第341話 呪詛喰らいのミドランジア

◇呪詛喰らいのミドランジア◇


「…ガイシャ。ここなら安全だとか言っていなかったか?」


 俺は半目でガイシャを睨む。足を止めずにここまで来たので、どの道ここよりも上に逃げるのは時間的に厳しいものがあるが、大崩落とも言っていいほどの大穴が目の前に口を広げているのを見ると、先ほどまでの頼もしさが萎んでいくのを感じる。


「…大丈夫。その湖は成り損ないの地層だから崩れたんだよ。陸の方は…多分、鉄鉱床だからでかいし丈夫だ。簡単に崩れたりはしねぇよ。…ミドランジアに崩されなきゃな」


 俺の揶揄するような口ぶりに対して、ガイシャは真面目に答える。穴の中に流れ込んだ水は更に下へと流れ落ちたのか、穴の下には蠢くミドランジアが見える。奇しくもこの空間は丁度蝕む水の底の真上に位置していたのだろう。崩落した天井はこの地底湖の底だったというわけだ。


「タルテ。確か苔とか菌の類でレポートを書こうとしていたよな?下のコイツは丁度いいんじゃないか?」


 ミドランジアは大量の死骸を吸収したからか、本来の姿が崩れつつある。数多の死肉を癒着するかのように身に纏ったその姿は、さながら肉でできた粘菌のように見えるだろう。


「あれは…どちらかと言えば…粘液状生物スライムですよ…。ハルトさんの方が相応しいのでは…?」


 グシュグシュと不快な音を立てながら蠢く肉塊。前世で世界最大の動物はシロナガスクジラであるが、生物までその範囲を広げると粘菌が最大の生物という話があった。今、眼下で蠢くミドランジアはその話を思い起こすほどに巨大で、説明不要な強さを俺に訴えかけて来ている。


 …果たしてこの規格外の大きさの化け物をどうやって殺せばいいのだ?こんなもん、複数のパーティーやクラン、それこそ騎士団で対応するべき規模の化け物だぞ…。


 同じことを他の面々も感じているのだろう。下手に下方に向かって攻撃を放つことはなく、その挙動を見守るように観察している。ここにいる誰もが、その巨体と、生命の形から逸脱しつつある姿に攻めあぐねてしまっているのだ。


 だが、何時までも状況は膠着してはいない。ミドランジアに宿った呪詛が所々で燐光を放ち、血肉を透かすことで赤黒く色付く。粘菌から今度は溶鉄のように見た目を変えたミドランジアは集合するようにしてこちらに向けて身体を持ち上げる。


 そして、ミドランジアからしてみれば真上で顔を覗かしている俺らの更に上、天井にある亀裂から滲み出る光に手を伸ばすように、その手なのか触手なのか判別できない突起をゆっくりと持ち上げたのだ。


「ハルト…!こっちに来るよ!…いや、もっと上に行こうとしている?」


「オーベッドが言っていたとおりですわ!この化け物、地上を目指しているのでしょう!」


「…天道虫かよ。…動きは鈍いがこの巨体だ。地上まで競争したって勝ち目は薄い…か…」


 こちらに向かって伸ばされたミドランジアの触手には、本来の奴の触手がそうであったかのように、小さな牙の並ぶ口が備わっている。しかも、一つだけというケチなことはなく、数えるのも億劫な数が触手の表面に無秩序に並んでいるのだ。


 そしてその口々は岩の壁を確実に掴んでいる。俺らが散々回り道をしながら少しずつ上方に向っていくのに対し、ミドランジアなら逆さ世界樹の壁面をその口を利用して掴み、そのまま這いずるようにして登っていけるだろう。


「そういえば、イカの吸盤にも牙が並んでいるんだっけか…。蛸からイカにスタイルチェンジしたわけか…」


 脇道に潜んで奴が通り過ぎるのを待ってから地上に帰るという安全策もあるが、俺の勘がコイツをこれ以上外に出すことを拒絶する。往々にしてこうやって増殖していくタイプの敵は放っておくと手がつけられなくなるのだ。


 その勘が正しいと裏付けるように、視界の端から知りたくなかった情報が飛び込んでくる。奴が伸ばした巨大な触手が、珊瑚状のキノコとその陰に潜んでいたのであろう魔物を押し潰す。すると触手に備わった口がキノコの破片や魔物の死体を咀嚼し、その口からこぼれた死骸が奴の触手に張り付くようにして同化し始めたのだ。


 …死体の数だけその体積を増していくのか。死霊術師ネクロマンサーは戦いでうまれた死体を利用して新たに味方を増やすという悪辣な戦力補給能力を持つが、ミドランジアはそれを自前の能力で備えているのだ。こんな奴を野に放てば、瞬く間に地上を食い荒らすだろう。


「おい、どうすんだよ。もしかして、コイツに上まで乗っけていって貰うつもりか?」


「ちょっと…。私はこんな化け物に地上までエスコートされるのは嫌よ?」


「柔らかそうだし、乗り心地はいいんじゃねぇか?そのまま吸収されそうだがよ」


 カクタスが茶化すかのような台詞を吐くが、その視線はこちらを問い詰めるようでもある。卑屈さはないが俺らの判断を窺うようなその様子を見て俺は得心がいった。彼らも彼らである意味窮地に立たされているのだ。


 元々が隣国から逃れたオーベッドの引き起こした惨事。もしこれが露見し、もみ消せぬほどに事態が大きくなってしまった場合、たとえ呪詛喰らいのミドランジアを討伐せしめても、その次には責任の追及が始まることとなるだろう。


 そしてその場合、責任者リストの上から近い位置に彼らの名前が記載されているのだ。単なる雇われだとかは関係ない。社会的な弱者としての悲哀がそこには在るのだ。


 だからこそ、彼らはこの場でコイツを片付けておきたいのだ。そしてなにより、湧水の森でも思ったが、カクタスには戦闘狂バトルジャンキーのきらいもある。命のチップを酒場のおひねり程度の感覚でベットする彼にしてみれば、雇い主のご機嫌伺いに命をベットするよりこの場で化け物に相対するほうがよほど有意義な賭けとなるのだろう。


「止めるしか無いだろ?…別に変な正義感に目覚めたつもりはないが、そもそも俺らが狩り途中の獲物だ。手負いの獣を放り出すのは厳禁なんでな」


 俺らも命をベッドして稼ぐ狩人だ。わざわざ伝説の魔物が目の前にいるのに尻込みする必要はない。狩人としては逃げて情報を持って返り、確実に勝てる戦力を準備することが正しい行動なのだろうが、ミドランジアよりも早く地上に戻れるとは思えないのでギルドも文句は言わないだろう。


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