第378話 鎧の摩れる音
◇鎧の摩れる音◇
「ごめんなさいね。慌しくて。街のほうも随分と混乱しているみたいで…。…そちらの子もあなた方のお仲間でしょうか?」
ノックの後に部屋に入ってきたのは、この竜讃神殿の長であるテルマ神殿長だ。テルマ神殿長はイブキの姿を見詰めると、見定めるように目を細めたが、場の雰囲気からして俺らの仲間だという事は理解したのか、品の良さそうな微笑を浮かべた。
そしてイブキと一緒に戻ってきた俺にも笑みを向けると、小声で窓から出て行ったことを軽く咎めるように文句を呟いた。…窓は風の通り道なのだから、ハーフリングが通ることは何もおかしくは無い筈だ…。しかし、そう言い返したところでイブキ以外は味方になってくれないので、俺は素直に謝罪した。
「この神殿の…、拝殿でいいのかしら?そこに随分と人が集まって来ているわね。…問題は無いのかしら?」
「彼らも身を守るためにここに避難してきたのです。護衛のあなた方からすれば人は少ないほうがよいのでしょうが、逃げてきた者達を締め出すわけにも行きませんので…」
俺と同じように風で神殿内部のことを把握しているイブキが、一般人が集まって来ている拝殿の様子に警戒心を向ける。勇者の目的であるルミエがいるため、竜讃神殿は戦いに巻き込まれる可能性が高いのだ。
もちろん、ルミエが光の女神の教会から竜讃神殿に戻っていることを知る人間は少ないため、真っ先に狙われると言うことは無いだろうが、光の女神の教会に居ないとなると、次に予想される隠れ場所は間違いなくこの竜讃神殿だ。
しかし、テルマ神殿長の言うとおり避難を受け入れないという訳にもいかないだろう。教会や神殿は神に祈り奉る場ではあるが、同時になかば公共的な施設としての位置づけでもあるため、非常事態には避難所として使われることもあるのだ。
「ハルト。外の様子はどんな感じ?…まだ安全そうかな?」
「神殿長の言ったように混乱している騒がしさはあるが、今のところは問題は無さそうだ。…ここからなら光の女神の教会もよく見える。ルミエを探っている奴等は見当たらないな」
「あのぉ…、やっぱり光の女神の教会も襲われそうなんですか…?」
窓から光の女神の教会の方を観察する俺にルミエが困り顔で尋ねてきた。勇者がルミエの身柄を狙ってくるなら、真っ先に訪ねるのは今までルミエが匿われていた光の女神の教会だ。それを明言しなかったものの、語り口から察したのか彼女は酷く居心地が悪そうにしている。
…嘘をついてもそのときが来ればばれてしまうだろう。これが貴族のお嬢様であれば守られる側の矜持もあるのだろうが、その存在が重要視されている巫女とはいえ、彼女は単なる一般人だ。自分の身柄を争って方々が争いに巻き込まれていることが申し訳ないのだろう。
「ルミエ。いいからあなたは自分の見の心配だけしていればよいのです。…間違っても自らを差し出して争いを諫めることはお止めなさい。それはあなたに協力する全ての者に対する侮辱になります」
俺の心配ごとを察してか、あるいは彼女も同じ事を感じ取ったのか、テルマ神殿長はルミエの前に座り込むと、彼女の手を両手で包むように握り、目をしっかりと合わせながら教え込むようにそう言葉をかけた。
ルミエはその言葉にうろたえるような素振りを見せたものの、何かを決心したのかしっかりと目を見詰め返して頷いた。
「ルミエさん…!大丈夫ですよ…!光の女神の教会の者はそう簡単には死にません…!人の傷を癒すものは…、いつだってその身は戦いを隣人としますので…!」
タルテも励ますようにルミエに声を掛ける。安心していいのかどうか迷う励ましの言葉だが、彼女の言うとおり光の女神の教会に所属するものは武闘派が異様に多い。命を粗末にする奴なんてぶっ殺してやると言いながら襲いかかってきてもおかしくは無いのだ。
それをルミエも知っているのか、あるいは龍たるタルテの言葉だからか、ルミエの表情は幾分か和らいだ。
「…それで、どうするつもり?この状況なら私も協力はするけど、このままここで敵が来るのをただただ待つつもりかしら?護衛の本質は戦いを避けることなら、怯えて篭るだけが最善策とは限らないんじゃない?」
「そうですわね…。今この状況が勇者の企みの一画であるというならば、ここで安易に過ごすのはかえって危険かもしれませんね」
もともと、警鐘が鳴らされた時点では状況が読めなかったために、場当たり的な対応として避難していたに過ぎない。それが、イブキの情報によってある程度向こうの企みを知ることができたのだ。
「だけど、逃げようにも海賊のせいで街門はどこも閉まってるんだよね?街から出られないんじゃ、不用意に出回ることの方が危険なんじゃないかな」
ナナはイブキとは反対の意味の言葉を口にする。ここに篭っていれば襲われる可能性があるが、不用意な状況下で襲われることは避けることができる。
「…抜け道は無いのかしら。城壁さえ抜ければ、私がハルトとしたように小舟を奪って早々に街から抜け出せるはずよ。…向こう岸に渡ってしまえばこっちのもの。海賊共も内陸までは追って来れないでしょ」
そんな事をしていたのかとナナとメルルの視線が刺さるが、俺はその視線をかわす様にしてイブキに言い返す。
「そう簡単に言ってくれるなよ。タルテの魔法を使って壁を登るにしても時間は掛かるし、何よりあの小舟だって戦場となっていた港だから拝借できたんだ。…少なくとも俺が入国した地下港からの脱出は難しいな。手軽に借りられる船なんてどこにも無かった」
襲われることがほぼ確定しているのであれば、不法出国や不法入国などはどうとでもなる。…いや、どうとでもなると言うほど簡単ではないが、サフェーラ嬢に執り成してもらうにしても建前は重要なのだ。
しかし身軽な俺やイブキとは違って、城壁を越えるにはタルテの魔法で足場を作り、そこをひたすらに登る必要があるのだ。そこまで目立つ行為をすれば勇者に見つかる可能性が高い。そして上手く越えたところでそこに都合よく舟があるとは限らない。こっそりと抜け出す場合には取れる手段だが、追われる状況下では無茶が多い。
…今、余裕のあるうちに逃走経路を探しておくか?最悪、護りきれる状況でなくなったときに取れる手段は増やしておきたい。
俺は光の女神の教会の建物を観察しながらも、その手段について考える。しかし、テルマ神殿長のノックが俺らの会話を一時的に止めたように、風に乗って届いた音に俺の考えが中断される。金属と金属が擦れ軽く打ち合う音。酷く聞き慣れたその音は光の女神の教会よりも近い位置から鳴っていた。
その音に対する返答と言いたげにイブキが魔弩にボルトを込める。カチャリと更に近いところから鳴ったボルトの装填音は、風に乗ってきた金属音と同じ、戦う者が鳴らす音だ。
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