第328話 地底の呻き声
◇地底の呻き声◇
「…少し待っててくれ。この先を少し探ってみる…」
俺らは壁に開いた通り道らしき洞窟の前で足を止める。安易に中を覗くことはなく、誰もが入り口の左右の岸壁に背中を預け、身を潜めるようにして内部に注意を向けている。
足元に水が満ちているせいで、まるで海岸に波の浸食によって形成される海蝕洞のような佇まいであるが、その壁面には鶴嘴で削った痕跡なども残っており、これが人工的な、しかも最近掘られた洞窟であると教えてくれる。
洞窟の内部は上方に向けて傾斜が付いているものの、階段などは掘られておらず、ある意味ではバリアフリーな造りだ。しかし、その傾斜は結構なもので障害物が無いというよりは通路として不完全な代物だろう。
「んん、意外と…短いな…。この広間の先が上で見た奴らの拠点か…?」
「あら、一本道なの?ならオーベッドを逃がす恐れは無さそうね。…反対側に回りこめるのなら、入り口を塞いでおくべきだったかしら」
散々な道を通ってきた俺らに随分遠回りをしたのだと言いたげに、その通路はそこまでの長さが無い。少し進めば妙に広い空間が存在し、それがそのまま地底の呼び声の拠点らしき場所に隣接している。少なくともその広間までは誰の活動音も聞こえないため、俺らは内部へと足を踏み入れる。
傾斜はきついものの、半覚醒状態の
「この先の広間は…病室…いや寝室か?呻き声を上げながら寝込んでる奴らがいるぞ」
「彼女が逃げる際にまいた毒のせいじゃないかしら。…わざわざ私達に頼らないでも、ここから毒を送り込めば済むのではなくて?」
最初に呻き声を耳が捉えたときは嫌な予感がしたが、その呻き声が女性の声ではなく男の呻き声であるため少し安堵してしまう。奴らの拠点の最下層でもあるため、そういった目的の女性を捕らえている可能性が頭をよぎったのだ。
「言っておくけど、私でも広範囲に毒を拡散させるのは難しいのよ?…そうね。ダーリンが風で運んでくれれば可能かしら。やるのなら声を掛けてね?」
「まずは様子を探るのが先だ。俺だって把握していない場所に風を送るのは不可能だよ」
毒を含んだ空気を送り込むにしてもどこに人がいるのか、この洞窟の構造がどうなっているかを把握してからではないと確実に漏らしてしまう場所が出てきてしまう。少なくともそんな規模の風を吹かせれば、魔法使いでもあるオーベッドには感知されてしまう危険性があるため、できれば奴の居場所を早々に把握したいところだ。それに、ヴェリメラがどんな毒を使うかにもよるが、囚われた人間を巻き込むことも遠慮したい。
そうこうしている内に、寝室らしき広間の手前まで俺らは近付くことができた。俺は中で寝込んでいる者たちを詳しく探ろうと風に魔力を乗せようとするが、それよりも先に不穏な臭いが香ってくる。
届いたのは血の香りだ。ここまで届くとなると結構な出血量であるため、不審に思いながらも風で確かめてみれば、寝込んでいる者の数がいやに多いことに気が付いた。…それに、これは寝込んでいるのではなく倒れているのではないかという状況だ。
血の臭いはメルルにも届いていたようで、メルルは手早く魔法を発動させると、全員が薄闇に包まれる。俺らはその闇を隠れ蓑にするようにして広間の中を覗きこんだ。
「おいおい。お前、俺が側に居たのにこんな毒使ったのかよ…」
「私の毒のせいな訳ないでしょ。こんな毒が即座に出せるなら、もっとましな生活しているわよ」
広間の中は惨状と言える状況であった。小規模なコンサートホールほどの広さの広間の中には血に塗れた男達が横たわっており、その身体は誰もが血に塗れている。口からは呻く声と血の泡が沸き立っており、まだ生きているが誰しもが重傷のようでさながら野戦病院のような想定だ。
カクタスがヴェリメラの毒を疑うような軽口を叩いたのも頷ける。彼らの身体には複数の切り傷があるが、変色した肌や口からでる血の泡などの容態は、出血によるものというより何かしらの毒物によるもののように思えてしまう。
「これってどういう状況なのかな。二人のせいじゃないなら…、彼らで仲間割れをしたってこと?」
「仲間割れにしましても…人数が多すぎないかしら。ガイシャさん…。知っている顔はありますか?」
「あ、ああ。ええと…多分どいつも地底の呼び声の奴らだと思う。もちろん知らない奴もいるが…」
横たわっている奴らはどいつもこいつも死に掛けといった容態であるため、俺らは岩陰から身を乗り出し、広間の中に入る。…案の定、数人は俺らの存在に気が付いたようだが、騒ぐ気力が無いのか呻いているままだ。
「見た感じ…、オーベッドは見当たらんな。なんでこいつら瀕死になってんだ」
「私達が来たことを知ったオーベッドが証拠の隠滅を図った…?いえ、わざわざ手を下す必要は無いだろうし…」
「ヴェリメラとカクタスが来たせいで、地底の呼び声がオーベッドを突き出そうとしたんじゃないのか?仲間って言っても利害が一致してるだけだろ」
この人数を相手にしてオーベッドが勝てるかという問題があるが、事実オーベッドの姿がなく、全員かは分からないが大多数であろう地底の呼び声がここで呻いている。
「ハルトさん…。まだ死ぬというほどでありません…。治療しましょう…」
惨状を俺らが観察していると、近場で倒れている男の容態を確認していたタルテが声を上げる。俺が頷いてそれに答えると、タルテは治療のために男に光魔法を施した。
「…何かしらの毒物のようですね…。ヴェリメラさんは分かりますか…?」
「原液があれば分かるけど、身体に入った後だと腑分けでもしないと無理ね。…脈が早く意識の酩酊…そして喀血。ま、よくある症状だから特定仕切れないわ」
タルテの回復魔法を受けて幾分か顔色の良くなった男だが、ヴェリメラが診断したように朦朧とした意識で何かを呻いている。
「おい、ここで何があった?死ぬ前に答えろや」
「ひゃっ…!?一応怪我人ですよ…!?乱暴にするのは止めてください…!」
カクタスが治療を受けてる男を足で小突きながら話しかける。タルテが抗議するが、その衝撃を受けたせいか、死に掛けていた男の目が少しばかり正気を取り戻す。そして、タルテに支えられながらもゆっくりと上半身を起き上がらせた。
「…っぇ…。…ろ…。…ぃ…。」
「待ってくれ。どうした?ゆっくりでいい」
呻き声を上げていた男の口が、か細く何か意味のある言葉を紡ぐ。俺はその言葉を聞き取るために男の傍らにしゃがみ込んだ。
「…の…うを…と…。は…!…い!」
男はカタカタと震える腕を持ち上げながら口を開く。目は正気のようだが見開いており俺と視線を合わすことは無い。しかし、何かを訴えたいのかその表情は鬼気迫るものがある。そして、一度咳き込むと肩で息を吸い込んでから再び口を開いた。
「そこの!魚野郎を止めろ!早く早く!時間が無い!」
男の目線と持ち上げた腕は俺の背後を指差していた。その言葉を聞いた俺は勢いよく背後を振り返る。彼の指し示す先、このコンサートホールにも似た広間の壁際。そこには周囲の男達に紛れて気が付かなかったが、魚に変質しつつある男が血に塗れて座り込んでいた。
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