切り者に思えるだろう。
なにより、聖女が偽者だとはばれてはいないようだが、ナナやメルルの同行を許したのはウメルスということになっている。彼らからすれば、この状況の責任の大部分はウメルスにあると責めたくなるはずだ。少なくともお帰り歓迎会を開いてくれるような雰囲気ではない。
「大丈夫ですわ。タルテが錨を上げてくれましたもの。このまま出航いたしましょう!」
メルルが男達を尻目に水魔法を行使する。船の下ではサンリヴィル河の水が蠢き、船を撫でるように水流が形成された。そして接近していた船は、まるで身を翻すようにして今度は離れていく。
美少女達の乗った船に岸辺から手を伸ばす男達。傍から見ればどこか寓話のような光景だが、あまりに彼らの目がギラついているため、地獄の亡者の写し絵といったほうがしっくり来るだろう。
「…!?クソ!あと少しだってのに!…ランプだ!ランプを引っぺがして投げつけろ!」
そして、錨を引っ張ることといい誰かアイディアマンが居るのか、彼らは壁に備え付けられていたランプを投げ込むことを思いついた。船を破壊する目的に握られた斧は即座に壁に取り付けられたランプを打ち崩し、それは火が灯ったままに彼女たち目掛けて投げ込まれる。
一つ二つならば、イブキが打ち落とせただろうが、彼らは躍起になって壁に大量に付けられていたランプを投げ込んできている。そしてその内の幾つかは彼女たちの手を掻い潜って甲板に打ち付けられた。
ランプの華奢なガラスが割れて中からは油が漏れ出した。中身は魚油であろうか。灯油やガソリンほど爆発的に燃え出すわけではないが、それらは炎を背負うように纏って甲板を侵食していく。海風によって荒れた甲板の板が灯芯の代わりとなって油を気化させそれが燃えているのだ。
「ちょっと…!?もう!ナナ!火を消してくださいまし!」
「火は消せるけど…油が残ってるとすぐに引火しちゃうよ!油も同時に外に落として!」
ナナが火魔法で火と燃焼物を引き離すことで消火を試みるが、油自体が消え去った訳ではないため、すぐに他から引火してしまう。そのためメルルが油を除去するために魔法を行使することになるが、そのために船を操る水魔法は中断されることとなる。
「いいぞいいぞ。このまま投げ込め。…その内に、…おい!こっちも投げるのに手頃な錨はないか!?さっきやったみたいに引っ掛けて引っ張るんだよ!」
「投げるのに手頃な時点で錨じゃねぇよ!そうだな…ランタンの破片に紐でも付けて…」
先ほどから手の届きそうなところで焦らされている為、男達は躍起になって行動している。今度はまるで熱狂したフーリガンの如くに手元にあった物を船目掛けて投げ込んでいる。中には武器の類も混じっており、無視できるものではないため彼女達も答えるようにそれらを打ち落としていく。
火の付いたランタンはもちろん、武器や木箱、なにかの金属片に打ち上げられていたであろう海草の塊…。流石に海草の塊はイブキの風で防がれているが、質量物となるとそうもいかない。それらは風の壁を越えて船へと届いてしまう。
「もう何なんですの!随分とお行儀が悪いことで!」
「任せてください…!私が投げ返します…!弾は向うが補給してくれますので…!」
それこそ船を過剰積載で沈没させるつもりなのかと言いたくなるほどに、男達からは様々なものが投げ込まれてくる。それをタルテが捕球すると、流れるような動作でピッチャーへと返球する。ピッチャー返しのような無慈悲な一撃がピッチャーを襲うが、向こうも馬鹿ではない。時には的確に物陰に隠れ、人数差で押し込むようにこの雪合戦めいた投げ合いを有利に進めていく。
時折投げ込まれてくる鍵縄代わりの縄付きの金属片などはイブキが、火の付いたランプをナナとメルルが的確に処理をしていくが、それに手を取られて本来の目的を果たせずにいる。
「タルテちゃんが向こうを討ち取るか、ランプの残弾が尽きるのを待とうか。…大丈夫、時間はこっちの味方だよ」
「ほんとにもう嫌がらせみたいな攻撃ね。…でももう終わりよ。彼の風なら問題なく吹き飛ばせるわ」
あまりに品の無い攻撃に、気を抜かないようにナナが言葉を投げかける。そして、返すようにイブキが答えると、何かを感じ取るように構えた魔弩から顔を上げた。
空気が篭っていた地下港の中で、それらを押し流すように風が渦巻いていく。イブキの風壁の魔法や矢避けの魔法で風は吹いていたものの、それらを上回るほどの空気のうねりだ。
そこまで風が吹けば、イブキじゃなくても気付くことができる。彼女達はその風を愉しむようにしながら、投擲物を防ぐのを止めて船にしがみ付いた。岸辺に居る男達は唐突に彼女達の抵抗がやんだ事に少しばかりの疑問を抱くが、ここが攻め時と言わんばかりに船に向かって物を投げ込んでいく。
しかし、唐突に甲板の上で風が爆ぜた。
本来は見えぬはずの風は、その暴力的な風量で投擲されていた物品を跳ね飛ばし、それ故に可視化されて男達に襲い掛かった。
「…別にピンチだった訳じゃないよな?一応、戦況はイブキを通して把握してたんだが…、どうしたら仲良く雪合戦を始める状況になるんだ?」
暴風の原因は投擲物を凌ぐ速度でハルトが甲板に着弾したからだ。着地により大きく揺れる船の上で、ハルトは状況に混乱しながらそう呟いた。ハルト以上に混乱しているのは岸辺に居た男達だろう。暴力的な風は投擲物を彼らに押し返すどころか、その身を吹き飛ばすほどの出力で彼らを襲ったのだ。
そして一番混乱しているのはハルトに背負われたルミエだ。彼女はすぐさまハルトの背中から降りると、船旅はまだこれからだと言うのに、船縁に駆け寄ってその胃袋の中身を海へと返した。どうやらハルトの乗り心地は中々に劣悪だったらしい。いったいどんな速度で移動してきたのだと言いたげに、女性陣の冷たい視線がハルトに向けられた。
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