第368話 やや前の彼女の話

◇やや前の彼女の話◇


「あら、だったらどうだって言うのかしら?お礼にここの払いを持ってくれる?」


 私はあえて挑発するような言葉を放って、揺さぶりをかけてみる。しかし私の腕を掴む男はその言葉を聞いても、感情を荒げる事無く鼻で笑ってみせた。…その顔から視線を逸らさずに、私はなるべくゆっくりと手の下にある魔弩を魔力で操作し始める。


「まぁ、待て。別に俺を撃ったからってどうこうするつもりはねぇよ。逃げ切ったと…、そう思って一番油断したところを打ち抜かれたからな。どんな奴なのか見てみたかったんだよ」


 男はそう言って私の腕を掴んでいた手を離す。思いのほか簡単に私の拘束を解くものだから、内心で舌打ちをする。もう少しで跳ね上がった魔弩の弦が、この男の手を締め上げたところなのに…。


「…何のつもり?」


 なぜ手を離したのかと私は尋ねかける。私の手を離したものの、男は警戒を解いておらず、魔弩を構えることができない。構えようとしたならば、先手を取って男が再び拘束してくるだろう。


「お前、狩人だろ。傭兵なら仕事で敵対してもそれを次の仕事には持ちこまねぇ。賞金稼ぎバウンティハンターならなおさらだな。こんな場所で目的の人物を見つけても気取られるような反応はしねぇだろうよ」


 …確かに反応してしまったのは、つい反射的に動いてしまったからだ。本来ならこの距離は私の距離ではない。この男の言うように何食わぬ顔で食事を終えて、こっそりと遠距離からチャンスを窺うのが私のスタイルに近しいものだろう。普段は人を狙うことが無いから、予想外の状況に体が勝手に動いてしまったのだ。


 だからこそ、私は魔弩に伸ばしかけていた手を引っ込める。もとからこの場で争うつもりもないし、この距離では流石に勝ちを拾うことは難しい。そして、再び目の前の鍋へと手を伸ばした。


「…そうよ。私は単にご飯を食べに来ただけ。そこで不埒な顔があったからつい武器に手が伸びたのよ」


「聞いた?カクタス。不埒な顔だって。そう思っていたのは私だけじゃないみたいね。あなたの極悪顔じゃ武器に手が伸びても仕方ないでしょ」


 海老を貪っている向かいの女が男を茶化す。男は言葉は出さないものの、女を鬱陶しそうな目で冷ややかに見詰めている。向こうも打ち抜いた私に復讐するつもりは無い。こちらもつい武器に手が伸びたが、捕まえて如何こうするつもりは無い。表向きは互いの腹積もりを知ったことで食事の時間が再開された。


「それにしても魔弾の射手がこんなチビ助とはな。話には聞いていたが実物を見ると違和感がスゲェ」


 いきなり放たれた暴言に目を瞬かせる。チビだとか子供だとか、そういう悪口は言われ慣れたが、こうも唐突に言われることはあまり記憶に無い。


「…折角互いに矛先を納めたのに、間髪入れずに喧嘩売ってくるとか随分な話し上手ね。驚愕の展開過ぎて言葉を無くすほどよ。…まだ井戸端の四方山話のほうが脈絡があるわ」


「ごめんなさいね。カクタスはデリカシーとか思いやりとか配慮とか知性を持たないの。多分、生れ落ちるときに悪霊に奪われたのよ。もしかしたらそれを取り返すために旅をしているのかも」


 女…確かサフェーラが回してくれた情報によるとヴェリメラという名前だったが、彼女はフレンドリーに私に話しかけてくる。彼女もこの男の口の悪さに辟易しているようで私側に立ってカクタスを責めている。


「…随分言ってくれるじゃないか。俺にだって傷つく心はあるんだぜ?」


「心があっても女心が分からないんじゃ意味は無いわよ」


「ついでに言えば真心とかも足りてないようね」


 私とヴェリメラに責め立てられて、カクタスは眉を顰めて無言でイカを咀嚼する。…この反応はハルトもしていたな。サロンで女性陣に詰められると彼もこんな風に押し黙るのだ。多分何を言っても勝てないと理解しているのだろう。


「そう言えば、あなたもあの時、王都近くの森に居たって事は、ダーリ…、ハルト君とは知り合いなの?」


「…何?…確かに知り合いだけど、…寧ろ、私としてはあなたがハルト君だなんて言っていることが驚きなのだけれども…」


 丁度、思い起こしていた男の子の名前が出てきて少し戸惑ってしまう。彼らはこの二人と直接戦ったと聞いていたが、そこまで仲がよくなるものだろうか。


「あぁ、ついこの前会ったばかりなんだよ。ちょっと重たい仕事を手伝ってもらってな。…言っておくがまともな仕事だぜ?そもそもあの森の仕事が俺らにとってはちょっとしたイレギュラーだ」


「そうそう。彼のお陰で上手くいってネルパナニアのお偉いさんから随分と褒賞を貰えたのよ。…まぁ、そのお陰でまた面倒な仕事を回されたんだけれどね。…貴方は気をつけなさい。余り有能なところを見せると、そのうち際どい依頼を回されるわよ」


「…確かにこの流れはそのうちヤバイ案件が回ってくる流れだよな。あの森の依頼もこんな風に断りづらくなってきてから回ってきたんだっけか…」


 まぁ、際どいという訳じゃないけどサフェーラからの依頼はそんな感じかしら。あの子は力量を見せれば、その力量ギリギリでこなせる難易度の依頼を投げてくる。…逆に言えば不可能な依頼は回してこないけれども、だんだんと背伸びをするのが辛くなってくるのだ。


「お前、都合よく知らないか?唯一神教会が後ろ盾になってる傭兵なんだがよ、最近は勇者とか言われて随分調子に乗ってるらしいんだよ」


「この子はネルパナニアの住人じゃないのよ?知ってるわけ無いじゃない」


「んだよ。聞くだけならタダじゃねぇか」


 カクタスとヴェリメラは海鮮を食べながら、何ともなしにその話題を口にした。まさしく私と同じものを求めている状況に、作為を感じてしまう。もしかしたら私を探るために口にしたのかと警戒心が沸き起こるが、さっきとは違って平静を保てている。


 …まだ二人と付き合いが長いわけではないけど、勇者について尋ねた様子は自然な振る舞いに見える。そもそもご飯を優先したため、勇者の調査はまだ行動に移していないのだ。二人が勇者を探る者を探っているというのは考えすぎみたい。


「…面白そうな話ね。もう少し詳しく聞かせてくれないかしら」


 私は鍋のスープを飲み干すと、今度は蟹を奪い合っている二人にそう語りかけた。


 …何で蟹も一匹だけなのよ。


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