第393話 宵の水面は空より暗く

◇宵の水面は空より暗く◇


「うん…?ああ、ウメルス。お前、他のやつらはどうした?…問題発生って訳じゃなさそうだが…」


 地下港はレンガのように直方体に切り出された石が積みあがって構成されており、荷物の積み下ろしのためか意外にも広々としている。しかし、対照的に天井は閉塞感を感じるほどに低く、河の水面から上ってくる湿気のせいか、その閉塞感がさらに加速している。


 それでも、壁にはオイルランプが幾つも並んでおり、そこに灯った明りが地下港をありありと照らし出している。随分とオイルランプの量が多いようにも思えるが、昼間でも暗い地下港で船員が問題なく作業できるように備えられているのだろう。


 だからこそ、この地下港で一番暗い所は部屋の隅などではなく、その奥で船を浮かべているサンリヴィル河だ。夜空にあわせてその装いを変えたように黒く揺蕩い、星々のようにランプの明かりを反射してはいるが、夜空とは違いその煌きは水面の反射にしか過ぎないため、表面的な輝きに取って付けたような白々しさも感じてしまう。


「ああ…。他の奴らは人質を脅すために残ってるさ。…どうにも聖女様は神殿のお仲間が大切みたいでね。ちょっと脅して見せたら素直にこちらに向かってくれたって訳だ」


「そいつはいいが…あんまり手荒なことはするなよ?その辺の街娘とは違うと勇者様が言っていただろ」


「…そのほうがより安全にことを運べたんだ。心苦しい程度で誰も怪我をしていない。…俺が恨まれる程度だが、それぐらいは必要経費だ」


 実際には人質に取られているのは自分の仲間で、少しばかり手荒なことをされて怪我もしているのだが、彼はそれを感じさせること無く答えてみせた。いくら命を体の内から握られているとはいえ、こうも淀みなく答えてくれるのかと、メルルは内心で彼の振る舞いに驚いていた。


 また、中々に彼の演技が上手いこともその驚愕の理由の内の一つでもある。タルテの淑女の振る舞いを笑っているだけあって、彼は意外にも演技派であったのだ。そして、メルルやナナはこの男の名前がウメルスであることをここで初めて知った。


 肩を刺された男をウメルスと呼んだ男は、ウメルスと違い随分と暴力の匂いを纏わせている。海賊と表現するほど粗野な見た目ではないのだが、どうにもその振る舞いの鋭さが一般人とは違うのだ。いうなればやり手の傭兵と表現したほうがいいだろうか。そして彼の後ろで木箱に座りながらこちらの様子を観察している男共にも同じ空気が纏わり付いている。


「それで、おまけが付いてきているが?…そこいらで引っ掛けてきたわけじゃないんだろ?」


「…これが彼女達の出した条件だ。聖女のお付の侍女みたいな奴らだが、油断すると噛み付かれるから気をつけろよ」


「へぇ…。度胸あるじゃん。さすがに聖女様ともなれば守護騎士もどきも居るわけか」


 男は感心するようにナナとメルルを見つめる。ここからどこに向かうのかも分かっていないのに、聖女のために付いて来ると言い張っているのであれば、確かにそれは中々の度胸があるのある少女達であろう。しかし、実際にはこのまま秘密裏に、状況によっては武力的に船を奪うつもりの度胸どころか腕っ節もある少女達だ。


 ちなみにイブキの姿は既にない。彼女はナナ達が地下港に足を踏み入れた時には既に隠密の姿勢をとっており、男達の視線がタルテやウメルスに向いた隙にこっそりと地下港に忍び込んだのだ。今は光に触れれば燃えるとでも言いたげに片隅の物陰の中に隠れ潜んでいる。吸血鬼のような振る舞いだが、当の吸血鬼はタルテの傍らでニコニコと男達の視線を受けている。


「随分と上玉じゃねぇか。聖女と一緒に何人か連れて行くつもりだったが、こりゃ手間が省けるな」


「…聖女は丁重に扱うように言われているが、おまけは確かに何も言われてないな…」


「馬鹿言え。後で勇者様の機嫌を損ねてもしらねぇぞ。…出すのなら許可を取ってからにしろ」


 男の後ろ。木箱を椅子に屯している男達から品の無い言葉が飛んでくる。彼女達に本気で欲情しているというよりは、そう振舞うことで怯える様子を愉しんでいるといった具合だ。どちらにしてもあまり品性が良いとは言えない。思わずナナは汚いものを見たように顔をしかめた。


「…エスコートを任されるだけあって、あなたはやはりマシな部類でしたのね。どうにも低俗でいけませんわ。女性にはもっと丁寧な言葉を投げかけませんと」


「そりゃどうも。これでも普段は商会の仕事のほうが多くてね。…でも、舞踏会で足を踏むならまだしも、肩を刺してその上で脅すような人は女性の括りとは別枠になると思うんだ」


 小声でメルルが地下港に屯していた男達に苦言を呈すれば、ウメルスは健気に皮肉を返してくれる。ウメルスはこれから彼女達が何をしでかすのか戦々恐々としているが、彼女達はそれを意に介さず、周囲の状況を観察している。


『…船は一艘。そっちからも見えているわよね。碇が降りて縄が伸びているからそれを切らなければ出航できないわ。中には…誰も居ないわね。帆が張っていないから、すぐに動かすには水魔法を使う必要があるわね』


 そして、風に乗ってイブキの声が彼女達の元に届く。彼女は闇に潜みながらも船の様子を確認して全員に連絡しているのだ。もちろんその声は彼女達にしか届いておらず、男達は変わらずに彼女達を品定めしている。


 彼らが彼女達を品定めしているように、彼女達も状況を品定めしている。特にナナは隠すことが下手なのか、随分と鋭い企むような視線で船の方向を見つめている。


 …船の縁は高く、すぐには乗り込めない。逆に言えば、こちらが船に陣取れば男達もすぐには船に乗り込めないだろう。…戦力的には…さすがに不鮮明だ。確実に負けると思うほどの実力者は居ないようだが、かといって勝ちを確信するほど簡単な相手ではない。


「ま、さっさと船に乗せて出立の準備もしようぜ。そのうち勇者様もこっちに来るだろ。…聖女は…船倉に閉じ込めておけば縛る必要はないか」


 品定めが終わったのか、この場で暢気におしゃべりと勤しむつもりは無いのか、さっさと船に乗せるように声が掛かる。どうやら品定めの結果、そこまで彼女達を警戒する必要が無いと男達は判断したらしい。どう乗船するか悩んでいたところだが、それを彼らが容易く解決してくれたのだ。


 タラップが船の縁に掛けられ、彼女達はそこへ進むように促される。油断してくれるのならば都合がいいと、地下港の少女達は内心でにこやかに笑っていた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る