第336話 地底の大穴

◇地底の大穴◇


「蛸じゃねぇか!?」


 上空でミドランジアの首…ではなく触手を避けながら俺は叫ぶ。地上からではその巨体ゆえに判別が付かなかったが、高所から見下ろしてみればミドランジアの姿がヒュドラではなく、全く別種の物だと直ぐに判別することができた。


 萎びた球形の胴体から伸びる八本の触手に、黒く丸々とした瞳。どちらかというと本物の蛸というよりは、画面越しに見たカンブリア紀の化け物に似ている。地面の下から襲ってくる奴ではなく、犯罪者だらけの豪華客船を襲ったほうだ。B級映画においてカンブリア紀は化け物の巣窟なのだ。


 シルエットだけで見れば薔薇の化け物にも似ているが、植物系の魔物というには切断面が余りに動物的すぎだ。人食い植物マンイーター系の魔物ではなく、蛸の魔物がミドランジアの正体だろう。


 なにより、コイツと近しい特長をもつ蛸の魔物を俺は知っている。俺は地面に着地しながらそのことを口に出した。


「地底の呼び声の拠点の近くで浮遊岳蛸スパモン・オクタルスの妖成体を見ただろ?ミドランジアは恐らく浮遊岳蛸スパモン・オクタルスの変異種だ」


 浮遊岳蛸スパモン・オクタルスはそれこそ山のように巨体で地表ごと吸い込み食らい尽くすような大食漢で雑食性だ。生態系を崩壊させるほど食らい尽くしたと語られるミドランジアの特長とも一致する。


 矛盾点としては浮遊岳蛸スパモン・オクタルスは空中を浮遊する魔物ではあるが、変異種故に体重が増加したのであれば飛べなくてもおかしくは無い。


 何より浮遊岳蛸スパモン・オクタルスは食べた食料を体内で醗酵させて、生じたガスにより浮かぶのだ。呪いにより食料を得られなくなったこいつはどのみち浮かべなくなるはずだ。


「蛸って手足に口が付いてるの?クラーケン見たいな奴なんだよね?」


「いや、アレは口なんかじゃない。通常種はあんな牙なんか付いてないから紛らわしいが…、浮遊岳蛸スパモン・オクタルスは空を泳ぐために手足に噴出…孔…が…」


 俺がナナに説明をしていると、ミドランジアの七本の触手が口を開けて俺らの頭上に並ぶ。その開いた口の奥は、喉が大きく広がっておりヒュウヒュウと音を鳴らしている。…まさしく、今言ったことを説明してくれるつもりなのだろう。


「全員!俺の近くに寄ってくれ!ブレスが来るぞ!」


 俺は焦りながらも全員に呼びかける。厳密にはブレスではないが似たようなものだ。浮遊岳蛸スパモン・オクタルスはガスを貯めている器官から触手の先に向けて管が伸びており、そこからガスを噴出して空中での姿勢制御を行うのだ。そしてその噴出孔がいま俺らに向けて狙いを定めている。


 ミドランジアの身体の中で圧縮された空気が触手の中を通ってその口から勢い良く吹き出した。超巨大なエアーコンプレッサーから吐き出される激流ような空気の奔流は、俺らなど塵のように吹き飛ばしてしまうことだろう。


「ちょっと!ダ、ダーリン!大丈夫!」


「ヴェリメラさん…!駄目です…!ハルトさんはかなり複雑な制御をしています…!」


 俺らの周囲で竜巻の如く風が巻き上がり、塩の床を剥がしてゆく。ヴェリメラがその様子に怯えて俺の腕に掴みかかってくるが、俺には引き剥がすような余裕は無い。普段なら胸の感触を楽しむのかもしれないが、七本の触手から噴出する風を制御することで忙しいのだ。


 幸いにもこの空気の激流は魔法による現象ではなくミドランジアの身体能力によって生じる風だ。そのため噴出孔から出た瞬間から俺の魔法で制御することができている。直撃するような軌道のブレスを渦巻くように左右に逸らし、俺らの立っている場所を無風状態に変える。


 厄介なのは噴出孔が七本もあり、それが移動するという点であろう。遊星の如く俺らの周囲を飛び回り、角度を変えながら吹きすさんでいる。


「おおぅ。スゲェな。ブレスを避けるんじゃなくて受けて立てるのが魔法使いのずるいとこだよな」


「あんまり前に出ないで下さいまし。波に足元を掬われますわよ」


 風は足元に溜まった水をも吹き飛ばし、その飛沫をメルルが防いでくれている。そして一頻り吹き荒れたそれも、息切れを起したように緩やかに収まった。塩の地面は俺らを中心に円形に抉れており、その窪みに向けてメルルが弾き飛ばしていた水が流れ込んでいく。


 風が収まり、一時の静けさが俺らを包むが、そううかうかとはしていられない。ミドランジアが浮遊岳蛸スパモン・オクタルスの変異種であるならば、次に行う動作は簡単に想像できるのだ。


「今度は退避だ!文句は後で聞くから従ってくれ!」


「はぁ?お次は何だってんだよ?逃げればいいのか?」


 ヴェリメラとカクタスは素直に頷いてくれないと思い、強引な呼びかけをしたのだが、思いのほか二人は問題なく指示に従ってくれる。


「身体の中の空気を吐き出したからな…!次は吸い込みが来るんだよ…!本体ごと飛んで来るぞ!」


 俺は走りながら説明する。その説明が正しいと言いたげに、七本の触手はアンカーのように地面に牙を突きたてる。…もしミドランジアをヒュドラと勘違いしたままなら次の攻撃で全員お陀仏になっていた可能性もあるだろう。


「出した次は呑む。…酒みたいなもんか」


「いいから足を動かせ。どこまでいけば安全圏かなんて俺だって知らないからな」


 ゆっくりと風が後ろに向って吹き始め、その風の行き着く先にミドランジアの本体が姿を現す。まるで砕氷船の如く塩の山を削りながらミドランジアは俺らに向かって滑り寄り、その体には触手とは異なり臼歯が何列も並んだ大口がぽっかりと穴を開けている。


 栓が抜けたかのようにその口に向って周囲の風が流れ込んでいき、風だけではなく岩塩も水も底目掛けて吸いこまれていった。


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