第342話 浜辺のリンゴは食べられない

◇浜辺のリンゴは食べられない◇


「まず!この触手を切り落とすぞ!」


 俺は体幹を軸に回転しながら投擲戦斧フランキスカのように宙を走る。そして穴の縁に侵食して来ているミドランジアの触手に左手で山刀マチェットを叩きつけ、続くように右手でも山刀マチェットを突き立てる。回転はそれでも緩まることはなく、触手の上を走るように左手、右手と交互に山刀マチェットで斬り付ける。


 ミドランジアの触手は大した抵抗もなく切り裂かれ、更にはその切り傷を起点として裂けるように傷が広がっていき、最終的には自重によって完全に引き千切れて蝕む水の底へと落下して行った。千切れた生々しい肉片が穴の縁に残っているが、血は流れることはなく、タルテが評したように自重で広がるように潰れる様は、まるで肉色の粘液状生命体スライムだ。


「…随分柔らかいぞ。あの矢鱈に堅かったときとは偉い違いだ」


「それこそ呪術で強引に纏まっているだけなのでしょう。…問題はこれぐらいでは焼け石に水というところでしょうね」


 それぞれが穴の縁に伸びてきたミドランジアの触手を切り落としたり叩き落したりを繰り返すが、下からは次々と触手が伸びてきている。既に蛸から粘液生命体スライムのようになったミドランジアは触手の数に制限がないのだ。


 切り落とした肉片も死んだように動きは止めているのだが、再び触手がその肉片に喰らいつけば、合体したかのように息を吹き返す。…まさしく粘液生命体スライムのように物理的な攻撃の通りが極端に悪いのかもしれない。いくらその身体を切り落としてもミドランジアの登攀を遅らせているだけに過ぎないのであれば、先に力尽きてしまうのはこちらだ。


「ちょっとこれは…きりがないみたいだね。火で焼けば少しは効いてるみたいだけど、流石に全部は焼ききれないかな…」


「うう…どうしましょう…。…周りの壁を全部ツルツルにしましょうか…?」


 登って来ては切り落とし、登って来ては叩き落す。収まる気配のないもぐら叩きに俺らは駆け回りながらも次なる手を模索する。…効果的なのは光魔法や闇魔法なのだろうが、あまりに大規模な敵であるため無駄に放つわけにもいかない。


「ねぇ、カクタス。この通り私の短剣じゃやることもないし…ちょっと大掛かりな魔法を仕掛けるわ。手伝ってくれない?」


「ぁあ!?勝手にやれよ!逆に聞くが!今の俺が…!暇そうに見えるか…!?」


 確かに短剣で巨大なミドランジアの触手を切るのは無理があるため、ヴェリメラは指で髪をいじりながらカクタスに声を掛ける。一方、カクタスの方は大忙しだ。それがどの程度の損害をミドランジアに与えているかは分からないが、彼の片手半剣バスタードソードはナナの両手剣である波刃剣フランベルジュの次に大きいため、片っ端からミドランジアの触手を切り捨てている最中だ。


 それでも都合よく否定の言葉は聞こえなかったのか、ヴェリメラは魔法を構築し始める。そんなヴェリメラの姿を見て、舌打ちをしながらもカクタスはヴェリメラをカバーするように彼女の前に立った。


「蛇の甘言が毒ならば、毒は神から人を遠ざける…」


 ヴェリメラの固有魔法である毒魔法は、かなり特異な魔法と言っていい。毒と一言に言っても人体に悪影響の在る物質を人が毒と呼んでいるに過ぎない。現に彼女は薬となる物質もその魔法で生成することができるのだ。


 拡大解釈すれば全ての物質は毒だ。水だって短時間に多量に呑めば水中毒を引き起こし、致死量だって存在する。かといって、もちろん彼女の魔法で全ての物質を操ることはできはしない。毒魔法の根底に在るのは毒心。他者を害するという恨みにも似た想いが毒を作り出すのだ。


「禁断の果実が毒ならば、毒は人を足らしめる…」


 故にその毒には呪いにも似た形而上の毒性があり、肉体の頚木を越えて魂すら蝕むことすら適う魔法だ。そしてなにより、彼女の毒魔法は毒を操る魔法ではないのだ。彼女の毒魔法とはなのだ。


「眠りに誘う毒リンゴ。小さな小さな死のリンゴ。知恵があれば知恵の樹の実を食べはしないヴィゾーヴニル・レーヴァテイン


 戦闘中だというのに、誰しもがヴェリメラの手元に注目してしまう。魔法使いならばそれがどこまで異常なことか分かっている。彼女の手のひらの上には可視化するほどに魔力が集い、緑色の小さなリンゴが作り出されていっているのだ。


 物質生成という神の権能にも近しい所業。他の魔法使いが行う世界の隙間を縫うような一時的な物質顕現とは異なり、彼女の生み出す魔法毒は世界に認められているため消え去ることはない。それに、単なる土や水という単一物質の生成ではなく、リンゴという複雑な構築の物質生成だ。そちらに目が釘付けになっても致し方が無いだろう。


「さぁ、お食べなさい。お代はサービスしてあげる」


 ヴェリメラが転がすようにそのリンゴを投げれば、緩やかな放物線を描いてそのリンゴが蝕む水の底へと落ちていく。そして、そのリンゴがミドランジアの上に落ちただけで、その果実に秘められた毒が蝕むように効果を表した。


「うへぇ…相変わらずおっかねぇ女だ…」


「あら、もしかして食べたかったのかしら?欲しければもう一つ用意するわよ?」


 落ちたリンゴを中心とした広い範囲で、赤黒い光を放っていた呪詛がなりを潜めている。動きも完全に止まっており、それこそリンゴに蝕まれた部位は死肉に戻っているように見える。しかも、落ちたリンゴは氷が解けるように解けていき、自ら吸収されるようにミドランジアの身体に染込んでいっている。


 そのリンゴに蝕まれて停止している部位とは対照的に、ミドランジアは洞窟に風が吹きぬけるような低い唸り声を上げて触手も制御を失ったかのように暴れている。そしてずり落ちるかのようにミドランジアの身体は蝕む水の底へと落下していく。


「ある意味、呪詛のような毒ですわね。…いえ、毒のような呪詛といったほうがいいのでしょうか…。呪詛喰らいのミドランジアも毒の呪詛は食べられないみたいですわね…」


「ハルト。この隙にこっちも何か…ミドランジアを倒しきるための策を練ろうよ」


「それがいいわ。私の魔法でも…苦しめているだけで殺せるわけじゃないもの」


 ミドランジアはチカチカと赤黒い光を明滅させながら苦しんでいるが、確かに瀕死というより元気良く苦しんでいるといった有様だ。俺はその様子を観察するように、穴の縁に立って奴の姿を見下ろした。


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