第330話 地底の産声

◇地底の産声◇


「呪いが…、周りの人たちに…宿っています…」


 唾棄すべき忌々しい行いだと言いたげに、普段は大人しいタルテが怒りをこめてそう呟いた。どこか遠くで響いたようにも聞こえた水の沸き立つような音は、今まで広間の中で呻いていた男達から染み出た音だ。


 その湿気を帯びた音は血肉の湧く音。腕や足にはまるで寄生植物の類が繁殖するかのように鱗が生え揃い始め、背中や肘では蛹から羽化する如くに鰭が勢いよく皮膚を突き破り、血の飛沫が飛ぶ。そして、彼らの頭部は大きく膨らみながらも、まるで見えぬ手に押しつぶされるかのように変形し、醜い半魚人サフアグンのそれに変化していく。


 急激な速度で変質していく彼らは、筋肉が強制的に収縮しているのか、それこそ陸に上がった魚のように地面の上を跳ね回る。そして、歌い箱が止まったことで訪れた静寂を破るかのように、奇声じみた産声を上げた。


 産まれ落ちたくなかったのか、あるいは母の心がわかって恐ろしいのか、半魚人サフアグンに成ってしまった者達の産声は、苦しげにも恨めしげにも感じ取れる。しかし、感情を映さぬ魚の目からは、その真意を推測することもできやしない。


「あの箱だ…あの箱のせいだ…。ありゃ、聞いた奴らを魚に変えちまうんだよ…」


 たまたま近かったから俺らに治療された男は、ともすれば自分もそうなっていたという事実に怯えるように呟いている。彼は恐ろしげに周囲の半魚人サフアグンを見詰めながらも、時折、発作のように自分の手を確認し、未だに自分が人間であることを確かめている。


「ねぇ、あの箱について他に知っている事を教えてよ。半魚人サフアグンになってしまうとその後どうなるの?」


「う、歌い箱はオーベッドが持ってきたんだ。あいつは、セイレーンの…赤子箱とか言ってたか?…ちょっと音を聞くぐらいは問題ないらしいが、薬で弱った奴だと命令を聞く魚になっちまうんだ…。けど…!こんな急じゃねぇ!何回も聞かせてだんだん変わっていくんだ!」


 彼が語り始めたのは自分の罪の告白でもあるし、何故オーベッドと地底の呼び声が協力していたかという理由でもある。歌い箱…セイレーンの赤子箱は俺らの予想の一つにあったように、穴を掘る奴隷を都合するためのオーベッドが地底の呼び声に用意した交渉カードの一つであったらしい。


 …できればどのような呪物なのかをもっと詳しく聞きたいところなのだが、彼はオーベッドが使う様子を見ていた程度で、その効果について詳しいわけじゃ無さそうだ。それに暢気に聞き取りをしている時間も無い。完全に変質を終えたのか、産声を上げた半魚人サフアグン達が立ち上がり始めたからだ。


「…こいつらはこのまま穴掘りに行くのか?…鶴嘴が足りないみたいだが…ガイシャ、お前の奴を貸してやったらどうだ?」


「俺にふるんじゃないッ!さっきからやベー状況の連続で、こっちはいっぱいいっぱいなんだよ…ッ!」


 軽口を叩きながらも、俺らは戦闘態勢を整える。ゆらゆらと手を揺らしながら立ち並ぶ半魚人サフアグンを刺激しないためにも先制して仕掛けることはしないが、怯えるガイシャと生き延びた男を除けば全員が武器に手をかけている。


「…そ、そうだ…そうだよな…!オーベッドは確か…歌を聞かせた後に…命令していた…!こいつらは…命令待ちの状態だ!!」


 最初に半魚人サフアグンとの均衡を破ったのは、たまたま助けた男だ。そいつは、何か不穏なことを呟いた後、俺らの近くを飛び出して半魚人サフアグンの方へと走り酔った。


「…!?おい…ッ!不用意に飛び出すな!」


「うるせぇ!こんな危ない所に居られるか!俺は地上に戻るからな!…この魚共!俺を上まで護衛しろッ!」


 通常とはセイレーンの赤子箱の様子が異なると本人が言っていたのに、彼は半魚人サフアグン達に近づくと唾を飛ばしながら命令する。…異様な状況に少しパニックになっているのかもしれない。


 地上に向けて護衛しろという命令に対して、半魚人サフアグン達の回答は非常にシンプルであった。その細長い腕を男に伸ばすと、四本の指先をその口内に突き入れ、男の下顎を掴んでみせた。そしてそのまま男を引き寄せると、観察するように持ち上げる。


「…!?んぅ!?んん!!」


 暴れながらも口内に指を入れられたせいで叫ぶこともできない。半魚人サフアグンは命令をする男への反逆だとか、近づいたから警戒して捕らえたといった様子は無い。むしろ、無邪気な子供が興味を引いたものに手を伸ばすような振る舞いだ。


 その推測は正しかったようで、他の半魚人サフアグンも男にたかり始め、おもちゃを目にしたように次々に手を伸ばして男の取り合いになる。腕を掴まれ強引に引き寄せられ、それに他の個体が抗うように足を別方向に勢いよく引っ張る。その間も最初の個体に顎を掴まれているため、骨が折れる音や筋が切れる音があたりに響く。


 そして、半魚人サフアグンに大人気のおっさん人形はその無邪気な暴力に晒され、ぬいぐるみの手足が捥げて綿が飛び出すように、血肉とはらわたをあたりにぶちまけた。


 助けに行こうだとかそういうことは考えない。なぜなら、半魚人サフアグン達の瞳にはおもちゃと認識した男に似通った者達が映っているからだ。今までは呆けていた半魚人サフアグン達が、まるで起動していくかのように活発になっていき、広間の中が俄かに騒がしくなる。


「うっへ。ああは成りたくないわな…」


「逃げる…にはちょっと分が悪いな…。全員囲まれないように注意しろよ」


 感情の無い無機質な魚の目が俺らの姿を映す。その気味の悪い光景に俺らは肩を寄せるようにして身動ぎし、構えた剣を握りなおした。半魚人サフアグンは俺らの様子を観察するために一瞬の静寂を纏った後、興奮したかのように再び叫び始める。そして、それこそ浜に打ち寄せる波のようにして、半魚人サフアグン達は俺ら目掛けて一斉に走り寄って来た。


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