第396話 運命は手繰り寄せるもの
◇運命は手繰り寄せるもの◇
「お、おい。聖女は狙うなとの事だが、聖女が出港準備をしてる場合はどうすればいい!」
矢は風によって逸らされてしまっているが、もとより彼女達が出航の準備を整えないように牽制することが弓を構えた男達の目的だ。しかし、それでも聖女は狙うなと言われているために、タルテが握ったものを見て焦ったように言葉を放ったのだ。
「ああ!?無視しりゃいいだろ!ありゃ女一人で引き上げられるもんじゃない!」
「けどよ。…あれは俺の見間違いか…?」
船には巻き上げ機が取り付けられており、そこからはやたらに太い鎖が海中へと伸びている。タルテはウメルスを怯えさせた後にその鎖に手を伸ばしたのだ。そして彼女は敵が驚愕して見ていることにも気付かずに、その巻き上げ機を使うことなく海中に伸びる鎖を引き上げ始めた。
タルテはジャリジャリと金属の打ち擦れる音を鳴らしながら、まるで糸車に糸を巻き取るような手軽さで鎖を引き寄せる。そして瞬く間に足元に鎖が溜まり、その鎖の先につながれた錨が海面から姿を現した。
「これは…何に使う道具なのでしょうか…」
地上で生きるものにとっては、あまり見ない形状の錨を見つめてタルテは小さく呟いた。もとより彼女はこれが錨ということを知っていて引き上げたのではない。鎖…つまりは鉄が大量にあったために魔法で形状を変えて投擲しようと考えていたに過ぎない。引き上げたのも、どこかに繋がっていたから試しに引いてみただけだ。
彼女は引き上げた錨を片手に握り、試しに振ってみる。程よい重さで、中々に振り応えのある鉄塊だ。そして、それは船に鎖で繋がれていて失くさないようになっている。…恐らく、そういう物なのだろう。彼女は自分の推理に確信を得たのか、満足そうな顔で敵対者に向き直った。
「備え付けの武器がありました…!私も参戦します…!」
錨を担いだタルテは天真爛漫な笑顔を上げる。彼女は錨を武器と勘違いしたままに戦線に舞い戻った。事実、本来の目的ではないとはいえ十分に武器とは機能するであろう。技量の補正値は低いものの、筋力の補正地が高いタイプの武器。…いわゆる脳筋武器だ。
錆び付いた錨。船を繋ぎ止めるために作られた無骨な鉄塊。もとより武器ではないが、その重量故に十分な破壊力を備えている。湾曲した四つの錨爪は海底に食らいつくために伸ばされたものであり、鈍らだがそれを補うほどに太く頑丈である。これを武器として振るうのであれば、十分な膂力が求められるだろう。
「…!?避けろ!飛んでくるぞ!!聖女の攻撃だ!」
タルテは振りかぶると、弓手達に目掛けて錨を投擲した。彼らは錨を担いでいるタルテに注目していたために余裕を持って躱してみせたが、心情的には余裕なんてものは無い。足元が揺らぐほどの衝撃を伴った轟音、そして破壊された石床に宙を舞う土埃。あそこに立ったままであれば、自分達がどうなったかなんて誰だって想像できる。
「見てください…!ちゃんと回収できるように鎖まで付いているんですよ…!意外と考えられて作られていますね…!」
「タルテ…それは…。いえ、何でもありませんわ…」
「えぇ…。メルル、教えてあげないの…?」
なんて画期的な発明なのだとタルテは感心しながら鎖を引き始める。彼女の脳内では争う船が互いに錨を投げ合って戦う様子が思い浮かんでいた。海上戦闘の様式はそういうものなのだろうと。
…錨というものを知っているメルルとナナは、それが武器ではないと教えてあげようかとも思ったが、あまりにタルテが武器と信じて疑っていないので、結局は言葉を濁し、そっと言葉を飲み込んだ。
「ちょっと、どこに錨を投擲する聖女がいるのよ。それは船が流されないように固定する道具。どう考えてもそんな形状をしてるでしょうに…」
彼女が投擲すると船が揺れて照準が狂うからか、メルルとナナの気遣いなんて知るかとイブキがぶっきらぼうに呟いた。
「…ぇえ…!?武器じゃないんですか…!」
こんなにも凶悪な形状で重量もあるのに武器ではないのかとタルテは驚愕の声を上げる。
「…た、確かに…逆さ世界樹で使っていた鉤縄と少し似ていますね…。でもでも…!それは引き寄せも出来るってことです…!武器としても便利ですよ…!」
そう言いながらタルテは投擲した錨に延びている鎖を引き寄せ始める。石畳と鎖が打ち合わされカラカラと硬質な音が鳴り、それが地下港の中で不気味に響いた。そして男達は彼女が錨を回収しているということに気が付き、戦慄する。つまり、この音は次弾装填の音なのだと…。
「鎖…!鎖を叩き切れ!」
「無茶言うなよ!鍛冶師でも呼んで来いってのか!」
ナナの火魔法もメルルの水魔法も、なによりこの暗闇では視認することも難しい空中を飛び回る魔弾も脅威なのだが、それよりも男達は飛んでくる錨という質量兵器に恐れおののいた。どの攻撃も危険ではあるのだが、なによりもタルテの攻撃には命を磨り潰すような迫力があったのだ。
「いや待て…こいつを使うぞ!…俺に続けぇ!」
勇気を振り絞るような僅かな逡巡の後、男の一人がタルテの投げた錨に飛びついた。聖女の膂力を理解しているためにそれは格段の意志の強さを求めたが、それは彼らにとって非常に効果的な手法でもあった。
「…!そうか!お前らも加われ!ひよってる奴なんかいねえよなぁ!?」
勇気ある男を先頭に、追加で他の男達も錨に飛びついた。何人かはひよって腰が引けているが、それでも男達の目論見を果たすことは成功した。
「あれ…!?ええ…!?ふ…船が…!船が近づいちゃいます…!?」
「ちょっともう…何やってんのよ…。あんたの魔法で切り離せないの?」
うんとこしょ。どっこいしょ。男達は錨を回収されまいと身を挺して押さえつける。タルテの異常な力と足をその場に縫い止める土魔法を用いれば、数人の男の抵抗など無為に等しいのであるが、ここは船の上である。結果として、男達が渡るのを躊躇するほど岸から離れていた船は、ゆっくりと接舷するように動き始めたのである。
「いいぞぉ!引け!このまま引っ張れぇ!」
「…!?切ります…!切断します…!!」
錨を押さえつけているだけだった男達が、今度は綱引きをするように鎖を引き始めたため、タルテは慌てて土魔法で鎖を切断する。張力が掛かっていた鎖がいきなり切断されたために、それは暴れるようにして男達を襲ったが、先ほどの錨の投擲に比べれば大したものではない。
「うう…。ごめんなさい…。止まりません…」
一度移動し始めた船はたとえ引くことを止めても停止することは無い。船はゆっくりと、だが着実に男達の待つ岸へと流れていった。
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