第374話 今に至った彼女の話

◇今に至った彼女の話◇


「上手い隠れ場所だと思ったのだけれども…。まさか盗み飲みにくる奴がいるとはね…」


 海賊に追い立てられ、見張り台の上まで逃げ込んだ私は自分の運の無さにため息を吐き出した。


 私が隠れ場所に選んだ樽は船旅の間、全く見つかることが無かった。もちろんそれはたまたまなどではない。彼らの船旅の計画を盗み見たカクタスによって、彼らの行動はある程度知ることができているのだ。


 今回、彼らはブルフルスの街を襲い、あわよくばそこに停泊している商船をそのまま強奪する目的もあるようで、私が隠れた樽はその奪った船にて用いるためのものだ。というのも船を奪えてもそこに食料が無い可能性がある。もちろん、食料も奪えるなら奪うつもりなのだろうが、もし奪うことが適わなかったときのために用意された非常用の食料が私の紛れた隠れ場所だ。…海賊のくせに、妙な所で計画的な奴等である。


 船を奪った後に積み替える予定の食料であるため、行きの船旅では誰も手をつけず見つかりそうになる気配すらなかった。しかし、街との戦端が開かれ暫くすると、こっそりと飲み食いをしに来る奴が現れたのだ。大方、人が借り出されて監視の目が緩んだ隙に美味しい思いをしようとしたのだろう。積み替えるための食料に手を付けようとしたのは、積み替えのゴタゴタで盗み食いしたことが露見しないと考えたからか…。


 ともかく、あとちょっとのところで邪魔が入った。逃走のための船が破損したことといい、どうにもすんでのところで悪いカードを引いてしまっている。


「ここからなら、泳いで渡れるかしら。…いえ、それじゃ弓矢のいい的ね。せめて集まって来ている海賊を片付けてからじゃないと…」


 いくらなんでも泳いでいる最中に風魔法を使う余裕は無い。ともすれば、無防備な状態で弓矢の雨に晒されることとなるだろう。それに、陸との距離を考えると、体力的にも泳ぎきれるかどうかが不安なところだ。


 かといって、多数の海賊に囲まれているこの状況はジリ貧だ。隠れ潜み、知られぬまま敵を穿つ私にとって、見つかってしまっているこの状況は既に負けているようなものだ。しかも敵の数が多い。魔弩の弾数には限りが在るし、私の近接戦闘能力は素人よりはマシと言う程度。全員を殲滅して、悠々とこの船を陸地へと向わせるのは不可能だろう。


 …この際、どうにかして船に火をつけようかしら。それどころじゃなければ、私に構っている暇はないでしょう。


 しかし、私の悩みを吹き飛ばすように、事態が好転する兆しが現れた。脱出用の船が壊れたり、食い意地の張った船員が盗み食いに来るなど、不運が問答無用に押しかけてきたように、打開策の方も押しかけるように私の元へと押しかけてきたのだ。


「…。そう言えば、私の代わりに来てるんだったわね。…相変わらず乱暴な風だけれども、あの出力は羨ましいわね」


 どうにかして状況を変えられないかと周囲を探っていた私の風が、唐突に別の風を感じ取った。いや、感じ取ったというよりは、強引に私の風の領域に侵入してきたといったほうがいいだろう。暖かく、穏やかに見えても、実際は最も強く吹き、冬さえも吹き飛ばす春風が迫って来ているのだ。


「総合的には幸運の方が勝ってたみたいね。…これでようやく陸地に向えるわ」


 そう言って私は、こちらに迫り来る白波の飛沫を静かに見詰めていた。



「帆なんて張ってる暇はねぇな…!というか、そもそも帆柱もないし、直接舟を押し出すか…!」


 沖合いに停泊している海賊船ではイブキが奮闘している。どうにも細かな状況は知りえないが、彼女の戦闘スタイルからして、あまり余裕のある状況とは言えないだろう。


 俺は港で争う者達を尻目に、傍らに停泊していた小舟に乗り込んだ。沖合いに停泊している海賊船はもちろん、上陸のために使用しているガレー船と比較してもまだ小型。それこそ、四、五人を乗せるだけで精一杯の超小型の舟だ。


 俺はまるで自身が加速するときのように、船の前方で空気を圧縮させ、それを後方に流してから一気に炸裂させる。帆で風を受けて進むのではなく、舟に直接風を受けて推進させる。連続で炸裂する空気は、舟の後方で水飛沫を上げながら、舟を強引に加速させていく。


「随分と駆けてくれるが、とんだじゃじゃ馬だな…!いや、まぁ、全ては俺の制御能力に掛かっているんだが…、魔法だけじゃちょっと厳しいな…」


 炸裂する風が爆音を響かせ、周囲の注目を集める。しかし、そんな視線を振り切るように俺の舟はどんどんと加速していく。見かけは観光地の池にある手漕ぎボートだが、挙動は完全にジェットスキーだ。


 ものの数十秒でイブキの居る海賊船に接近していく。近づくとイブキの展開している風を感じ取ることができた。俺の風とは違い、どこか爽やかでありながら蕭条と吹く風は秋風の彼女らしい。緻密に制御されながらも、変化に富んだ豊かな風だ。


 ここまで来れば互いの声が容易に届く。しかし、その必要は無いと言いたげに、見張り台にいる彼女は両の目で俺の方をしっかりと見据えていた。


 だからこそ、どうするかなんて口にすることは無かった。お互いの動きはそれぞれが纏う風が教えてくれる。俺は速度を緩めることなく海賊船に迫り、それに合わせるかのようにイブキは見張り台から飛び出した。


 まるで重力を忘れた猫のように、イブキはマストを支えるロープステイタックルの上を駆け足で綱渡りをする。そして容易く船首の先の棒バウスプリットまで到達すると、そのまま海に向けて飛び込んだ。


 もちろん、海に着水する前に俺がそこに滑り込む。多少、タイミングがずれたが、俺が好んでするように、イブキも風で軌道を制御しながら、上手いこと船の上に着地してみせた。


「あら、奇遇ね。悪いけれどちょっと乗せてってくれない?」


「…まぁ、女の子が一人泳ぎするには危険な海域だからな。送ってってやるよ」


 軽口を叩くも、イブキは酷く疲れた顔をしながら休息するようにため息を吐き出した。何とも無いように振舞う軽口ではあったが、やはり状況は芳しくなかったらしく、彼女は言い終わりに小さくありがとと呟いた。


 …ブルフルスまで戻るのに風の制御を手伝ってもらうつもりだったのだが、ここは少し休ませてあげよう…。


 俺は彼女の様子を一瞥すると、帰還するために舟の進行方向を変え始めた。進路を変える方法は、曲がりたい方向の海面に向って拳を突っ込むことだ。走行中の舟から海面に手を翳したことで、白波が飛沫となって空中に舞う。


「…ちょっと。もしかしてそれで舵を切ってるの?…なんで魔法は随分とデキがいいのに、そんなところで適当なのよ…!?」


「しょうがねぇだろ…!手漕ぎの舟だぞ?舵なんてついて無いんだから俺が舵になるしか曲がる方法が無いんだよ…」


 舟の進行方向をコントロールしようにも、後方で爆ぜさせている風を左右に移動させれば、舟の横腹に衝撃を受けることとなるため、転覆してしまう恐れがある。それに風の勢いも強いため、たとえ転覆しなくても、曲がるのではなく独楽のように回ることとなってしまう。


 推進のために爆ぜるような出力で風を扱っているのに、そこで進路を整えるためにソフトタッチするような繊細な風を同時に操るのは正直言って面倒臭い。だからこそ、手っ取り早く肉体で制御しているのだ。


「あきれた。…ほら、ちょっと風を貸して。私が進路と舟の姿勢を調整するから、あなたはとにかく舟を前に進ませなさい」


 …颯爽と駆けつけて助け出したはずなのに、妙に呆れられた視線を受けながら、俺らはブルフルスに向かって舟を邁進させた。


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