第370話 僅かに前の彼女の話

◇僅かに前の彼女の話◇


「ねぇ、これ大丈夫なの?…沖合いは魔物に襲われるから小型の船は不味いって聞いたばかりなのだけれど…」


 私は船に揺られながらカクタスに対して不審な目を向ける。しかし、彼は私の言葉を気にも留めずに、先頭に立って海風を感じている。…突き落としてやろうかしら。


 沖にいるであろう傭兵団の本拠地に向うためにカクタスが用意したのは、港に備え付けてあった超小型の船舶だ。三人だけならまだ余裕があるとはいえ、鮨詰めに乗せても十人程度が限界だろう。


 本来なら、沖合いに泊まった大型船舶への連絡やちょっとした荷物の積み込みのため、あるいは沈没の危険性のある船から人々を救済するために使われる船だそうで、決して大海原に旅立つロマンを乗せる船ではない。彼がどうやってこの船を用意したかも気になるが、それよりも先に不安が波のように私に打ち寄せて来ている。


「だから問題ないって言ってるだろ。ヴェリメラの毒を塗りこんだんだぜ?まともな魔物なら臭くてよりつかねぇよ」


「…ねぇ、カクタス。一応言っておくけど、こんな風に使うのは初めてなのよ?なんで私よりもあなたが自信満々なのよ…」


 ヴェリメラも私側の人間のようで、カクタスの様子を見て頭を痛めたかのように額に手を当てている。この船の底には彼女が普段、魔物避けとして利用している毒を念入りに塗りこんだらしく、もしそれが海水に晒されても効力を発揮するなら、加えて海の魔物にも効果があるならば確かに魔物は近付かないだろう。しかし、彼女の言うとおりこれは初の試みであるため、上手くいく保証はどこにも無いのだ。


 私は気を紛らわすかのようにして、遥か前方にて波に揺られている目標の船を見詰める。向こうはこちらと違って船には不安は積み込んでいないようで、意気揚々と先へと進んでいる。


「おい、離されてねぇか?もちっと速度ださねぇと見失っちまうぞ。お前の風が唯一の推進力なんだからしっかりしてくれよ」


「うるさいわね…。休まず魔法を使うのがどんだけ大変か分からないから言えるのよ。…第一、ハーフリングの風魔法ってのは、緻密な制御が売りなの。こんな船を動かすなんてやってらんないわよ」


 こっちの気も知らずに文句を述べるカクタスは、張った帆を引きながら船の姿勢を整えるように体重を移動させる。…カクタスは少しばかり操船の経験があると豪語していたが、その帆を調整する動きはどことなく洗練されている。


 むしろ離されて問題ないのだ。小さいおかげで見つかりづらいだろうが、こんな沖合いで小型の船舶に乗り込んでいる私達は彼らからしても不自然な存在だろう。見つかってしまえば要らぬ警戒を抱かせることとなる。


「心配しなくてもこの先は群島とやらがあるんでしょ?そこまで行ったらこっちも加速するわよ。隠れられる場所があるなら、この船は十分に隠れきれるでしょ」


 多分、でかい船は鈍重だ。この小さい船ならば後から加速しても十分に間に合うはずだ。カクタスは私ほど目が良くないので不安げだが、私は生来の目の良さに加え、魔弩フリューゲルの効果で一時的に遠視もすることが可能だ。たとえ砂粒ほどの大きさに見えるほど離れていても、私ならば十分に位置を把握できる。


 そうこうしている内に、追っている船の向こうにいくつもの島影が見え始める。暫くぶりに風に混じる土の匂いを感じながら、私は船を加速させた。


「ねぇ、なんかあの船の進み方、少し変じゃない?着けてるのがバレたんじゃないかしら?」


「違ぇよ。アレは潮の流れと岩礁を避けてんだ。そこまで気をつかわねぇと進めねぇから、他の船の航路からは外れてるんだよ」


「…あなたに言われるとなんかムカつくわね。賢いみたいじゃない」


 ヴェリメラの言うとおり、前方の船はわざわざ遠回りして小島を迂回したりするなど、右へ左へと蛇行して島々の間を進んで行く。カクタスの言うことが確かなら、遠回りしているように見えて、実際は最も安全で進みやすい航路を選定しているのだろう。幸いにもこちらの船は小さいだけあって浅い箇所にも侵入できるため、島々の岸壁に身を寄せるようにして隠れながら進んで行く。


 そして、暫く進むと目的の島が見えてくる。その島からは、数本の煮炊きをしていると思われる煙が立ち上っており、誰かしらがそこで生活していることを教えてくれている。まだ追いかけている船がその島に接舷したわけじゃないが、そこが海賊の拠点であることは間違いないだろう。


「へっ。どうやら向こうはそこまで躍起になって身を潜めているわけじゃ無さそうだな。随分調子に乗っているらしいみたいだな」


「ここで夜まで潜んでから近付きましょうか。それとも…、…ねぇ、風で見張りが居るかはわかるかしら」


「…少し時間を頂戴。海風が酷いし、距離もあるから直ぐにはわからないのよ」


 そう言いながら私は魔弩を構えて照準を覗き込む。急に私の気配が薄くなったからか、カクタスが驚いたようにこちらを見るが、私もそちらに対しては意識が向かない。今、私の意識はこの照準の先へと余す事無く注がれているのだ。


 ここからは海に面した岸壁と、その上に生い茂る林しか見ることはできないけど、あの島はそれこそ一昨日まで居た湾岸都市のように湾曲した湾を持つ三日月状の島であると風が告げている。私は端から端まで精査するようにその島の様子を観察する。


「…呆れた。見張りなんて誰も置いていないわ。丁度、ここから反対側が停留所と居住区画になっているみたいね。…そっちには見張りもちゃんと置いてるみたい」


「あら、じゃあもうお邪魔しましょうかしら。正直言って早く船から降りたいのよね。こんなに揺れるのは小船だからかしら」


 妙に大人しいと思ったら、ヴェリメラは軽く船酔いをしているようだ。…私も少しばかり胸がムカムカとする。カクタスのせいかと思ったが、どうやら私も船酔いに掛かっているようだ。


 停止させていた船を加速させて、目的の島へと接近させる。そして、特に陸側から死角になるような場所を見繕って、船を接舷させた。


「…あぁ、底が透けて見えてるじゃねぇか。見張りがいねぇのは、そもそもこっち側はでけぇ船が進入できるような場所じゃねえからだな」


 碇の変わりに船の先端を近場の岩に紐で結びつけながらカクタスがそう呟いた。彼の視線の先を追ってみれば、海の青色の下で静かに佇む岩礁が透けて見えた。私は岸壁の僅かな取っ掛かりに指をかけて、更には風を吹かせて身体を持ち上げることで、舞い上がるようにして岸壁の上へと身を躍らした。


 …そして、笑顔でこちらに手を伸ばすヴェリメラを仕方なしに紐を使って引き上げた。


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