第395話 命を投げ出す行為

◇命を投げ出す行為◇


「正気で言っているのかよ…。せめて行動に移す前に俺を降ろせたんじゃないのか…」


 船倉に座り込みながらもウメルスはブツブツと文句を呟いている。その不貞腐れた態度は人質とは到底思えない。彼女達が利の無い暴力を振るう者達ではないと判断したのか、あるいは状況に飲まれて投げやりになっているのかもしれない。


「…なら飛び移る?今なら誰も止めないよ」


 ナナは船倉の蓋を閉めるのではなく、呆れたように言葉を投げかけた。


「馬鹿言わないでくれ。海に落ちたらどうするんだ。…夜の海はな、明りが無いからどちらが上か分からないんだ。君らに味方するわけじゃないが、努々気を付けるんだな」


 ウメルスが躊躇するように、船着場の男達も飛び移ろうとはしていない。海で生きるものの常識が彼らをそこに押しとどめているのだろう。


「別に飛べない距離ではないでしょうに。ほら、見なさい。一人目の遅刻者が乗り込みますわよ」


 それでも、何を尻込みしているのだとメルルも口を挟む。彼女の指し示すほうを見れば、うずたかく詰まれた荷物の上から、一人の少女が放物線を描きながら飛び込んできた。彼女は怖気づいた男達を尻目に、軽やかに船の縁へと着地した。


「…私に荷物持ちをさせといて、随分な言い様じゃない。なんなら、このまま荷物は投げ捨てても良いのだけれども」


「あら、それは失礼しました。まだ出航時間前ですので、遅刻ではありませんね」


 イブキが着地すると、軽やかな足音とは裏腹にガシャリと重厚な金属音がなる。それもそのはずで、彼女は自分の魔弩フリューゲルはもちろん、ナナの波刃剣フランベルジュにメルルの片手剣と盾を担いでいるのだ。タルテの手甲ガントレットは服の下に隠すことはできるが、彼女達の武装は見てすぐ分かるための物のため、ここに入る際に一時的に武装解除をしたというわけだ。


 小柄なイブキがそれらを一抱えに背負っているため、随分と輪郭が丸くなって見える。特にナナの波刃剣フランベルジュは両手剣であるため長大であり、それをイブキが身に纏っているものだから、そのアンバランスさが妙な印象を振りまいている。


 ナナは武器屋の軒先に置いてある刀剣類を突っ込んだ壷を思い出したが、必死になってその言葉を飲み込んだ。それを口から出せば、彼女の愛剣がウメルスの恐れている夜の海へと沈む可能性があるからだ。


「ほら、重いんだからさっさと受け取りなさいよ。…船は木で出来ている事を忘れないでね。たとえ水に浮いていても、簡単に燃えるわよ」


「う、うん…。ありがとう。助かったよ」


 ナナが内心で耐えてみせれば、イブキは早くしろと催促しながら波刃剣フランベルジュを肩から下ろす。その際に追加の小言で注意を促すことも忘れない。ナナがどうこうという前に、火魔法使いの半分は火狂いであるため、往々にして燃やしすぎることがあるのだ。他者と仕事をすることが多いイブキにとって、火魔法使い相手に何を燃やしていいか教えるのは必ずこなすべきタスクのひとつなのだ。


「皆さん…!彼らも動きますよ…!」


 ナナやメルルが装備を整えている間、素直に男達も待っていてはくれない。彼らは代わりのタラップを都合したり、どうにか縄で船を手繰り寄せられないかと行動に移し始めている。特に厄介なのは遠距離攻撃手段だ。船の上では矢が必須技能であるのか、彼らの大半が弓を構えてこちらに矢を番えているのだ。


「いいか。聖女は殺すなよ。奴らが出航しないように牽制を続けろ。他は…この際だ。船を破壊するほうに回れ」


 意外にも冷静に男達は組織だって行動に移してゆく。タルテは標的から外れているものの、ナナやメルル、イブキには遠慮なく矢が放たれた。


 だが、ナナもメルルも臆してはいない。我らが風魔法使いは留守にしているものの、優秀な風魔法使いが彼女達に同行しているのだ。彼女達にとって矢などの軽量な投擲物は逸れていくのが当たり前だ。


「…目前まで矢が向かってるのに恐れもしないのね。あなた達のこれまでの戦いが想像できるわ」


「えへへ。ちょっと慣れすぎちゃったから、矢避けの訓練なんかも積んでるんだよね」


 イブキが矢避けの魔法を展開しながら、が展開される前提で動いているナナ達に向かって口を開く。それは効率的ではあるが、危険な振る舞いでもあるため、ナナは言い訳をするように風魔法が無い場合の訓練もしていると言葉を返した。


 そして、お返しが向かうのは男達にもだ。矢がそれたことに驚く男達に向かって、ナナとメルルの魔法が放たれる。特にメルルの魔法は格別だ。ウメルスに施した血魔法のせいで消耗しているとはいえ、足元に潤沢に水があるここは何よりも水魔法に適している。


「えと…、えと…。私も…何か投げる物を…!」


 彼女達に遅れまいとタルテも魔法で攻撃をしようと考えるが、メルルとは逆に土魔法使いにとってここは適しているとは言えない。普段は足元に当たり前のようにある大地を操るのだが、船の上であるためにそれが無い。もちろん、船の構造物を使うことは出来るのだが、そんな自分の体を食べるようなまねをするわけにはいかない。


「投げる物…投げる物…。…ああ…!ありました…!投げるもの…!」


 投擲物を探して顔を動かしていたタルテが、目的のものを見つけたようで一点で視点を止める。


 …そして、その視線の先には船倉から顔を覗かせているウメルスの姿があった。


「へ…、お、俺か…!?…やめろ!どうして…!どうしてそんな酷い事を考え付くんだ!…形だけでも聖女の真似をしろよぉ!」


 タルテが投擲物を見つけたと言うタルテと目が合ってしまったウメルスは絶望と共に言葉を吐き出す。まだ…、まだ下船のためであれば優しく投げてもらえたかもしれない。だが、いま彼女は何をしようとしている。間違いなく船着場にいる男達へ向けて攻撃のための投擲しようとしているのだ。


 ウメルスの脳内では先ほど投擲された男の姿が思い浮かび、その脳内の情景はそのままシームレスに走馬灯へと繋がった。


 自分も他人を傷付けてきた人間だ。だからこそ、殴られたり酷い目にあっても心のどこかでは納得が出来る。だけどあんまりじゃないか。復讐の末に殺されるでも、闘争の果てに尽きるでもなく、手元に手頃な飛び道具が無いからと変わりに武器にされる。碌な人間じゃない俺でも、そんな無造作に人を殺すことは無かった。


 タルテがウメルスに向かって足を進め、甲板を叩く小さな足音が鳴る。戦闘音に紛れ聞こえないほどの小さな音なのだが、ウメルスにとっては何よりも大きく聞こえ、その音が近づくことに無常の恐怖を覚えた。


「…?どうしたんですか…?頭を下げていないと危ないですよ…?」


「ヒェ……」


 そんな子供のように怯えているウメルスを見て、タルテは不思議そうに首を傾げる。ウメルスは投げやすいように頭を引っ込めろと言われたのかと思ったが、タルテはそのままウメルスを通り過ぎ、彼の後ろにあった物へと手を掛けた。ジャラリという金属音と、安堵によりウメルスが尻餅をついた音が鳴った。


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