第337話 這い寄る蛸は食い足りない

◇這い寄る蛸は食い足りない◇


「何あれ!?蛸ってこんなのなの!?気持ち悪い!?」


 蓮の実のように臼歯が何重にも並んでいるミドランジアの口内を見て、集合体恐怖症トライポフォビアめいた感覚を刺激されたのか、ナナが鳥肌を撫でる様にして悲鳴を上げる。そう思ったのはナナだけではないようで、女性陣は背後を振り返りながらそのミドランジアの姿に気味の悪い顔を浮かべている。


 俺らの周囲ではミドランジアの口に向けて風が流れていき、先ほど削りだした岩塩の欠片や足元の水を吸い込んでいく。今はまだ距離があるため吸い込む力も弱いが、このままミドランジアに追いつかれたら、掃除機のようにして俺らもあの口内に吸い込んでしまうだろう。


「むぅ…。お腹が空いてるなら…これはどうです…!!」


 吸い込む風に服をはためかせながら、タルテは魔法を行使する。作り上げたのは尿管結石をより邪悪にしたような巨大な岩塩の塊。明けの明星モーニングスターにも似たそれをタルテは両手で掲げ上げ、後方へと投げつける。


 二回、三回、地面の上を跳ねたそれは、次第に風に乗って加速するように転がり始める。そしてそのままミドランジアの口内へと飛び込んだ。巨大なミドランジアにしてみても無視できないサイズの岩塩の杭の塊。タルテはそれを体内に入れることで内側からぶっ壊すつもりなのだろう。


 しかし、大食い伝説を築き上げたミドランジアだからか、よく噛んで食べることの重要性は知っていたらしい。口にその岩塩の塊が入った瞬間、奴は勢い良くその顎を閉じてその臼歯で磨り潰すように岩塩の杭の塊を噛み砕いた。


「ありゃりゃ…。やっぱり駄目でしたか…。せめて鉄鉱脈が近くに有れば…」


「奴の足を止めただけで上出来だ。このままもっと距離を稼ぐぞ」


 まるで画面の左端から巨大な敵がスクロールしてくるゲームのように、俺らはミドランジアから遠ざかるように足を進める。再び口を開けて吸引を開始したミドランジアは触手を前方に伸ばし、這いずる様にしてこちらに向かってくる。


 迫ってくる敵には一時的に分散して目標を絞らせないことが効果的なのだろうが、この吸引の風が吹いている状態で俺から離れることは少々危険すぎる。俺が風を制御できない距離にいられると、そのまま吸い込まれる可能性がある。


「おいおい。また迫ってきやがったぜ。今度はどうするよ」


「なら、私のソースをご馳走してあげようかしら…。ヒュドラじゃないなら毒の耐性はないでしょう?」


 距離を詰めてきたミドランジアに向けて、今度はヴェリメラが毒を放つ。粘性を持つその黒い毒液は濃いインクのようで水に交わっても溶け出しはしない。そして、風に乗り空中に黒い筋を描きながらミドランジアの口に吸い込まれていく。


 雑食性のミドランジアに毒がどこまで効くか分からないため、俺はその様子を注意深く観察する。たとえ効いたところであの巨体だ。致死量はかなりの量が必要になるだろうから、効果があるのならば戦略的に使う必要がある。


「えぇっ…!?何これ…。強制的に魔法が解けたんだけど…」


 しかし、毒の効果を確認する前にヴェリメラの戸惑う声で失敗を知らされた。彼女の目はミドランジアの口内に向けられ、そこにあるはずの毒液を見詰めている。彼女の放った黒い毒液はミドランジアの口に入った途端、白い煌きを見せながら消えて言ってるのだ。


「メルルさん…。あれって…」


「…ええ。呪いの気配がしますわ。…古い褪せた呪い。それでも死してなお蝕む強力な呪いのようですわね」


「…もしかして、ヴェリメラの毒は生物毒扱いなのか?」


 口にする物が塩に変わってしまう飢えと乾きの呪い。ヴェリメラの毒魔法がどのようなものかは分からないが、強力な毒は生物由来の物が多い。言ってしまえば肝臓が無毒化しているだけでこの世の大半の物は毒物だ。そのため、彼女の毒も呪いに食料と判断されたのだろう。


 それこそ、生物を強制的に塩に変える呪いだ。他人の魔法を強制的に解いて塩に変換することなど分けないだろう。


 まだまだ足りないと言いたげにミドランジアはこちらに這い酔ってくる。塩も、水も、風も飲み込み、それでも飢えに乾く魔獣は満たされないと嘆き苦しんでいる。


「タルテちゃん、メルル…!あの呪いは炎にも効くの?」


「ごめんなさい…!効果範囲までは…。でも…!火はじゃありませんので…」


 走りながらナナが呪いに造詣の深い光と闇の魔法使いである二人に尋ねかけるが、流石に伝説級の呪いまでは把握していないようだ。しかし、ナナは一か八かと言いたげに魔法を構築し始めた。


「ナナ!火魔法を使うなら水を除きましょうか?」


「大丈夫!それが目的だよ!このまま水と一緒に食べてもらう!」


 風が荒々しく吹き荒れているため酸欠になる心配はないが、逆にこの場は水に満ちているためそこら中で飛沫が飛んでいる。メルルが気を回してナナに提案するが、ナナは問題ないと言い切った。


 青白い光が満ちるこの蝕む水の底で、ナナの頭上には緋色の輝きが灯り、他の明かりを駆逐するかのように輝き始める。構築自体は単純な火球のそれだが、注ぎ込む魔力の量は上位の魔法にも匹敵している。


 水や土、風と異なり、それ自体が生物を焼く火魔法は、構築が単純でも魔力を注げば注いだ分だけ殺傷能力を増していく。余分な制御に力を割くのではなく、純粋に火力を求めるために力を尽くすという魔法が薄闇に慣れた目には眩しいほどに輝いた。


「それじゃ!みんなも気をつけて…ねっ!!」


 いつかは竜をも焼いた巨人の炎が、ミドランジアに向けて放たれた。


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