第351話 春はまだ少し先

◇春はまだ少し先◇


「…ん?いや宗教とな?関係が在るかは分からんが報告が回って来ておったの」


 最初は反応の鈍かったマリガネル伯爵だが、何かに気がついたかのように膝を打った。そして卓上にあった手鐘を鳴らすと、執事を呼び出して何かしらの報告書を持ってくるように指示を出した。


 暫くの後に持ち込まれた紙の束。マリガネル伯爵はモノクルを片手で押さえながらその書類に目を通すと、目当ての情報があったのかそれを抜き取って机の上に置いた。


「唯一神教は知っておるよな?それが最近ネルパナニアで広まってるそうでな。この国では布教の禁止されている宗教ゆえ、こうやって情報が出回ってきておる」


 …そういえばオーベッドがネルパナニアから逃亡する切欠になったのが唯一神教だとカクタスとヴェリメラは語っていた。人類至上主義を語っているためこの国とは相容れない宗教であるが、ネルパナニアではそこまで強く規制していないのだろう。


「つまり、それがそのままブルフルスにも伝播している可能性があると…」


「伝播というべきか…、そもそもネルパナニアに広まった唯一神教はブルフルスから始まったかもしれぬ。もともとあの街は行商人も多いせいで他民族の入り乱れる街であるからな、複数の宗教が入り乱れてる所なのだよ。それ故に個々の宗教色は薄いはずなのだが…。」


 マリガネル伯爵の言葉を聞いて、俺の脳裏には前世の賑やかな貿易港のような光景が思い起こされる。宗教どころか様々な異文化がない交ぜになり、混沌とした無秩序のようにも思える街。もしその想像が実際のブルフルスと近いのであれば、俺らが護衛として呼ばれるのも解からなくは無い。そういった街は治安が悪く、無法地帯になりやすいのだ。


「すまんの。頼ってくれたところ悪いのだが、あの街の宗教関係の情報は極端に少ない。なにぶん、拝金主義者ばかりで宗教関係の勢力は下火の街だからの。あの街の話題といえば小麦相場や為替の話ばかりだ」


「いえいえ、その情報を頂けただけでも十分です。自分たちではブルフルスの風習までは知識がありませんでしたので…」


「ふむ…。それなら他にもブルフルスで知っていることを話しておこうかの。余り役に立つ情報があるとは思わないが…。初めて赴くのであれば知っていて損は無いだろう」


 そう言ってマリガネル伯爵はブルフルスにて知っている情報を語り始める。最近の情報ではないが、独立都市としてこの国とは違う行政の形式や、周辺の街道の情報などを詳しく教えてくれた。本来であればギルドを利用して狩人自身が地道に調べ上げる情報なのだが、マリガネル伯爵は嫌な顔一つせず俺らに時間を割いてくれたのだ。


 自分が若い頃にブルフルスに赴いた体験談を交えるように楽しげに語るマリガネル伯爵。これがある意味、この街を去る俺らの最後の挨拶と察していたのだろう。結局、引き止められるままに俺らは夕食までご馳走になってから領主館を後にした。



「ハルト。ようやく見つけたぜ。…買出しをしてるって話を聞いたからな、ここに来ると思ってたぜ」


 旅立つための消耗品や保存食の類の買出しを女性陣に任せ、俺は狩人ギルドに転籍手続きのために赴いていた。しかし、そこにはガイシャが腕を組んで柱に寄りかかりながら俺を待っていたのだ。てっきりまだ逆さ世界樹の中にいると思っていたため、俺は驚いて目を瞬かせる。


「相変わらず耳が早いな。他の狩人から聞いたのか?」


「お前らに会いたくてどこにいるか馴染みの奴らに聞いて回ったんだよ。狩人向けの店なんてそう多くは無いからな。大抵は他の狩人の目があるから、そこで買い物なんてすりゃ動向なんて直ぐにわかるさ」


 俺は受付に向かう事無く、ガイシャの近くのテーブル席の椅子を引いて、ゆっくりと腰掛けた。ガイシャも俺の後に続くように向かい側の席に乱暴に腰を下ろす。


「まさかと思うが…、ネムラを出るつもりなのか?」


 ガイシャが探るように俺に尋ねるが、別段、隠すようなことではないため俺は素直に肯定した。


「よく分かったな。逆さ世界樹に潜るために買出しをしていると思わなかったのか?」


「お前ら雨具も買ってただろ。逆さ世界樹は雨の心配は要らないからな。それに他にも余分なロープや楔を売り払ったとくりゃ、誰だってネムラを出て行くと当たりがつく。…春には王都に帰ると聞いていたが、少し早いんじゃないのか?」


 少々早口で、捲くし立てるようにガイシャは俺に言い放つ。


「…ちょっと世話になってる人からの依頼がきてな。王都に帰る前にすこし寄り道する必要ができたんだ」


 サフェーラ嬢には世話になっている…。厳密に言えば世話になっているのは主にナナやメルルなので、俺からしてみれば妙に良い様に使われている気もしないではないが、それでも断る理由の無い依頼だ。もちろん手紙に書かれていた報酬も破格と言うほどではないが十分な額であった。


「…俺になんも言わずに街を出て行くつもりだったのかよ。せめて一言あっても良いんじゃねぇか?」


 静かに、恨み言を吐き出すようにガイシャは呟いた。ここにきて俺はガイシャが何が言いたいのか理解する。…ガイシャは急な別れに苛立っているのだ。


 別れが当たり前の狩人の旅立ちなんて非常にあっさりとしたものだ。しかし、ガイシャはネムラに根を下ろしている居付きと呼ばれるような狩人だ。であれば、確かに急な別れは慣れないものであるのかもしれない。


「…なんだ。もしかして別れを惜しんでくれてるのか?別れなんて狩人にはよくある話だし、なによりお別れ会なんてわざわざ開く柄じゃないだろう?」


 俺はそういって斜に構えるように笑ってみせた。寂しく思うならより活躍して名声を届ければよい。狩人にとって吟遊詩人が手紙代わりなのだ。


「いや、散々面倒ごとを俺に押し付けて、詫びの一つもないのかと言ってるんだが…」


 そう言ったガイシャの視線は、春が近いとは思えぬほどに冷え切っていた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る