第338話 地底の業火

◇地底の業火◇


「…!?タルテ!念のため遮る壁を作ってくれ!」


 普段は俺が風でナナの火魔法を誘導するのだが、今回は敵が自ら吸い込んでくれている。漂うように宙に舞ったナナの大火球はミドランジアの姿を緋色に照らす。水に濡れてもなお渇いているその身体は艶が無く、唯一その巨体には不釣合いな小さな黒い目玉だけが、緋色の明かりを反射して輝き、それこそ火球が増えたかのように煌いている。


「分かりました…!皆さん…!私の後ろに…!」


 揺蕩う巨人の火は吸引する空気に乗って加速していき、そのままミドランジアの口内へと飛び込んでいく。一緒に吸い込まれた塩と触れ合ったのか、大火球の回りでは線香花火のようにパチパチと黄色い火花が大火球を飾り立てるように瞬いている。


 そして、大火球がミドランジアの口内の奥へと到達した。奴のその体が照明傘シェードとなって大火球の輝きを覆い隠し、周囲に再び暗がりが蔓延ったが、次の瞬間にはキュゴッとやけに高い轟音を鳴らしながら薄闇を押しのけるようにして光が漏れ出した。


「うお…!?でかくなったぞ!火も噴いていやがる!」


「おい…!隠れてろ!熱波にやられても知らないぞ…!」


 タルテの作り出した岩塩の壁から身を乗り出すカクタスに、俺は呆れたように声を掛ける。その岩塩の壁に守られているから俺らは比較的なんともないが、周囲では風が推したり引いたり忙しなく方向を変えて渦巻いている。ナナの火魔法よりも、それによって生じた颶風が破壊を振り撒いている。


 その要因となったのはミドランジアが吸い込んでいた大量の水だ。巨人の火によって熱せられてその吸い込んでいた水が水蒸気となり、瞬間的に体積が約千七百倍にも膨張したのだ。圧力の逃げ場があるため、水蒸気爆発といえるほどの爆轟は起きなかったが、それでも大量に発生した水蒸気が奴の口内や気嚢、触手に通じる気管に中で暴れまわる。


死霊術ネクロマンスで操られてるときより生き生きと動いてるね」


「ナナ…。あれは生き生きと言うより悶えているように見えますわ」


 痛覚の無いミドランジアに生きたまま火に炙られている苦しみなどは無い筈だが、そう見えてもおかしくないように暴れている。実際は膨張した水蒸気が触手の気管を強制的に通り抜けることで、穴の開いた風船や水の噴出するホースのように秩序無く動き回っているのだろう。数本の触手はその圧力上昇に耐え切れなかったのか、千切れるように吹き飛んだ。


 風が収まり岩塩の壁から顔を覗かせてみれば、そこには生焼けのミドランジアが佇んでいる。膨張した水蒸気の圧力が引き裂いたのかその赤黒い身体には破れたような傷口がいくつも並んでいる。それこそ萎びてるだけで大きな傷の無かったミドランジアは、ナナの魔法をうけて動く死体リビングデッドらしくなったといえるかもしれない。


「効果は抜群ね。まだ生きているのかしら?…もちろん、既に死んでるとか野暮なことは言わないでよ?」


「知らねぇよ。まだ動いてるし術は解けてねぇんじゃねぇか?」


 炎が治まった後のミドランジアはだいぶ動きが鈍い。もともと死霊術ネクロマンスは死体媒体にして操作する呪術だ。歪んだ光属性の魔力が肉体に死を許さず強制的に活動させる慈悲無き魔法だが、もちろんそれには限界がある。


 たとえば腱や筋を切断するなどして物理的に動かなくすると、動く死体リビングデッドは行動不能になることが多い。動く死体リビングデッド動く骸骨スケルトン死霊術ネクロマンス的には別の存在であり、骨だけという物理的な要素が無いのに動かすにはそれに準じた術式を組み込む必要があるのだ。


 もちろんオーベッドにとってミドランジアはとっておきワイルドカードであるから、多少損傷しても活動できるような術式を既に組み込んでいるかもしれない。神秘が滲むようなあの儀式のことを考えても、その可能性は十分にある。


 しかし、火に焼かれた死体は簡単に操ることはできない。熱によって硬く変質したタンパク質が、今度は動きを抑制する枷となってしまうからだ。触手の内部の気管に高温の水蒸気が駆け回ったミドランジアは同様の状況と言っていいだろう。


「再生はしてるか?何本か足も吹き飛んでるよな?」


「してるようですが…だいぶ遅いです…!死霊術ネクロマンスだと…体内の光属性の魔力が歪みますから…多分そのせいかと…」


 唯一の懸念事項であった触手にみられる自己再生能力も、思いのほか鈍いようだ。圧力によって千切れた触手の断面は、奇妙に蠢いているが新しい触手が直ぐにでも生えてくる様子はない。もし通常種の浮遊岳蛸スパモン・オクタルスと同等以上の再生能力を持っているのであれば、触手は暫く放っておくだけで生え変わることになるだろう。


 …このまま畳み掛けるか。あるいは…、ミドランジアを回復させる要因を倒すべきなのか…。俺は念のため広範囲に風を展開させ、周囲の状況を確認する。ミドランジアはナナの魔法によって弱っているものの、オーベッドが何か仕掛けてくる可能性を警戒したのだ。


「おい。オーベッドの野郎はどこに隠れてやがるんだ?アイツ殺せばこいつも死ぬんじゃないか?」


「…いえ、操作されることは無くなるでしょうけど、一度発動した死霊術ネクロマンスは術者と切り離される筈ですわ」


 巨大なミドランジアを屠ることを億劫に思ったのか、カクタスもオーベットの姿を探すように辺りを見回した。塩に変質した死体の山も、暴れたミドランジアの触手や吹き荒れた風で打ち崩れているため、見通しが良い。どこかにいるであろうオーベッドを見つけようとヴェリメラも視線を巡らせた。


 だが、奴の姿を感知するよりも先に戦闘音と助けを求めるような声が風に乗ってやってくる。ミドランジアから退避したせいで大分近くなった地底の呼び声の拠点へと通じる道の入り口。そこから俺らの方に向けて叫ぶような声だ。


「おおい!ハルト!いや誰でもいい!こっちに回してくれ!オーベッドが逃げちまう!」


 急いでその声目掛けて風を回してみれば、その入り口近くでガイシャが戦闘をしているのだ。…本人は戦闘は余り得意でないと言っていたが、地底の呼び声の誰かが持っていたであろう盾を用いて意外にも魔法使いであるオーベッドの攻撃に耐えているようだ。


 …優先事項はオーベッドの確保。俺は助けを求めるガイシャの声を他の面々の耳にも運んだ。


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