第375話 今、攫いに行きます
◇今、攫いに行きます◇
「…他の子達は護衛対象のところ?助けて貰っといてなんだけど…、早めに戻ったほうがいいわ。少し嫌な情報があるの」
水面を滑るように進む小舟の上で、イブキが困り顔で語りかけてくる。彼女は略奪に勤しんでいる海賊たちを見ながら、街の状況を確認するかのように見渡している。その視線は単に観察をしているのではなく、何かを探しているようにも思えた。
その視線を辿るように舟が進んで行く。あいにくと、俺がイブキを迎えに行くために出航した港はより海賊と護衛の戦闘が激しくなってきているため、俺らはそのまま港を避けて何にも無い城壁の方へと進んでいった。なにより、ブルフルスの街は海賊の襲撃により警戒態勢であるため、このまま港に向ったところでそう易々と街の中には入れてはくれないだろう。よくて戦闘が終わるまで拘留されるだろうし、悪くて海賊の仲間と思われて戦闘に発展するかもしれない。
だからこそ、兵士に見つからずに侵入できる場所に向ったのだ。河口に面していた港から逸れた俺らが行き着いたのは、街を囲む背の高い城壁の中でも特に堅牢で、見上げるほどに城壁が高く伸びている箇所だ。俺らはその垂直に伸びた城壁の岩に、舟の横腹を擦るようにして停泊する。
港とは違い、そもそも人が入れるような構造になっていないため、ここには壁しか存在しない。それに、大型の船を横付けしたところで入ることの適わぬ高さであるため、ここを監視している人間は見当たらないのだ。現に海賊も港を制圧して中に押し入ろうとしているばかりで、こんな壁には見向きもしていない。
「急いだほうがいいならさっさと登っちまおう。何か情報があるなら、戻りがけに話してくれるか?」
「ええ。ついでにそっちもどんな状況か教えてもらえるかしら。私が案内する予定だった子は無事なんでしょうね」
しかし、ここから侵入が不可能というのは普通の人間に限った話だ。身軽も身軽、風が吹けば飛んで行ってしまうほどのハーフリングだったら、こんな壁でも立派な侵入経路だ。武力によって押しとおろうとしている海賊たちを野蛮な奴等だと言いたげに、俺らは静かに、そして素早く城壁を駆けるように登っていく。
水面から伸びる垂直の壁を、俺とイブキは数呼吸のうちに飛び越えた。そしてそのまま、城壁から背の高い尖塔に向けて飛び移ると、一端足を止めて、街の様子を見渡すように見渡した。
「んで、どうしてまた海賊船に?船旅を楽しむにしても、随分と過激じゃないか。まさか人攫いにあったわけじゃないよな?」
「調べごとよ調べごと。…勇者の話は何か聞いてる?」
建物の屋根の上を駆けながら、俺とイブキは情報のすり合わせを行う。案の定、彼女もまたサフェーラ嬢の手によって、今回の件に噛まされていたらしい。俺は今護衛対象が置かれている状況と、勇者の動向について説明する。
「私の方が調べた情報と違いは無いわね。…把握しているかどうかは知らないけれど、あの海賊は勇者の一味よ。わざわざ本拠地まで行って調べてきたんだから」
「…それで海賊船に乗ってたのか…。随分と無茶なまねを…」
イブキは自分の成果を誇るように述べたが、俺は見つかってしまったからか船の上で逃げ惑っている姿しか見ていないので、どうにもその得意気な顔が微笑ましく思えてしまう。
内心はどうあれ俺が黙っていると、俺が情報を催促していると思ったのか、イブキは調べてきた情報を俺に明かしてくれる。…思いのほか勇者は好き勝手をしているらしい。後ろ暗い商売ではあるが、顧客の中には地位の高い人間も多く、なにより唯一神教会が後ろ盾になってくれているのが大きいようだ。
…そして勇者が海賊を汚れ仕事をする武装組織と扱っているように、唯一神教会にとっても勇者は都合のいい武力のようだ。彼女が語った犯罪の証拠の中には、どう考えても唯一神教会が相手と思われる取引も存在しているのだ。
「この襲撃に関してもご丁寧に勇者からの指示書が保管されていたわ。他の書類は一端、協力者に任せてきたのだけれども、この襲撃のものは必要になるかもしれないから持ち出してきてるの」
「協力者?ソロのイブキが珍しいな」
「ソロだからこそ、固定じゃなくて色々な人と組むものよ。むしろ、その時々で最も効率の良い編成を整えたいからソロでやっているの」
そう言いながらイブキは丸めた書類を取り出して、バトンのようにして俺に受け渡す。俺は走りながらもその書類を広げ、無いように目を這わせた。
そこに書かれていたのは、勇者が海賊達に出したブルフルスを襲う段取りの指示だ。商船の強奪や奪いきれぬ船の破壊など幾つかの目標が書かれているが、その目標の一つに彼らが聖女と呼ぶルミエの身柄を押さえることも書かれている。
「海賊を率いて攫いに来るとは、随分と初っ端から思い切ったことをするもんだな。拒否されないために脅しを掛けてるつもりか?」
「そうね。ちょっと踊りに誘うにしても、あまり強引な人は好みじゃないわ。そのルミエって子がどうかは知らないけれども…」
少なくとも、勇者からルミエにお誘いの言葉は来ていないと聞いている。有無を言わさず、いきなり攫いに来るとは中々勇者は大胆な行動力をしているようだ。…勝手に家に押し入って強盗行為に勤しむのはどこの世界の勇者でも変わらないのだろうか。
「それで、勇者の方はあの船に居たのか?それなら戦力を多少回しても上陸を阻止させたいところなんだが…」
「残念ながら、それには書いていないけれども勇者は別行動よ。…だからこそ少し焦ってるってわけ。これ見よがしに港を襲い始めるなんて、ちょっと…ねぇ…」
「あぁ…。陽動か。港に街の戦力を集めさせて、その隙にまんまとルミエを攫いに来るってわけか…。まぁ、まだナナの合図が出ていないから無事だとは思うが…」
手渡されている書類には勇者も立ち会うことが書かれてはいるが、イブキが言うには船には乗っていなかったという。…たしか、ノードリム助司祭も勇者は陸路で向かっているようなニュアンスで話していた気がする。
それならばあの海賊を陽動とするのはありそうな話だ。神殿の位置も襲われている南の港とは逆の北側だ。どの道、イブキの齎してくれた情報を信じる限り、ルミエが襲われるのはほぼ確実といったようなものだ。俺は瓦を割らぬようにと加減していた蹴り足を強くし、神殿へ向けて屋根の上を駆け抜けた。
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