第367話 ちょっと前の彼女の話
◇ちょっと前の彼女の話◇
「おう。行っていいぞ。…この国にはハーフリングが少ないから注意するんだな」
意外にもこちらの心配をしてくれる関所を通って、私はネルパナニアの海の玄関口である港湾都市に足を踏み入れた。
当初の目的地であったブルフルスから更に東にあるこの港湾都市は、ブルフルスからネルパナニアの王都に向うまでの中継地点としても機能しており、中々に栄えている。私からしてみれば、ブルフルスの街がネルパナニアの入り口という印象が強いが、あそこは独立した都市国家であるため、この湾岸都市こそがネルパナニアの入り口なのだろう。
髪を弄ぶ海風を魔法で打ち消しながら、私は港から街の様子を眺める。港湾都市は三日月状の入り江に沿うように形成されており、内陸にも登るのが億劫になるほどの傾斜の丘陵となっている為、海際にいながら街の全貌を見渡すことができる。私は、そのまま海沿いに伸びる太い道をたどる様にして街の中心部へと向う。
「さてと…どこがいいかしら…」
私は道の左右に並ぶ飲食店を見比べながらどこに入ろうかと吟味する。その地の情報を仕入れるのならば狩人ギルドに赴くべきなのだろうが、勇者の情報となれば話は別だ。勇者が狩猟対象として狩人ギルドに生息地と特長が張り出されているならまだしも、流石にそんな馬鹿な話があるわけが無い。だからこそ、私は狩人ギルドに向うのではなく、人々の会話で溢れている賑やかな飲食店を探しているのだ。
…そしてなにより、私はお腹が空いているのだ。
初めての船旅だったけれども、まさかあそこまでご飯が美味しくないとは思ってもいなかった。海の上を旅しているのだから、新鮮な海の魚が食べられると思うのが普通でしょう?それなのに出てきたのは私が狩りで食べるような保存食ばかり。船の上で食べるからと、出発前に海の魚を食べなかったことをいくら後悔したことか…。
そんな私の目にチョークで書かれた料理の絵の看板が目に入る。
「面白そうね。ここにしましょう」
私はそのまま店の中へと入る。常連客向けで、少しばかり入りにくい雰囲気を持つ入り口ではあったが、こういうのは度胸が重要なのだ。
「一人よ。入れるかしら?」
「いらっしゃい。そちらの席にどうぞ」
店は意外にも混雑していた。あまり人混みは好きではないのだけれども、逆にこの店が正解であるとの裏づけにもなる。…一人であるためカウンター席の方が気兼ね無いのだけれども、あいにくとそちらは全て埋まってしまっている。私は案内されるがままにテーブル席へと腰を下ろした。
「表の看板にあった海鮮鍋をお願い。全部入りの奴」
「ああ、あれは数人で食べる料理ですから多いですよ?食べたい物があれば見繕って出しましょうか?」
「そのままで構わないわ。私は死にそうなほどお腹が空いているの」
店員は小さな私の体を見て提案をしてくるけれど、生憎とそこまで食は細くない。それに私の胃袋は海鮮鍋に傾いているため、今更変更などできるはずはない。
既に大鍋で煮込まれているのか、さほど待つ事無く海鮮鍋が私のテーブルへと届けられる。鉄鍋からは鮮やかな赤い海老の体が飛び出しており、それ以外にも様々な魚介類がスープの上に顔を覗かせている。
「へぇ。いいじゃない。こういうのでいいのよ。こういうので」
濃厚な香りが私の食欲を刺激する。店員は心配そうに見ていたが、一人で問題なく食べきれる量だ。むしろ、大振りな海老が一匹しかないのだから、これは一人前の料理なのではないかしら?複数で食べたら喧嘩になってしまうでしょうに…。
私はスープの中で溺れている魚を救い上げ、それをそのまま口に含む。一口目から押し寄せるその旨味に、私は目を見開いて次々と口へと運ぶ。河の魚とは違う華やかな味に私は驚愕を隠せないでいる。
そして、とうとう主役であろう大振りな海老へと私は手を伸ばす。殻はどうするのだろうと少しばかり逡巡したが、予め切れ込みが入っているらしく、持ち上げてみれば鞘から剣が抜かれるように海老の身が露になる。その真珠色の身を見て私は齧り付こうと口を開けた。
「ちょっと!その海老は私のよ!何食べようとしてるのよ!」
唐突な声に私の手が止まる。まさか私の頼んだ料理を奪うつもりかと耳を疑ったが、なんてことは無い。隣のテーブルでも同じ料理を二人組みがつついていたのだ。
「あ?全然手をつけてなかったじゃねぇか。食べるつもりが無かったんだろ?」
「私は!好きな物を最後にとっておく性質なの!それに手を付けるなら戦争よ!」
「分かった分かった。半分だけしか食わねぇよ」
「何言ってるの。全部私の海老に決まってるじゃない。あなたの方が他の具を食べているのだから海老は私のものよ」
…やはり、一匹しか入っていない海老は喧嘩の元となるみたい。横のテーブルの男女は見せの混雑に負けぬような声で争っている。その争いを肴に、私は殻から引き抜いた海老の身をスープに浸し、滴るそれを口に含む。同時に、隣のテーブルでも勝敗が着いたのか、女性が私と同じようにして海老を口に運んでいる。
有無を言わせない重厚な旨味に私は思わず目を細めた。そして、味の余韻を楽しむように息を吐きながらゆっくりと目を開けば、たまたま隣のテーブルの女性と目が合った。
彼女も私と同じように海老を楽しんだのか、その目尻はだらしなく下がっている。しかし、その顔をよく見てみれば、私の知っている顔だ。その顔が記憶の中から思い起こされると同時に、反射的に傍らに置いた魔弩へと手が伸びる。
「なぁ…ッ!?」
「ここは飯所だぜ?いったい何をするつもりだ…」
伸ばした私の手を横合いにいた男が押さえつける。早撃ちしたボルトならまだしも、まさか反射的に伸ばした手に反応してくるとは思わなかった。流石に筋力量に差があるため、私の腕はピクリともしない。
「…レディの手を不躾に掴むなんて、随分とマナーがなってないのね」
「レディは飯所にクロスボウなんて持ち込まないんだよ」
男の方の顔も確認したが、間違いない。特にこの男の方は私が撃ち抜いたのだからよく覚えている。私の手を押さえつけられるということは、そのときの傷は問題なく治ったのだろう。
「…その子。魔弾の射手じゃない?特長が一致するわよ?」
「…!?お前があの時、俺を撃った奴か…!」
男の向かい側で海老を楽しんでいた女が、暢気な顔をしてそう呟いた。その言葉を聞いて私の手を押さえつけていた男は、驚愕とともに嬉しそうに口を歪ませた。
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