第359話 国境を跨ぐお仕事
◇国境を跨ぐお仕事◇
「おい姉ちゃん達、ちょっと待ちな。…おい!待てって言ってんだろ!」
朝市が開かれ、早朝ではありながら人通りの多い街中。しかし、人目が多くても関係ないと言わんばかりに俺らの前にはガラの悪い男が集まってくる。男達の視線の先には俺らに庇われたルミエが立っており、男達の目的は誰なのかは一目瞭然だ。
恐らく金を詰まれて、あるいは彼女を差し出せば金になると分かっているのだろう。カプア修道女がルミエを外に出さなかったのも納得だ。俺らの周囲を包囲する数人の男達、そしてそれらを目撃した街の住人達は、自分達は関係無いと言わんばかりに顔を背けている。ルミエは自身の生まれ育った街が牙を向け、更には裏切られたように感じたのか、どこか悲しげな表情で佇んでいる。
俺は男達を無視して先に進む。男達は足を止めぬ俺らに慌てて手を伸ばすが、その手がルミエにたどり着く前に、横合いから手甲を付けたタルテが掴み取った。
「痛い痛い痛い!!なにすんだテメェ!」
タルテの強靱な握力に締め上げられ、男は悲鳴と共にその手を振りほどこうとするが、万力のように固定された男の腕は振りほどけることは無い。側から見れば小柄な少女に手を掴まれているだけにしか見えないため、仲間の男達は不思議そうに見ていたが、腕を掴まれている男の苦しみ様が異様であるため、慌てて助けようとタルテへと距離を詰めた。
「ぁぁああ!!取れる!手が取れちまう!!取れちまうよぉ!」
「お、おい!大丈夫か!?」
半泣きになった男を助けるためか、駆け寄った男は懐からナイフを取り出す。しかし、そのナイフも平然とタルテは奪い取る。そして、指先でクルクルと刃先を回したかと思うと、そのまま破砕機に巻き込むかのようにナイフを容易く拉げてみせた。
「ヒィ…ッ!?」
捻れるナイフの悲鳴が聞こえたのか、囲んでいた男達が飛び退くように後ろに後ずさる。手を掴まれている男は、ナイフを捻じ曲げる手に自分も掴まれていると理解して、顔色が青を通り越して白くなっている。しかし、優しいタルテは男の手を拉げさせることは無く、にっこりと微笑むと男の手の平に捻じ曲げたナイフを置きながらその手を開放した。
「あの…。急いでいますので…。ご用があれば後でお願いします…」
「わ、わかりました…」
いつもは天然ぎみな性格のタルテが、珍しく脅すように男を突き放す。他の男達も、紫色に変色した男の手首とその先の手の平に乗ったナイフだった物を見て、戦意を喪失したようにうろたえた。タルテに注がれる畏怖を纏った視線。唯一、ルミエだけが感動するようにタルテの背中を見詰めている。
俺らはそのまま先を急ぐように足を進める。流石に男達は付いてくることなく、ただただ遠くなる俺らの背中を眺めていた。
「…凄いね。ちょっと寄り道をしたとは言え、役所に向かうだけで三回目だよ」
「そうとう広範囲に金をばら撒いたんだろうな。まぁ、流石にここまで来ればそうそう手出しはできないだろ」
ルミエが狙われたのはこれが最初ではない。ここに至るまででも襲われた回数は三回、怪しげな視線を感じたのはそれ以上だ。しかし、役所が近づくにつれ治安も伴って良くなってきている。金になびいて安易に襲ってくるような輩も、ここにはほとんど存在しないはずだ。
そして、俺らはブルフルスの街の行政府が置かれている一際荘厳な建物へとたどり着いた。城のような造りではなく、広く間口の開いた門。中にはこの街ではよく見る商人ではなく、役人が事務仕事に追われている。
石造りの階段を登りながら俺らはその中へと足を進める。そして、通い慣れてしまったからかカプア修道女は迷わず内部のカウンターの一つへと向った。
「…出国許可証の発行をお願いします」
「はい。拝見いたしますね」
既に書類の類は揃っているため、ルミエさんがその書類を纏めて受付の女性に渡す。女性は恭しくその書類を受け取ると、許可証発行のための処理に入ろうとする。
「…君。その方の処理は私が変わろう。君は下がっていたまえ」
「え?次長?どうしたのですか?」
「いいから代わりなさい。…たまには私も仕事をしないとね」
ところが、受付の置くから男が出てきて、奪い取るようにその書類を手にした。女性の方は戸惑いながらも、逆らう事無く後ろに下がっていった。
「…この男が難癖付けてきて許可証を発行しないのだ…」
小声でカプア修道女が恨めしそうに呟く。彼女から注がれる刺すような視線もどこ吹く風と言いたげに、男は高慢な仕草で提出した書類に目を通し始めた。
「んんぅ…。そうだな。ここと、ここ。字が汚い。これでは誤読する可能性があるね。ああ、ここもインクが途中で擦り切れている。駄目だなぁ。駄目駄目だよ」
もちろん字は綺麗なものだ。これで誤読するのであれば読み手の責任によるものと言ってよいだろう。
「では訂正印を押させてもらいます。それならば問題ありませんわよね?」
横合いからメルルが男に声を掛ける。男はメルルを誰何するように見詰めた後、大仰な仕草で書類を叩いて見せた。
「駄目駄目。訂正印なんて文章が散らかるだろ?それこそ誤読の原因だ。…悪いがこの書類は受理できないね」
そう言うと止める間も無く提出した書類に不許可と大きく書き込んだ。ルミエの字よりも汚く、インクも半ば擦り切れている。
…半ば予期はしていたが、予想以上に強引に妨害する様子に辟易としてしまう。男はその汚い字が書かれた書類をルミエに差し戻すと、得意気に鼻で笑ってみせた。
「どうする?この調子じゃ予備の書類を出しても却下されるよね?」
「…そうだな。さっさと見切りをつけて次に行こう」
ナナも男の対応に呆れたように呟いた。俺は悔しそうに書類を見詰めるルミエに小声で次の作戦に映ることを告げる。俺の声を聞いたルミエは再び顔を上げて、受付の男に向き直った。
「それでは、戸籍証の写しを下さい!」
「…戸籍の写しぃ?」
気合を入れすぎたのか、少々大きな声でルミエが訴える。
何が何でも出国許可が降りないことを危惧して、俺らは事前に狩人ギルドに寄ってきたのだ。ブルフルスにも狩人ギルドは存在しており、俺らの国と同じ経営母体と言うわけではないが、業務は提携している。
しかし、ブルフルスの街しか国土のない狩人ギルドは、狩場の少なさゆえ非常に小規模であり、完全に外から訪れた狩人への連絡用の支店としか機能していないのだ。そもそも、商人の護衛をする傭兵の方が圧倒的に多いため、傭兵ギルドの一画を間借りしているような状況だ。
だからこそ、ブルフルスの街では新たに狩人として登録をした者へと講習を受けることができない。そのため、新規に登録した者はお隣のどちらかの国へと紹介状を書かれ、そこで講習を受けることとなるのだ。そして、同時にギルドの方から出国許可証が配布される。税もギルドを通して国に納められるようになるため、出国許可の権限が役所からギルドに移るのだ。
「お前…まさか…」
「戸籍証の写しを下さい!」
狩人、あるいは傭兵と傍目からも分かる格好をした俺らがいることで、何を企んでいるかいるか察知したのか、そもそも戸籍の写しを要求するなど所属をギルドに移すときにしか使わないためか、男は眉を顰めてルミエを見据えている。
しかし、ルミエの要求を断ることはできない。ケチをつけようにも本人が要求したら出す必要が在るからだ。ケチがつけられるとすればギルドを経由して所属変更をするときの事務処理だが、その場合はギルドを相手にすることとなる。
「…ふん。まあいい。私は私の仕事をした」
男は悔しげに睨み付けるも、素直に先ほどの受付の女性を呼び出し、写しを用意するように言いつけた。やはり、この男は自分の意思で妨害していたのではなく、金を貰って出国許可を握りつぶすように依頼されていたのだ。自分の範囲外のことまで妨害するのは依頼された仕事ではないということなのだろう。
ルミエが希望した写しを手に入れると、俺らは役所を出て、狩人ギルドへと足を進めた。
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