第390話 窓から出入りをしないと言ったな
◇窓から出入りをしないと言ったな◇
「あら、彼はお
蔵に足を踏み入れたメルルが、少し前まで操っていた男の姿を見て、微笑みながらそう呟いた。手には包帯と薬が握られており、他の男達はようやく治療に戻ってきたのかと安堵するように息を吐いた。メルルは壁にランタンを括り付けると、今まで操っていた男の近くに歩み寄る。
「おい…、剣に何を塗っていたんだ…!どんどん様子が可笑しくなってきているんだ…。それにとうとう返事もしなくなって…」
メルルが治療をするよりも先に、他の男がメルルのことを問い詰める。とうとう肩を刺された男が反応を無くしてしまったから焦っているのだろう。なんてことはない。彼は眠っているだけだ。それも随分と前から。単にメルルが魔法を解いたことによって反応を返さなくなくなったのだ。
どんどん可笑しくなっていったのは、メルルが操って会話をしていたからだ。自分でも完全に上手く操れたとは思っては居なかったが、彼らに直接おかしかったと言われて、メルルは顔には出さないが内心でカチンと憤る。
彼らからしてみればだんだんと様子がおかしくなっていき、仕舞には気を失ったように見えたから気が気でないのだろう。しかし、薬は致死性は無く副作用の強いものではないし、肩に付いた傷も重症化しないようにメルルが血を操って既に閉じてあるため、メルルは大して彼の容態は心配していない。もちろん、凝血塊で閉じているに過ぎないので動かせばすぐに出血してしまうのだが…。
「そんなに声を荒げないで下さいまし。塗ってあったのは眠り薬ですわ。お恥ずかしながら、鞘に仕込んであったものですから、つい忘れてしまっておりましたわ」
おどける様にメルルは彼らに答える。薬を使ったことは事実であるため、特に伏せることなくメルルは彼らに打ち明けたのだ。それを聞いて、彼らは真偽を確かめるようにメルルと視線を合わせる。しかし、その傍らでナナが肩を刺された男の服を剝いで治療を開始すると、男がまるで寝苦しそうに寝言をむにゃむにゃと呟くものだから、彼らは本当のことだと納得し、同時に安堵したように息を吐き出した。
「こんな状況だというのに本当によく眠っておりますわ。…お話の続きをしたいのですが、起こさないで差し上げましょう。どうやら死ぬほど疲れているようですので…」
「血も止まってるし、心配はなさそうだね。さっさと処置をしちゃおうか」
メルルの瞳を見つめていた男達の視線は、今度は治療するナナの手元にへと注がれる。タルテが妖精の首飾りに加わってからというもの、ナナが手当てをする機会はほとんど無いが、彼女もネルカトル家の騎士団にて訓練していただけあって、切創などの治療は手馴れたものだ。
都合よく男が眠っているため、ナナは遠慮なく肩口に針を刺して傷を縫いつけていく、そして口で糸を切ると、最後に患部を帯布で固定するように巻きつけた。その手際を見て、男達はナナが見かけで通りの者ではないと再認識する。
もとより、不意打ちとはいえ自分達が瞬く間にこうも拘束されてしまった上に、治療をするその手際は幾分と経験を積んできた者だと如実に語っていたのだ。
…ちなみに、メルルが彼らに詰められていたためナナが応急処置を買って出たが、メルルも闇魔法を闇の女神の教会にて鍛えただけあって、彼女もこういった治療は得意だ。それを態々誇示する必要は無いため特に分りやすく行動には起こさないが、さりげなくメルルはナナが応急処置をした肩口に触れると、闇魔法を行使して傷口の殺菌を行った。
「…それでは、治療も終わりましたし私達は失礼しますわね。…それとも、何か私達に語ってくれますか?口の達者な彼はこのとおり眠ってしまったわけですが…」
「………」
メルルは眠っている男から手を離すと、他の男達を見渡すようにしながら言葉を投げかける。しかし、彼らはそっと視線をそらすようにして押し黙った。先ほどは眠る男の容態を心配していたために口を開いたが、それが問題ないと分って当初のように口を閉ざしたのだ。
冷静さを取り戻すと同時に押し黙るその様は、眠っている男が嘯いてみせたようにシャイで女性と喋ることが慣れていない男性のようにも見えたため、思わずメルルはクスリと喉を鳴らすように小さく笑った。
「あらあら。どうにもつれない殿方ですわね。…私達も無理にお喋りがしたいわけではなりませんので、しばらくは彼のようにゆっくりと休んでいてくださいな」
既に聞きだしたいことは聞き出してある。メルルは言葉とともに踵を翻すと、ナナと共に彼らを取り残して蔵を後にする。見張りの一人も置かない不用意な措置ではあるが、正直言ってそこまで手が回る状況ではない。
彼らは口では何も語らないものの、いったいこれから俺らをどうするつもりなのだと問いかけるような視線をメルルに注いでいるが、それを遮るようにメルルは蔵の扉を閉め切った。
「…ふぅ。随分と…疲れましたわ。あまり無茶をするべきではありませんね」
「大丈夫?なんなら肩でも貸そうか?…メルルは色白だから分りにくいけど、ちょっと顔色も青く見えるよ」
蔵を後にし、回廊まで戻ってくると、メルルは溜息と共に疲労の色を見せる。それを心配してナナが声をかければ、メルルは遠慮することなくナナの肩にもたれ掛った。
男達の前では平気そうに振舞っていたが、つい先ほどまで随分と難しい魔法を行使していたのだ。それはメルルの魂そのものを疲弊させ、あえて表現するならば、彼女は精神力が随分と枯渇した状態にあるのだ。
「もう随分と経ったけど、ハルト様とタルテはまだ帰ってこないのでしょうか…。できれば勇者とやらが襲来する可能性に備えたいのですが…」
「ああ、メルルは魔法で精一杯だったものね。既にイブキちゃんが連絡を入れたみたいだよ。…ただ、どこかによってから来るみたいだけど…」
肩を寄せ合いながら、彼女達はルミエとイブキが控える応接室に向かう。彼らから情報を上手く引き出せたことには達成感はあるものの、その情報から分ったことはあまりにも分が悪い状況だ。すでに隠れ潜むという大前提が崩れてしまっているため、早々に今後の方針を打ち出したいのだ。
といっても、選べる手札はそう多くは無い。街が封鎖されている状況では逃げ込める場所など多くは無いのだ。街が正常な状態に戻るまで勇者達と鬼ごっこをするというのもあまり現実的ではないだろう。
そんなことを考えながら彼女達は応接室の扉を開く。するとそこにはまるで盗人が侵入してきたように窓枠に足を掛けた男が居た。自然と彼女達の視線はあまりもな状態の男に向けられる。
「お。二人とも丁度戻ってきたか。悪いな、いろいろ任せてしまって。…こっちもお土産を持ってきたぞ」
盗人のような姿勢のハルトはナナとメルルにそう言葉を投げかけた。治療院の手伝いをしていたと聞いていたのだが、その姿は随分と埃で汚れている。そして、たまたまルミエの様子を見に来ていたために居合わせたテルマ神殿長は目を吊り上げており、ルミエとハルトの小脇に抱えられたままのタルテは苦笑いを浮かべている。イブキはすまし顔で紅茶を口にしていた。
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