第391話 夜が迫る前に
◇夜が迫る前に◇
「随分と遅かったわね。いったいどこで道草を食べていたわけ?女の子と連れ立って食べに行くにはあまりに無粋なんじゃないかしら」
紅茶から口を離したイブキが、俺に向かって嫌味をこめた言葉を放つ。遅くなってしまったことを咎めたいのだろうが、俺にとっては救いの言葉にもなる。なぜなら、窓から入ったことを目撃したテルマ神殿長から、刺すような視線が向けられているからだ。
彼女の言うように遅くなってしまったと思っていたため、索敵もせずに窓から戻ったのが災いとした。俺だってテルマ神殿長が居るのが分っていたなら玄関から戻ったというのに。
「そう責めないでくれよ。ちょっと下見をしてきただけなんだから。…遅れてしまったところ悪いが、まずは急ぎでその報告をしようか」
俺はイブキの言葉に答えるようにして彼女の向かいへと腰を下ろす。テルマ神殿長も何かを言いたげにしているが、今はそんな状況でないと分っているのか押し黙ると、今度は神妙な顔を俺へと向ける。
「こっちの聞き出した情報はイブキちゃんを通して知っているんだよね。そっちも何かトラブルが起きたの?イブキちゃんからは治療院の手伝いをしていたって聞いたけど…」
「その後のことだ。イブキから話を聞いて寄り道をしてきたんだよ。…だからこそ遅くなっちまったが、成果はちゃんと得てきたぜ」
既に外は薄暗くなりはじめ、目を凝らせば宵の明星の輝きも見ることができるだろう。このままでは準備のできていない状況で夜を越さねばならぬが、何もここで素直に篭城する必要は無い。その逃走経路を探るために俺は寄り道をしていたんだ。
「それで、何を見つけきたのでしょうか。…ああもう。タルテもこんなに薄汚れて…」
会話に参加するようにしてメルルはナナと共に腰を下ろす。随分と疲れているように見えるが、それは彼女の行使した魔法のせいであろう。メルルがその魔法を使うところは見たことが無いが、聞いただけでも大変な魔法だと伺える。
「ご、ごめんなさい…。借り物の服なのに…」
「い、いえ!そんな滅相も無いです…!私のために動いてくれているのですから!」
タルテが服を汚したことを謝れば、ルミエが恐縮しながら高速で手を動かす。俺と共に行動したせいで、タルテの着ているルミエに借りた変装用の服はだいぶ汚れてしまっている。
あいにくとタルテの変装はまだ続ける予定であるため、この服はまだ返却する訳にはいかない。俺はその理由も含めて彼女達に向けて口を開いた。
「今の状況は言ってしまえば袋のねずみだろ?いくら都市国家といえども逃げ回るにはブルフルスは狭すぎる。かといって迎え撃つには分が悪すぎるしな。言いにくいことだが、こんな神殿なんか四方八方から火でも付ければ、それだけで中の奴らを炙り出すことができる」
ナナの火魔法を使えば火を燃焼物から強制的に引き離すことで消火もできるが、それでも消火のために駆け回ることになるだろう。少しでも煙が上がろうものなら、救助のためという題目で向こうの人員がなだれ込んできて、どさくさに紛れてルミエの身柄を移動させる。十分にありえそうな話だ。
「それで、守りやすい堅牢な場所でも見つけてきたわけ?まさか、城壁の一部を乗っ取るとか?あそこは海賊のせいでそんな状況ではないでしょ?」
イブキが俺の考えを探るように口を向けてくる。確かに彼女の言うとおり、城壁は逃げ込めるような状況ではない。少なくとも、海賊が水平線の向こうに消え去るまで彼らは戦闘態勢を解くことは無いだろう。
タルテが治療の傍らに聞きだしたことだが、海賊達はルミエを攫う目的のためか延々と遅滞戦術めいた戦闘を繰り広げているらしい。守りに入れば邪魔をするように攻めてきて、逆にこちらが攻める気配を見せれば容易く沖合いまで引くのだとか。延々と繰り返されるような戦闘に、兵士達は辟易としたようにそう語っていたのだ。
…恐らくは夜の帳が降りきったところで一斉攻勢があると睨んでいるようで、彼らは今夜は決して出歩くなとタルテに忠言をしていた。
「篭城するんじゃなくて、逃走するんだよ。それもブルフルスの外までな。そこまで逃げればたとえ居場所が分っても逃げ切ることができるし、なによりこっちの形勢も十分に整えられる」
「抜け出すって言っても…、どこから出るつもり?関所はどこも閉鎖されているし、タルテちゃんの魔法で壁を越えても船が無いよね…。グライダーは王都に置いてきちゃっているし…」
「ああ、なるほど。どうりで遅くなったわけですね。こっちからの報告を聞いてから下見に行ったのですか」
少しもったいぶった言い回しにナナが眉を顰めながら考える。一方、メルルは何を言いたいのか気が付いたようで納得するように頷いた。俺と行動を共にしていたタルテは、どこから逃げるか知っているため、ほほえましげにその様子を眺めている。
「それで。結局どこに向かうわけ?さっさと話しなさいよ」
「イブキが伝えてくれただろ。地下港だよ。地下港。さっき城壁を乗っ取るって言っていたが、乗っ取るのは奴らが用意した船だ。ルミエを攫うために用意した船を、俺らがそのまま頂いちまおうって算段だ」
痺れを切らしたようなイブキに俺は慌てて答える。
外と通じている城門はどこも閉鎖されているが、その中で唯一外と通じているのが、奴らの利用している地下港だ。ご丁寧にルミエが乗る船まで用意してくれているのだから、使わない手は無いだろう。
そのことをイブキからの報告で思い立った俺は、その案が上手く行くかどうか下見に向かっていたのだ。地下港は複数あるが、数も多くないうえ場所は周知されている。明らかに様子のおかしい地下港を見つけ出し、中の状況を探っていたために遅くなってしまったのだ。
「…なるほどね。ある意味では本拠地だけれども…、こっちから攻めに行くとは思っていないでしょうね」
「確かに船さえ奪っちゃえば、こっちのものだね。水流はメルルが操れるし、ハルトとイブキちゃんが風も吹かせる」
「見てきた感じ、人員は多少多かったがやってやれない数じゃなかった。…それにこっちにはその警戒を解く術もある」
俺の出した案にナナもイブキも得心がいったように頷く。ここから先はルミエ自身の協力も重要になってくる。俺は彼女にも目配せをしてから、地下港を下見しながら考えた作戦を話し始めた。
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