第384話 闇に裁いて仕置する

◇闇に裁いて仕置する◇


「…妙に周りを見渡しているね。いつもはハルトに任せているから、こういう追跡は得意じゃないなぁ…」


 竜讃神殿の木柱の陰に隠れながら、ナナは自分の先を行くテルマ神殿長と四人の男達の様子を見詰めている。彼らには聞こえないようにナナはぼそりと弱音のような言葉を吐いたが、独り言を呟いたわけではない。風を解して自分の声を聞いている者がいるから、ついつい心情が言葉となって漏れ出したのだ。


 本当ならば彼らともう少し距離を開けたいところだ。妖精の首飾りが獣なり人なりを追跡する場合、風魔法を用いることで通常の数倍の距離を取っていても悠々と追跡ができる。そのためここまで距離を詰めた追跡は慣れていないのだ。


『大丈夫?彼ら声はしっかりとあなたにも届いているかしら?』


「うん。ちゃんと聞こえているよ。…凄いね。ハルトはこういうことが苦手みたいだから、初めての感覚かも」


 ナナの耳に風に乗った声が届く。その声はいまだ応接室でメルルとルミエと共にいるイブキの声なのだが、ナナの耳にはイブキの声だけでなく前方を歩いているテルマ神殿長と男達の声も届いているのだ。


 ハルトも遠くの声をナナの耳に届けることは問題なくできる。しかしそれは彼女がハルトの側にいるときに限った話だ。いまイブキがおこなっているのは、イブキから離れた所の声をそのまま別の離れたところに送るという中々に繊細で高度な魔法だ。


 ハルトもハーフリングだけあって風魔法の制御能力は高いのだが、どうにも風が荒々しいため声を送るという特に細やかで低出力の風魔法は実は苦手としているのだ。ハルトが大音量のフルオーケストラなら、イブキは繊細なピアノのソリストだ。制御能力の差は無くても、どうにもそれが向うベクトルが異なっている。


 だからこそ、ナナはハルト以外の行使する風魔法を受けて、妙に違いが出るものなのだなと感心したように遠隔の声送りを楽しんで見せた。…単にハルトが得意では無いというわけでなく、大抵、ナナがハルトの側にいるため、こんな魔法を使うこと必要性が無いということもあるのだが。


『私も魔弩フリューゲルを向けているから、そこまで距離を詰めなくても平気よ。なにかあったら直ぐにこっちからも声を掛けるから』


「うん。ありがと。でも、テルマ神殿長を確実に守れる距離には居たいから、この距離で大丈夫だよ」


 先ほどの弱気な台詞を聞いたからか、イブキがもう少し距離を開けても問題ないと気を使ってくれるが、ナナは申し訳無さそうにしながら先ほどの発言を撤回するように意気込んで見せた。


 いつもの追跡のように離れていても風で状況を知ることはできている。しかし、それでもいつもとは違って追跡対象との距離を詰めているのは、何かあった時にすぐさま介入できるようにするためだ。


 対象にばれない様に、それでいて確実に守れるように近くに居なくてはならない。だからこそ、テルマ神殿長が彼らと共に向かっている蔵に先んじて潜んでいるのではなく、こうやって苦手ながらも後ろを着けるような真似をしているのだ。


 特にイブキでも遠隔で音消しの魔法は難しいようで、ナナの鳴らす物音を阻むものはない。そのため、音を立てぬようにと妙に緩慢な動作でナナは足を進めてゆく。彼女がやりにくいと評したように、四人の男達は周囲をつぶさに観察しているが、それは警戒のためでは無く、どこかにいるであろうルミエを探るためのものだ。そのこともあってナナの存在は未だにばれてはいない。


『もうそろそろ、彼らが蔵に入るわ。中に入られると、私の魔弾は手出しできなくなるから…、よろしくおねがいね』


「そこは心配しなくても大丈夫。追跡と違って捕り物は得意だよ」


 狭い密室に護衛対象の老女一人に制圧対象の四人の男。こちらが先制して仕掛けられるといっても中々に難しい状況だ。少しでも梃子摺るとテルマ神殿長が人質に取られる可能性もあるし、かといって派手な攻撃をもちいると今度はテルマ神殿長が巻き込まれてしまう。


 客観的に見れば、一人に任せるには危険に思える状況であるためイブキの声をどこか心配そうである。…だが、その心配は不要だとナナの幼馴染であるメルルの独白が、微かにだがナナの元に届く。向こうの会話はナナには届かないように制御されているのだが、僅かに聞こえた声からでも何を言ったか分かるほどナナとメルルの付き合いは長い。


「私が…守護まもらなきゃいけないね…」


 幼馴染にも応援され、ナナは意気込みながらゆっくりと蔵に近づく。すでに男達は蔵の中だ。ここであれば中で何が起きても外に漏れ出すことは無い。彼女は予想される状況を脳内で何通りも回想しながら、彼らが入っていった蔵に物音を立てずに身を滑り込ませた。


「荷物ってどれです?ああ、教えていただいたら後は自分達でやりますよ。お忙しいでしょうから、任せてください」


「あら。悪いわねぇ。それじゃ、ええと…運ぶ必要のあるものは…」


 扉を潜ると、先に入ったテルマ神殿長と四人の男達の会話が直接ナナの耳に届く。


 蔵の中には埃を被った古臭い荷物が押し込まれていたが、なにも時代に取り残されているのは物品だけではない。蔵の外は春先の暖かさが訪れて来ているが、蔵の中の空気は異様に冷え切っている。春の訪れとともの消え去った冬が、この薄暗い空間の中には未だに取り残されているのだ。


 そんな空気の境を越えながら、ナナは静かに鋭く男達との距離を詰めた。男達は未だにナナのことには気がついていない。


「ぃうッ…!?」


 一手。まず一番手前にいた男に背後から忍び寄ると、左手口を塞ぎながら腎を鉄槌打ちで鋭く打ち抜いた。締め落とすには時間的余裕がないため少々手荒だが、これで暫くはこの男はまともに行動が取れない。


「んん…?ッカァ!?」


 二手。一人目の男はできる限り静かに静かに仕留めたが、それでも僅かに漏れ出た音に男達が振り向いた。だが、彼らが振り向くことを予期していたナナは既に拳を放っている。まるで偶然が重なったかのように、ナナの振りぬいた拳の先にはちょうど男の鳩尾が合わさった。


「誰だっ…ッグゥ!」


 三手。いきなりの出来事に後退りした男をあえて押し込む。それだけで重心が後ろに向いていた男は、背後にあった荷物に躓いて仰向けに派手に倒れた。そしてついでと言わんばかりに、ナナは男を押し込む反動を利用して、最後に残った男に向って横蹴りを叩き込んだ。


 彼女の鋭い身のこなしに風がおき、蔵を照らしていた蝋燭の明かりが揺れるように瞬く。その僅かな光の揺らめきが元に戻ると、そこは既に形勢が決していた。


 ナナはまだ比較的元気な仰向けに倒れた男に詰め寄ると、胸倉の服を捻りあげるようにして締め落とす。そして事後処理と言いたげに、テキパキと痛みに呻く男達を持ち込んでいた縄で縛り上げていった。


「テルマ神殿長。お怪我は…無いですよね?」


「…お見事。随分と手馴れているのですね。瞬きをする間に終わってしまいました」


 有無を言わせず四人の男を屠って見せたナナにテルマ神殿長は簡単の声を漏らした。まさかまだ若い女性であるナナがここまでできるとは思って居なかったのだろう。現にテルマ神殿長はこっそりと懐に刃を仕込んでいたのだ。


 ナナが用いたのは騎士の組手術だ。彼女は火傷のせいで貴族令嬢としての未来が絶たれたとき、真っ先に挙げたのは狩人ではなく騎士の道だ。たしかに顔や体に火傷ができたときには落ち込んだものの、彼女には騎士への憧れがあったから直ぐに立ち上がることができたのだ。


 そして彼女には騎士としての適正もあった。一つのことに打ち込み、石を玉にするほどひたすらに磨き上げる性格の彼女には、社交だの流行だのは煩わしい些事にしかならなかったが、騎士の剣を極めるにはその性格が非常に向いていたのだ。


 愚直なほどに繰り返された修練の結果、彼女の戦闘には迷いが無い。常に手元には様々な状況に対応できる豊富な手札が揃っており、彼女は悩む事無く淡々と最適解を切っているにすぎないのだ。


「みんな。全員捕らえたよ。問題が無ければこっちに来て手伝ってね」


 騎士の戦闘術という王道故に揺るがぬ強さを見せ付けた彼女は、声だけは歳相応の可愛い声で、風を通してこちらを窺っている仲間に向けて合図を送った。


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