第372話 微かに前の彼女の話
◇微かに前の彼女の話◇
「おい、見てみろよ。こりゃ金になるぜ。海賊にはお宝がつきものだが、こんな形でお宝があるとはな」
部屋の中を見渡していたカクタスが、ふと視線を動かすのを止めてそう呟いた。彼の視線の先には壁に向けられており、そこにはよく分からない文様の絵が貼り付けられている。
「お宝って…。単なる紙じゃない。私はお宝なら宝石がいいわ。折角、宝石の街に行ったてのに、禄に買い物できなかったんだもの…」
「馬鹿いえよ。いつだって情報は金になるって教えただろ。…一枚ぐらい貰ってても構いやしねぇよな…」
カクタスが壁にかけられた地図のようなものを見て、顎に手を当てながら値踏みをしている。気になって私もそれを見るが、何が書かれているがいまいち理解することができない。それはヴェリメラも同じようで、彼女も私と同じように壁の何かを見ても首を傾げているだけだ。
…まさかこの男に知識で負けることになるとは…。私は悔しい気持ちは顔に出さず、カクタスの方へと目線を投げかけた。
「こいつは近海一帯の海図だぜ?…季節風に海流の方向、沿岸の地形…。これだけ細かいのは貿易商船ですら持ってねぇ。言い値で買ってくれるだろうよ」
「そんなに上手くいくかしら?出所が不確かなんじゃ買い叩かれるんじゃない?」
「そりゃ初心者にはこれが正しいかなんてわかんねぇだろうが、これを欲しがるような奴は別だろ?多少なりとも知識がありゃ、真偽は分かるってもんよ」
地図と言われても合点がいった。普通の地図…、陸地を描いた地図とはだいぶ毛色が違うけど、確かに狩人が山の地形を書き記す精巧な地図と書き方などが似通っている。…これが海にて迷わぬ導、命を助けるための地図だと言うのならば、カクタスの言うとおりお金を出す人は多く居るはずだ。実際、狩人同士で山や森の地図を売り買いすることはよくあるのだ。
だがしかし、それを吟味するのは今ではない。私はため息と共に二人に向かって声を掛けた。
「ちょっと、いつ戻ってくるか知れたものじゃないんだから真面目に探しなさいよ。…それにそんな壁にでかでかと貼ってある物を頂くわけにはいかないでしょ?バレたらどうするつもりよ」
「あ、ああ。悪い悪い。つい、ちょっとばっか欲が出てな。…だがかまわねぇだろ?小さいとはいえ俺らの船の方が速度が出るんだ。脱出さえできりゃ、見つかったところでもんだいねぇよ」
「確かにあなたには情報はお金になると教わったけど…欲をかいた奴から死んでいくとも教わったわね。…カクタス。その地図には触れずにさっさと探しましょう」
二人が真面目に探し始めたことで、紙の摩れる音が重なって部屋に響く。麦の注文書に納品届け。価格交渉の契約書に紹介状。意外にも商人として汚くない仕事もしているようで、これだけを見れば正規の商会の執務室のようだ。だからこそ探すのに手間が掛かる。この部屋に金庫しかないのであれば直ぐにでも目処が付くのだが、大量の書類が目的である犯罪の証拠を覆い隠すベールとなっているのだ。
「ほぉ。どうやら次の目的地はブルフルスの街みたいだな。ここに運行予定表と海図に書き込みがある。…てことは案内してくれた男が持っていったのは積み込む消耗品のリストか?」
…真面目に探し始めたというのは間違いかもしれない。カクタスは探し物をするのに気もそぞろの状態で、たまたま目に入った書類に意識を奪われ、壁の海図と見比べている。恐らく、脳内で海のたびを思い描いているのだろう。…この男はアレだ。部屋の掃除をしていたら途中で別のことをし始めるタイプだ。
「ふぅん…。ブルフルスって帰るときに通った国境の街だったかしら…。彼らは何しに行くつもりかしら」
カクタスの言葉にヴェリメラは自分の手は止めずにそう答えた。カクタスの方を一瞥もせずに適当に答えているその様は、随分と長い連れ合いなのだと示しているようにも思えた。
「ぁあ…。理由はよくわかんねぇな。どっかに書いてあっかな?…いや、ねぇみたいだな。ここに次の船旅の書類は纏まってるみてぇだが、あるのは船旅に関してだけだ…」
「あら、そうなの。…意外に几帳面よね。…こっちもちゃんと種類別に纏められてるわ」
互いに大して意識を割かずに喋っているようで、どこか声が滑って聞こえる。恐らく数刻もすれば自分たちが何を喋っていたかも忘れているような会話だ。意思疎通が目的の会話というよりは、静寂を疎むために適当に思ったことを取り留めなく喋っているのだ。
しかし、だからこそ二人の会話の一部だけが妙に引っかかった。ヴェリメラの言うとおり、粗雑な海賊のイメージとは離れてここの書類は随分と整理されているのだ。
…もしかして、表に出せない書類はそれだけで纏めてあるんじゃないかしら…。
一度思い浮かべると、あながち的外れではない考えじゃないかと思えてくる。てっきり木を隠すなら森の中と言うようにこの書類の山の中に目的の書類が紛れていると思い込んでいたけれども、納品書のように表に出る書類がある中にそんな書類を置いておくだろうか?
「そうよね。そんな書類が紛れたら大変だものね…。かといって全く別で保管するのも不便でしょうし…。となると、この建物の中でも特別な保管場所…」
私は言葉を吐き出しながら思考を整理する。その声が二人の耳にも入ったようで、気の無い会話を繰り広げていたのを取りやめて、私の動向を見守っている。
建物の外を監視していた風を一端建物の中にへと引き込んだ。風が濃くなったことで、まるで風に私が溶け込んだように感覚が広がっていく。ここまで風を濃くすれば、私の目には見えないものまで見え始める。書類は勿論、机や棚にも染み付いた紙やインクの香り。その香りが特に《浮いている》場所を探す。特別扱いをしているならば、そこに違いが出てくるはずだ。
この風が届くところが私の射程なれば、魔弾の射手は見逃しはしない。
「…見つけたわ。…この引き出しの中。ここにある書類は特に触れた人間が少ない。それに僅かだけど香水の香りもする。それを使うような人間が触れた証拠よ。…この机だけ職人が作ったような代物なのだから、気付こうと思えばもっと早くに気付けたわね」
犬の獣人ほどではないが、私でも集中すれば匂いを識別するぐらいならできる。多くの書類は何回も見たり、複数人が手に取ったのか複雑な皮脂の香りが纏わり付いていたのだが、この引き出しの書類は別だ。手に取った人の痕跡が少なく、それでいて香水を使うような立場の人間が手に取っている。
…これだから人が相手になる依頼は面倒だ。やはり私は山で獣を相手にするほうが向いているのだろう。私は近くから聞こえる海の音を聞きながら、遠くなってしまった野山に思いを馳せた。
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