第340話 地底から呼びかける者

◇地底から呼びかける者◇


「早く通路に飛び込め!のんびりしてる暇はないぞ!」


 岩塩から死肉の山に戻り、うねるように脈動する地面はまさしく巨大な生物の臓腑に迷い込んだようで、揺らぐ地面も相まって奇妙な感覚を訴えかけてくる。塩から肉、肉から塩と目まぐるしく変質する地面は波打つように色彩を変化させ、おぞましくもどこか神秘的な光景だ。


 目の前に地底の呼び声の拠点に通じた穴があるのに、そこに辿り着けているのは直ぐ側に立っていたガイシャだけだ。他の面々は大地震のようにうねる地面に足を取られて、立つのもやっとという状況だ。跳ね飛ばされたオーベッドの首だけが、俺らの様子を嘲笑うかのように揺れる地面に跳ね飛ばされコロコロと調子よく転がっている。


「少しばかり…地面を固定します…!」


 揺れる地面に足を取られている様子を垣間見て、タルテが地面に向って魔法を行使する。死肉に溢れた地面で何をするのかと思いきや、彼女が魔法を行使したのはその死肉に混じった武具の数々だ。


 逆さ世界樹のが流れ着くこの蝕む水の底は、死体ばかりではなく、その死体が身に付けていた装備も同様に集まっているのだ。そして、物質的な密度の違いのせいか、それとも積層した時代のせいかは不明だが、先ほどまで戦っていた場所と異なり、ここいらはそういった武具の類も多く堆積している。


 タルテはそういった死肉に混じった武器の類を一時的に接合する。好き勝手動く地面に鉄筋を通すようなものだ。細かな揺れ自体は抑制しきれないが、うねりはそれで低減することができた。


「タルテちゃん、ありがとう。大分マシになったよ」


「でも…錆びが酷くて…あまり持ちません…皆さん急いでください…!」


「そりゃ、塩水に漬かってたら錆だらけにもなるか。まぁ、数瞬を稼いだだけでも上出来だ。」


 鉄筋を通したといっても素材の武具は既に錆だらけ。ギシギシと軋む音を立てるのなら未だしも、そこいらから枯れた竹を割るような音が鳴っているあたり、本当に長くは持たないのだろう。


 混ざり合った鉱物を選り分けて抽出するどころか、原子レベルで接合している酸化鉄を土魔法で分離するというのは簡単にできることではない。以前に鉄鉱石から鉄を取り出した際にも、還元剤として炭を用いた上で時間を掛けて行ったのだ。話をタルテから聞く限りでは、加熱による還元反応の加速を魔法で代用しているだけなので、精錬作業自体は科学的なプロセスを採用していた。


 …原子レベルまでとはいかなくともミクロ単位の物質を操り、剣なども容易く練成する土魔法使いも居るそうだが、それこそそういった者はそれ相応の訓練に明け暮れた者で、鍛冶魔法として普通の土魔法とは区別されて扱われるほどだ。


「おいおいおい…。…どこまでがミドランジアだ?」


「暢気に見てないでもっと上に逃げますわよ。ここも何時まで持つか分かりませんわ」


「そうですね…。見えない位置に沢山の皹も入ってます…。もっと上まで逃げましょう…」


 逃げ込んだ俺らの背中越しに、ガイシャが蝕む水の底を見詰めてそう呟いた。そう言いたくなるのも納得できる情景で、遠くに聳えるミドランジアを中心にして周囲の死肉には血管のような管が生成されている。呪詛を食らうという話では在るが、呪詛どころかそれが宿った死肉すらも体の一部に取り込んでいるのだ。


 蠢く肉の絨毯は脱出したが、細かな振動は収まってはいない。岩塩という支えを失った蝕む水の底が崩落しようとしているのだ。今なお頭上からは細かな切片が雨のように降り注いでいる。…できればこのまま天井が崩落して圧死して欲しいものだが…、元が蛸だからな。


 俺らはミドランジアに背を向けて上へ上へと逃げ始める。何時の間に回収したのかカクタスの腰にはオーベッドの首が括りつけられており、まるでストラップのように走るリズムに合わせて揺れている。その表情はどこか恍惚としたもので、死して尚も呪詛喰らうミドランジアの誕生を祝福しているようであった。


「…この揺れはまだ駄目だな。ここはまだ確実に崩れる。一次崩落は耐えても、そのまま二次崩落に巻き込まれるな」


「…よく分かるわね。魔法じゃないのでしょう?」


「崩落なんて上層の坑道でもしょっちゅう起こるからな。…むしろ無理に掘り進めて居る上の方が多いんじゃねぇか?」


 意外にもガイシャが俺らを先導するように導いてくれる。タルテが魔法で周囲の状況を探るでもなく、彼は振動と漏れ聞こえる僅かな音を聞いただけで、そこが危険地帯だと判別できるのだ。彼の逆さ世界樹に特化した知識は節々で助けられていたが、危ないと言い切れるその判断能力に頼もしさを感じてしまう。


 地底の呼び声の面々が倒れていた広場を抜けたあたりで、一際大きな振動が伝わってくる。そして遅れるようにして背後からは追い風のように風が吹きぬけてきた。


「…!?これ崩れた音だよな?始まったのか?」


「ああ!こっから連鎖的に崩落が始まるぞ!ここいらもまだ安全とは言い切れねぇ!」


「おいおい。どこまで逃げりゃいいんだよ。…間に合うよな?」


「あそこあそこ!あの湖があったとこ!あそこの岩盤は硬い部類だったから耐えられるはず!…岩盤ごと落ちなければ…」


 崩落による風に追い立てられるようにしながら、俺らはいっそう急いで足を動かし始める。すでに背後からは風に乗った多量の砂埃が火砕流の如く流れ込んで来ており、揺れも激しくなる一方だ。そのまま俺らは静まり返っている居住区画を駆け抜け、海の底のような光景の空間まで滑り込んだ。


 例の岩壁を掘りぬいた地底の呼び声の拠点からは、俺らを締め出すように砂埃が溢れ、空中を漂っていた小型の魔物たちは身の危険を感じて珊瑚のようなキノコの陰に隠れている。


 …そしてこの卵形の空間も完全に安全とは言えない様で、頭上からは石や岩が降り注いでいる。天井近くにはそれこそ卵が割れるかのようにして穴が空き、酷く微かだが光が差し込んでくる。そしてなにより多量の水を蓄えていた地底湖が風呂の栓が抜けたかのようにその嵩を勢いよく減らしている。


 …いや、文字通り栓が抜けたのだ。地底湖の底には大穴が空き、蠢く地底が見えている。この光景を見せれば地の底には地獄があると誰しもが納得するだろう。流れ込む水の轟音に混じって、地底からは俺らに呼びかけるように怪物の声が絶えず響いてこだました。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る