第352話 神様の背に乗って

◇神様の背に乗って◇


「お前さん、いい時期に来たな。雪解けで水が増え始めてるから、下るだけなら速いもんよ」


 ガイシャの熱烈な引き止めにあったものの、俺らは無事に旅立つことができた。ネムラの街から東に進み、山間地と平地の境目にある渡船場と河岸が備わった荷揚げと検問のための町。そこでは河を下る商船が積荷の空きに人を乗せて運んでいるため、俺らはその一つに乗り込んで、どんぶらこどんぶらこと河を下っている。川縁にも一応は街道が在るらしいが、ここではこのサンリヴィル河が最も大きな主要街道なのだ。


 揺れる船の上で俺に声を掛けて来たのは船長だ。笑みを作ることで日に焼けた皮膚が歪み、頬にできた切り傷の痕が妙に強調されている。たぶん、笑っても子供達に泣かれるタイプの人だ。


 商船といっても小ぶりなキャラベル船であり、川幅の広いサンリヴィル河に浮かんでいるその姿は、まるで水面に浮かぶ木の葉のようだ。それでも、船長が得意気に語っている通り、川面を切り裂きながら船は川下へと流れていっている。


 波が船の左右に広がっていることが示すとおり、この船は河の流れに任せるよりも速く移動している。船が速い理由は、船長が語ったように雪解け水で水量が増えていることもあるのだろうが、何よりの要因は船の先頭に繋がれている存在のおかげだろう。


「おお!よく描けてるじゃねぇか!できれば色もつけて欲しいとこだが…」


「お生憎様、染料の類が在りませんので…。それとも商品の鉱石を砕いて岩絵具にします?」


「そりゃ流石に無理な相談だ!積荷に手を出すのは魔物に追われてるときぐらいなもんよ!」


 軽くフラグを立てながら、船長は俺の背中を叩きながら笑う。俺が描いていたのは船の先頭の存在だ。まるで馬車を引くように繋がれた二頭の水棲馬ケルピー。彼らが船を牽引しながら泳ぐものだから、この船は異様な速度で河を下っているのだ。


 手紙の運搬に鳥の魔物を用いるように、この世界では一部の魔物が家畜化されている。そして水運を担うような船となると、そういった魔物の力で進むことはある意味では当たり前となっているらしい。船着場でも様々な魔物が顔を並べており、前世の船を想像していた俺の予想をよい方向に裏切ったのだ。


「それじゃ、お約束の水棲馬ケルピーの絵です。これで運賃を負けてくれるんですよね?」


「おうよ!取引成立だ!…ああ、ただ他の乗客には内緒にしてくれろよ?他の奴等も値切ろうと集られちゃ、たまったもんじゃねぇからな!」


 船長は俺から受け取った絵を嬉しそうに眺めると、大切そうに懐にしまいこんだ。…この二頭の水棲馬ケルピーは船長の愛馬なのだ。俺が陸上では珍しい水棲馬ケルピーに興奮してスケッチを描いていたところ、それを船長が目を付け、それならばと絵と交換で賃料をおまけしてもらったという流れだ。


「んん…?船長、風向きがそろそろ変わりますよ?」


「…お前、内海の大型帆船の奴等に紹介してやろうか?素人のクセに俺より風を感じ取るなんてそうとうだぜ?」


「陸地の全てを旅したらそうさせて貰いますよ」


「なんでぇ、つれねぇな…。ま、お前みたいな顔の奴が貿易船の船員になるのは、ちと危ねぇかもしれねぇしな」


 そう言いながら船長は指示を出すためか船首から離れていく。そして俺が宣言したとおり、船を取り巻く風の流れが変わり始めた。


 推進力は水棲馬ケルピーに完全に頼っている訳ではないので、船には帆もしっかり張られている。俺が周囲を巻き込むように風を吹かせれば、格段に速度を増すであろうが、冗談交じりにそれを話したところ、この規模の船でそんな事をしたら、転覆の危険性が在るらしい。


 ちなみにこの船のように魔物に牽引させるのは比較的安全な水域を運行する中型船までで、遠方まで貿易をするような大型船ともなると、流石に牽引できる魔物がいないため、帆船が主流となっているそうだ。中には先ほどいったように風魔法使いを乗せている船も在るし、水精の加護で勝手に進む、常識破りな船も存在するらしい。


「ハルト。まだここで描いてたの?他の乗客の子供が、あの人だけずるいって騒いでたよ」


「船長から許可されてるんだから構わないだろ。…と言っても子供なら納得できないか。どの道描き終ったから客席に戻るよ」


 船長と入れ替わるように俺の元にはナナがやってくる。乗客が動き回ると事故のもととなるため、基本的に客席から動かないように厳命されているが、俺は特別許可を得て船首に腰をすえているのだ。


 俺を咎めているナナも、言い付けを破っている状態だ。大方、俺を呼びに来ることをだしにして客席から離れてきたのだろう。その証拠に、彼女の視線は楽しげに船外の風景に向けられている。


「…凄いね。こんな風景、ネルカトルのどこにも無いよ…」


「ネルカトル領は山地だからな。ここまで広大な河や平野は珍しいか…」


 ナナにとって川といえば、もっと流れの激しい渓流のことを指すのだろう。サンリヴィル河のように水平線が見えそうなほどの広大な河川はネルカトル領には存在しない。それに川縁に広がる広大な平野もそうだ。その平野には麦畑が見渡す限り広がっており、地面から覗く初々しい緑が今年の実りを予期させてくれる。


「なんでも、ここらではわざと治水をしないらしいぞ?雨季にはそこらじゅうで洪水をするが、その分、栄養のある土が畑に流れ込むらしい」


「へぇ。だから近くには町や村が無いのかな?坂が少ないから住み易いかと思ったけど、移動距離が多くなりそうだね」


 俺は絵を描いていたときに船長から聞いたことをナナに話してみせる。河の氾濫が恵みとなるということにナナが多少驚いて見せたが、ここいらの風土はネルカトル領はもちろん、王都とも異なっているとマリガネル伯爵に聞いていたため、そういうこともあるのかとすぐさまナナは納得してみせた。


「マリガネル伯爵が言ってた河と共に生きている人々ってそういうことなんだね」


「目の前にサンリヴィル河って神様が横たわっているんだから、王権が弱まる場所ってことも納得できるな」


 無慈悲で暴君で人のことなど考えず、それでも恵みを齎してくれる偉大なサンリヴィル河。その神様の背に乗って、俺らはブルフルスに向かってどんぶらこと流れていった。


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