第348話 提出先に悩む報告書

◇提出先に悩む報告書◇


「まさか左様な事が…。…謀っているわけでは無いのだよね?」


 テーブルを挟んで向かい側。困ったように眉を傾けたマリガネル伯爵が、溜息と共に吐き出すようにそう呟いた。


 俺らは地上に戻り、軽く身を清めると早々に領主館へと先触れを出したのだが、逆さ世界樹の異常は既に伯爵の耳にも届いていたらしく、できれば明日にでも報告をして欲しいとお呼びが掛かったのだ。


 俺らが通された応接室は、意外にも宝石で栄えた領地の領主館とは思えぬほど落ち着いた調度品で囲まれており、ともすれば質素にすら思えるが、よくよく見ればその調度品のどれもが格式高い物であり、この目利きこそがネムラの領主には求められると暗に語っているようにも感じ取れる。


「残念ながら客観的に照明できる証拠はここにはありません。ミドランジアの牙やオーベッドのものらしき物品は回収してきましたが…」


 そう言って俺はそれらの物品をテーブルの上に並べ始める。マリガネル伯爵はミドランジアの牙を手に取るとモノクルを片手で押さえながら視線を注ぎ込む。しかし、目利きに自信のあるであろうマリガネル伯爵も、流石に牙からの魔物の同定は難しいようで、品定めをしているというよりは興味本位で観察しているだけであろう。


 続けてマリガネル伯爵は屍骸文書シガイブンショの写しに手を伸ばすが、流石にメルルがそれを阻止する。メルルは片手で屍骸文書シガイブンショを押さえつけると、マリガネル伯爵に「禁書の類です」と一言呟いた。禁書に該当する魔道書は読み手を害するものも多々あるため、その言葉を聞いたマリガネル伯爵は慌てて伸ばした手を引っ込めた。


「いや、すまんの。少し現実から目を背けてたわい。…そなたたちは依頼以上の仕事をしてくれたわけだが…、事後処理をどうするか悩ましくてな。…伝説の魔物が出たときの管轄はどこの部署だったかの」


「あの…、呪いの影響は未知数ですが…元凶は絶ちましたので時間で落ち着くかと…」


「そうだの。そちらの心配がそこまで要らないのは有り難い。…しかし、問題はどこにどう報告するかだが…、語る話の大きさに対し、手持ちの情報が少々心許無いの…」


 …確かに迷宮ダンジョンの中に伝説級の魔物が眠っており、それを他国の指名手配犯が呼び起こし、けれどもたまたま向わせていた狩人が倒して万事解決です。証拠は在りません。と語っても寝ぼけているのかと突っ込まれるだろう。


「…はぁ。本当ならもっと時間を掛けて仕上げたかったのですが…。…ミドランジアのレポートです。これがあれば調査員を引っ張ってこれるでしょう」


 俺は道中に少しずつ進めていたフィールドワークのレポートを取り出した。本当は完成度を高めてから出したかったのだが、情報が足りないと言われてしまえば出さないわけにはいかない。もともとのの依頼内容が下層の情報収集であるため出し渋るのはある意味では契約違反となってしまう。


 証拠は無いと言っても持ち帰れなかっただけで下にはその屍骸が残っているのだ。それを王府から派遣される調査員に調べてもらえば、証拠としては十分だろう。


「なるほど。そういえば四人はフィールドワークのために来ていたのだったであるな」


「ええ。こちらとしても学生が完成させるには信憑性が足りませんから、これを呼び水に調査員を派遣してもらったほうがありがたいです。…調査員の護衛を名目にすれば、軍から人員も割いてもらえるでしょう?」


 そうすれば自前で兵士を揃えなくても、もともとの目的であった逆さ世界樹の下層にメスを入れるという目的も果たせるだろう。上手く狩人ギルドと連携すれば、今後の管理体制を確立することにも役立てるはずだ。マリガネル伯爵も俺の提案に納得したように軽く頷いている。


「となると…あとはその、オーベッドとやらのことをどう片付けるか…だが…」


「難しいところですわね。あまり無作為にばら撒いてよい情報ではありませんから…外務卿には話を通すべきでしょうけど、軍部には知られたくは無いですわね」


 ヴェリメラとカクタスは隣国の尻拭い…、お題目としては国際情勢に波風を立てぬために雇われていたが、その思いは被害者であるマリガネル伯爵も同じなのだろう。下手に報告してその内容が複数人に触れると確実に騒ぎ出すものがいる。国境の近いネムラの領主としては二国間の情勢は安定しているほうが好ましいはずだ。


 かといって俺らに口を閉ざしてもらいにする訳にもいかない。もしこれで何かの拍子に向こうの国からオーベッドの仕出かしたことが漏れた場合、お前は自領を荒らされていたのに感知していなかったのかと責められる事となってしまうからだ。…報告を挙げないわけにもいかないし、かといって矢鱈に騒ぎ立てるわけにもいかない。


 マリガネル伯爵は助力を期待するような目でメルルにチラチラと視線を投げかける。王家に伝のあるメルルの実家のホットラインを頼りたいのだろう。こればかりは仕方ないと、メルルは仲立ちをすることを了承した。


 メルルが政治的な段取りを請け負ったからか、俺らは狩人というより政治的な後処理を含めて細かい箇所を話し合って詰めていく。


「それで、できれば調査員の案内をお願いできないかな?向こうも当事者に話を聞きたいであろう?」


「いえ、自分達はいずれこの地を離れます。下層の案内はここを拠点にしている者に頼んだほうが今後のためになるかと…。ええ、良い狩人を知っていますよ」


 面倒臭そうな事案はガイシャに回しておく。事実、今後の逆さ世界樹の下層の治安管理を狙うのであれば、現地の狩人と狩人ギルド、そして領府の繋がりをもっと密にしておくべきなのだから、あながち間違いではない。


 俺は喜ぶであろうガイシャの笑顔を思い浮かべながら、罪悪感を流し込むように紅茶に口をつけた。


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