第373話 今に向う彼女の話
◇今に向う彼女の話◇
「それで…。何か申し開きはあるのかしら。確かにあなたは船のあつかいは任せろと、これでも経験があるのだと誇るように語ってたわね」
私は目の前の惨事を見詰めながら、カクタスを責めるように睨みつけた。…私も納得して任せていたため、彼だけが悪いとは言えないが、ああも得意気に語っていたこととの落差でつい責めたくなってしまう。
「いや、確かに言ったが…。…これは単について無いだけだろ。もっと海に詳しけりゃ予期できたかもしれねぇが…」
海賊たちの島に忍び込み、目当ての証拠…、違法な取引に関する契約書の類は手に入れることまでは上手くいった。もちろん、数枚の書類が消えただけで私達が忍び込んだ痕跡は残っていないし、建物からも見つかる事無くお暇することができた。
多少、行き当たりばったりではあったが、予想以上の成果を上げられたのだ。それこそ、わざわざこんな海の真っ只中へと船を乗り出した甲斐があるというものだ。
だがしかし、その船に問題があった。私達をここまで乗せて運んでくれた船は、今目の前で磯の岩に持ち上げられるようにして転覆しているのだ。その傾いた船は無茶をさせてここまで来たからか、酷く草臥れているようにも見えた。
「こりゃ駄目だな。船底に岩が食い込んだせいで割れかけてやがる。…まさかこんなにも水嵩が減るとはなぁ…」
「ちょっと…!どうするのよ!…まさか泳いで帰るなんて言わないわよね…!?」
海は湖とは違い時間によって水の嵩が変わるらしいのだが、目の前の惨状はそれが原因だ。…カクタスは船が流されぬように、船の先端と岩場を紐できつく結んでいた。その甲斐もあって船は流されることは無かった。水が引き、海の底に沈んでいた岩が水面より姿を現してもそこに繋がれていたのだ。
結果、鋭い岩が船の底板に食い込むこととなった。泊めたときはちょうど満潮だったのか、時間のたった今となっては私よりも背の高い岩が船を持ち上げている。無理に引き出せば再び海の上に戻るでは在ろうが、カクタスの言うとおり岩が食い込んだせいで底板が歪んでいる。数刻は持つかもしれないが、確実に港湾都市に帰るまでに沈んでしまうだろう。
船頭多くして船山に登るという言葉を聞いたことがあるが、まさか船頭が不在にしてても岩の上に登るとは思ってもいなかった。
「どうするったてよぉ…。傭兵団の船は三人で動かせる代物じゃないしな…。首尾よく奪えても意味が無い…。…そこらの木で筏でも作るか?」
「そんなんで海を越えられるわけ無いじゃない…!…ああもう。ここまでは上手く行ってたのに、逃走手段がこんなことになるなんて…。ほんとツイてない…!」
「そう言えば最後まで気を抜くなとも教えたな。巣に帰るまでが傭兵業だ」
実際問題、かなり不味い状況だ。船が壊れたことで、この島が天然の牢獄になってしまっている。…資材や道具の類は海賊どもの拠点から拝借することもできるが…、そこまですれば確実に私達の存在が露見してしまう。
「…ねぇ。あなた、さっきの建物で奴らの予定を見てたのよね?次の出発の時間はいつかしら…」
「んあ?明日の朝一番に出るみたいだが…。…もしかして密航するつもりか?」
カクタスが私の考えを変わりに口に出した。そもそも、私達の取れる選択肢はそこまで多くは無い。自分たちの手で船を作り出すことも、手に入れることも難しいのであるならば、最後に残る選択肢はあいつらの船にお邪魔するしかない。
…問題はどうやって乗り込み潜んでいるかだけど…。私ならばそう難しくは無い。もとより、山の狩りでは魔弩を伏せ打ちする姿勢で一日以上動かず只管に機会を待っていたこともある。するのは最低限の呼吸だけで、飲食も排泄も忘れて木に化けるようにして山の一部になる。それができる私ならば、樽の中にでも隠れて長時間じっとしていることもさほど苦ではない。
だが、この二人がそれをこなせるだろうか。暫く付き合って来て分かったが、この二人はとにかく落ち着きが無い。建物を物色しているときも、忍び込んでいると言うのに、静寂に耐え切れずお喋りを始めてしまうほどなのだ。
「そ、その…。厳しいんじゃないかしら。上手く行く見通しの無い密航は、流石にリスクが高いんじゃない?たまに密航しようとした人間が放り出されて海魔の餌になった話を聞くわよ?」
本人も自信が無いからか、ヴェリメラが多少慌てながら反論する。しかし、彼女も取れる手段が限られていることは理解しているようで、否定しながらもばつが悪そうにしている。
「心配しなくていいわ。密航するのは私だけ。当たり前だけど、三人で密航すれば、見つかる可能性は一人の時の三倍よ。…陸に帰ったら私の方で迎えの船を寄越すから、二人はこのままここで見を潜めていて」
何も見つかる可能性の高い二人を切り捨てたわけではない。三人が助かるにはこれが一番確率が高いと判断したからだ。
「ま、お前がそれで助かるなら止めはしないけどよ。ただ、…お前が確実に助けを寄越す保証はあるのか?」
カクタスが鋭い目付きと共に低い声で私にそう言った。私と二人はしょせん目的を一緒にした即席のチームでしかない。カクタスが私の行動を疑うのも無理は無い。むしろ、私だけでも逃げることを了承している当たり、意外と私のことを気にしてくれているらしい。
「保証はヴェリメラの持っている書類よ。流石にここまでしたんだから、手ぶらで帰るわけにはいかないじゃない」
「…別にそこまで私達の身を案じなくていいわよ。いくら一緒に行動しているといっても自助自立が傭兵の基本。歳下の女の子に危ぶまれるほど落ちぶれちゃいないわ」
「別にそんなんじゃないわ。どの道、密航するのに荷物は減らす必要があるもの。その書類は二人に預けておくわ。…もちろん、独り占めなんて許さないから」
私が確実に助けに来るから安心しろと言うと、ヴェリメラも気にするなと言葉を返した。…できれば証拠の書類をどう山分けにするかも話し合いたかったが、明朝の出航だというのならば、忍び込む時間的余裕も無い。
私は特に別れの挨拶などはせずに、二人の元から離れる。そして、再び海賊の拠点へと戻ってくると、船に積み込まれていく荷物に混じるようにして、ひっそりとその身を船の中へと移した。
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