第329話 地底の叫び声

◇地底の叫び声◇


「…ぁあ?…海…還る。人…来たら…見てもらう?」


 壁に寄りかかるようにして胡坐をかいており、顔の半分が腫瘍にように膨れ上がって魚に変質していた。治療した男はその成りかけの半魚人サフアグンを止めろと叫んだが、その半魚人サフアグンは何かを仕掛ける様子はなく、呆けたように言葉を呟きながら虚空を見詰めている。


 治療した男の焦った様子に、俺らは勢いよく振り向きはしたものの、その様子に一瞬躊躇してしまう。…止めろといっても何を止めろと言ったのだ?まさか息の根を止めろとでも?


「…血潮も…海…、穴の底に…海…満ちる…」


「聞こえただろ!あの魚野郎だ!あの歌い箱を止めろ!」


 ほんの僅かな間の躊躇いだが、男はせっつくように声を張り上げる。その男の言葉を聞いて、俺は半魚人サフアグンの股の間に何かが置かれていることに気が付いた。小箱と言うには少々大きな、それでも胡坐をかいた股の間に隠れる程度の大きさの木箱。半魚人サフアグンはその箱の上部に手を当てると、ガパリと俺らに向けてその蓋を開けた。


 中央に小さな踊り子らしき人形が備え付けられた歌い箱。まるでバレリーナ人形のオルゴールのようではあるが、蓋を開けると同時に異様な気配が空間にあふれ出した。…瞬間に理解する。あれは磔の儀礼槍スケアクロウと同様の呪物だ。止めろというのはそういうことなのだろう。


「クソ…!?吹き飛ばすぞ!」


 最速で風を練り上げ、圧縮した空気を半魚人サフアグンに向けて打ち込む。しかし、それに反応したかのように半魚人サフアグンの周りに赤黒い光が立ち上がり、俺の魔法を着弾前に弾け飛ばした。


「…ッ!?ハルトの魔法に何かが当たったの?」


「呪術による割り込みです…!たぶん…自動で魔力に反応するものかと…!」


 物理的な障壁ではなく、強固な魔力の壁に当たったことで制御を失って着弾前に圧縮空気が弾け飛んだという状況だ。見れば半魚人サフアグンの周囲には人形のような呪物が配置されている。あれが術者の代わりとなって魔法の制御を邪魔をするような何かを放出したのだろう。


 土や水のような質量攻撃にはほぼ意味を成さない防壁で、それも恐らくは一回しか発動しないような代物ではあるのだが、その一瞬を稼ぐことに意味があったのかもしれない。なぜならその間に半魚人サフアグンの抱えた歌い箱が動き始めたからだ。


「呪術が来ますわ!…暗き月光は旅人の守りとなる!月の羽衣ムーンヴェール!」


「ハルトさん…!恐らく音を媒介にしたものです…!」


 メルルとタルテが叫ぶと同時に、広間の床に赤黒い光の線が浮かび上がり大規模な魔法陣を形成する。…大量の血が撒き散らされていたため気が付かなかったが、事前に広間に仕掛けてあったのだろう。むしろ、それを隠す目的で血を撒き散らしていたのか…。


 タルテの言葉に俺は反射的に強固な風壁を展開させる。そして、それとほぼ同時に歌い箱が叫び声を周囲に響かせた。


 歌い箱と言われたように、その叫び声には旋律があった。しかし、歌声と評するにはそこ声は酷く不快で、音量も地を揺らすほどだ。このコンサートホールのような地形も悪い方向に働いている。周囲の岩壁は何重にも叫び声を反響させ、より音量を増して広範囲に降り注ぐ。


 それでも風壁の魔法が音の侵入を防いでいるため、まるで台風の目の中のように俺らの周囲は静かだ。また、僅かに風壁を越えて侵入してくる呪いも、メルルの魔法が全て消失させてくれている。俺らが感じるのは風壁の外を満たす呪いの異様な圧迫感だけだ。


「…外は呪いの嵐だ。分かってるとは思うが魔法の範囲からでるなよ?」


「恐らく…あの呪物を使い潰すつもりですね…。中々強力な呪いです…」


 一応は呪いを全て防げているため、俺は一息ついて周囲を観察する。広間に溢れていた死に掛けの男達、彼らは俺らとは違いそのまま叫び声に晒されており、のたうつ様に苦しんでいる。


「オイ、こりゃなんだ?死にたくなきゃ知ってること話せ」


 ここまで来れば誰しもがオーベッドが何かを仕込んだと気が付くだろう。俺とメルルの魔法に守られた僅かな空間の中で、カクタスが治療した男を尋問する。


「お、お前…!あの魔法使いの追っ手だろ!?お前が来たせいでこうなったんだぞ!?」


「ちょっと、無駄な問答はしたくないの。毒で勝手に喋るようにされたい?」


「ひぃッ…!?」


 ヴェリメラが指先から地面に毒液を垂らすと、嫌な音と共に煙が上がる。男は声を荒げていたものの敵対するつもりはなかったようで、そこからは素直に語り始めた。


「オーベッドが…裏切ったんだよ!あの野郎、お前らが来たせいでもう時間が無いって焦りだしたんだ…。…いや、始めっからいつかは裏切るつもりだったんだろう…、じゃなきゃ俺らに食わせる毒を用意してたのがおかしい…」


「それじゃ、やっぱりこの惨状はオーベッドがやったってわけか?」


「あ、あぁ…。あの魚野郎に…他に人が来たら歌い箱を開けるように言っていた…。お前らを罠に嵌めるつもりだったんだろうよ…」


 そう言って男は俺らの周りを見渡す。俺の風壁は不可視だが、メルルの魔法はオーロラに似たベールが周囲を覆っているため、視覚的に呪いを防いでいると見て取ることができる。その呪いを防いでいる様子を見て、男は失敗してやがるとオーベッドのことを鼻で笑った。


 しかし、オーベッドが裏切ったとしても何のために?こいつらがヴェリメラとカクタスにオーベッドを突き出そうとして返り討ちにあったのならば、毒を食わされたというのもおかしな話だ。


「この状況が奴の罠としても…、それじゃお前らを半殺しでここに放置したことの説明が付かない。なぜわざわざお前らに毒を飲ませた?奴は今どこにいる?」


「ま、待ってくれ…!奴の居場所は詳しくは知らない!この下に向ったのは見ていたがそこから先は知らない!…俺らをこんな風にしたのも俺が知りたいぐらいだ!!」


 …下?蝕む水の底に潜んでいたということだろうか。それにまだ何かこの状況には隠された謎がある。


 俺が顎に手を当てて考え込むと、周囲に響いていた歌い箱の音が擦り切れるようにして鳴り止んだ。唐突に現れた静寂に俺はゆっくりと風壁の魔法を解除し、周囲の状況を確認する。


 そしてゴポリという音と共に謎に対する答えが始まった。


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