国境に賑わう街

第350話 王都に帰る前に

◇王都に帰る前に◇


「申し訳ございません、マリガネル伯爵。お忙しいでしょうに…」


 サフェーラ嬢の手紙を受け取った俺らは話し合った結果、マリガネル伯爵の元に訪れていた。彼女からの手紙にはが書かれていたのだが、それを判断するためにも東部の情勢に詳しいであろう伯爵の話を聞きに来たのだ。


「なに、そなたらであればいつでも我が館の門扉は開かれておるよ。例の狩人を紹介してくれたお陰で調査の方も滞りなく進んでおる。ミドランジアのレポートも調査員の学者さんが褒めておったぞう」


 忙しいながらも街が活気付いているからか、マリガネル伯爵は上機嫌でそう語る。テーブルの上には持て成しと言うには些か過剰な量の菓子が並び、絶えずそれを俺らに薦めてくる。まるで領主と言うよりは孫を出迎える好々爺のようだ。


「その、今回はブルフルスの街について情報を頂けたらと思いまして…」


 放っておけばいつまでも世間話が続きそうな気配があるため、俺は早々に目的の話題を切り出した。


「んん?あの街に行くつもりかな?そろそろ王都に帰ると聞いていたが…。行きがけに寄るにしても大回りになるぞ?」


 そろそろ冬季休暇も終わるためマリガネル伯爵にはオルドダナ学院に帰ることを話している。ブルフルスはネムラから見れば南東にある街の名前であり、王都に向うのであれば逆方向に近いところに位置している。距離も極端に遠いという訳ではないが、マリガネル伯爵の領地を出て更に他の領地を越えた先にあるため伯爵が不思議に思うのも納得できる。


 また、ブルフルスの街は少しばかり特殊な立ち居地にある街なのだ。その特殊な立ち居地もあって名前程度は知っているのだが、その特殊性をより詳しく知るために土地勘のあるマリガネル伯爵に話を聞きに来たのだ。


「もし行くのであれば東に進みサンリヴィル河を船で降るのが速いだろうが…、分かっておるのかな?ブルフルスの街は…」


「ええ。存じておりますわ。お隣の国、ネルパナニアとこの国の間に位置する国境都市で、どちらの国にも所属していない、ある意味では都市国家というべきものでしょうかしら」


「ただ、自分たちの知っているのはそれこそ学院で習う程度のことですので、東部の情勢にお詳しいマリガネル伯爵により詳しい話をお聞かせ願えないかと…」


 ブルフルスの特殊性。それは国と国に挟まれた独立都市ということだろう。国際情勢を語る上では欠かせない要所であるため、政務科に所属するナナとメルルも授業で聞く機会は多いそうなのだが、逆に言えば俺らにはその程度しかの知見しかない状態だ。


 マリガネル伯爵が言ったサンリヴィル河こそが、この国とネルパナニアとを分ける国境であり、その中州に存在する貿易都市こそがブルフルスだ。昔はその所有権を争って長らく戦禍に包まれていた場所であるが、その血が染みた土の上には今では賑やかな人々の営みが形成されているらしい。


「…こちらの情報では長らく安定状態にある筈なのだが…、…例の呪術師の件で何かが?」


「いえいえ。単に護衛任務でそちらに赴く可能性があるだけですわ。ですから最近の情勢などを仕入れておきましょうかと…」


 ブルフルスを挟んで向こう側のネルパナニアこそがオーベッドの所属していた国だ。領内に騒乱を撒かれた領主としては、それを知っている俺らが国境に向うと聞いて気が気ではないのだろう。しかし、その心配はないとメルルがマリガネル伯爵に言葉を投げかける。


 …メルルが言ったように、サフェーラ嬢からの手紙に書かれていたとある依頼とは護衛任務のことだ。彼女の手紙には国境付近であるため軍や騎士団の類を向わすことができず、代わりに狩人である俺らに護衛をお願いしたいと書かれていたのだが、そもそも護衛が必要な状況というものが些か不透明なのだ。


 …一応はそのトラブルの原因も書かれていたのだが、具体的な状況まではサフェーラ嬢も把握できていないそうで、手紙には現地で臨機応変にフレキシブルかつ柔軟に動くように記されていた。つまり行き当たりばったりということだ。


「ほう…。しかしそうなると余り語るようなことは少ないの。国家関係は小康状態を維持しておるうえ国境付近も安定しておる」


「安定…ですか?その、昔は長く争っていたと聞いていますが…、世代交代してその頃の記憶は消え去ったということでしょうか?」


 戦禍に晒されていたのなら、国同士が握手をしても現地の人間はその恨みを残していると思っていたが、マリガネル伯爵の言葉からはそのようなニュアンスは感じない。


「地形的な要因でサンリヴィル河が国境となっているが、そもそもあの辺りはサンリヴィル河を中心に栄えた文化圏だからの。別々の国でありながらあそこら一体は同族意識が強い。…もちろん水利権や排水の争いが無かったとは言わないが…」


 戦争のことを語れば、マリガネル伯爵は暗い笑みを浮かべる。年齢的に考えれば、マリガネル伯爵は和平が結ばれる前の世代だ。ネムラの領主一族ということは、その戦争にも参加していたのだろう。


 確かによくよく考えれば、人の文化は水と共に育っていく。大軍の侵攻が難しいためサンリヴィル河が国境と定まったのだろうが、そもそもはそのサンリヴィル河の文化圏を取り合ったために二国間で争ったのだろう。…恨みが残っているとすれば、むしろそれは自分たちを取り合った国自体に向けられているのかもしれない。


「もしまた争いが生まれれば自分たちの住処が戦場になると分かっているからか、あの辺りは国境でありながら随分平和だぞ。簡単に行き来できる国境でもないため野盗の類もそこまで多くない」


 サフェーラ嬢からの不穏な知らせとは異なり、国境は随分と長閑らしい。しかし、独自の文化圏となると、もしかしたら依頼の原因に関係している可能性がある。


「あの、ブルフルスは独立都市ということですが、国教などは定まっているのですか?」


 俺らに護衛依頼が来た原因がそれだ。生徒の一人が宗教関係の争いに巻き込まれ安全に街を出れない状態にあるらしいのだ。


「国教?あの辺りは水神信仰が細々と残っているが、ブルフルスでは国教なぞ聞いたこと無いぞ?ブルフルスは戦後の闇市から発展した商人の街じゃからの。あいつらが崇めるのは金以外には無いと思うが…」


 マリガネル伯爵は不思議そうな顔をしてそう答えた。商人の街にて勃発した宗教戦争。その戦場から学生の一人を護衛し、冬季休み明けの学院に登校させるのが、俺らに齎されたサフェーラ嬢からの依頼だ。


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