第327話 亡骸は塩に眠る
◇亡骸は塩に眠る◇
「真っ白だね。この寒さだから雪景色と勘違いしちゃいそうだよ…」
足を進めるたびに塩に変化した死骸の山は増えていき、今では全てが乳白色に包まれている。ナナは雪景色と表現したが、俺には前世の写真で見た巨大な水晶が縦横無尽に聳え立つ水晶窟を思い起こされる光景だ。
そして、とうとう奴らの掘削現場も目の鼻の先に近づいている。相変わらず神秘的な光景におっさんの声の仕事歌は酷く不釣合いにも感じるが、ここに来るまでに聞き慣れてしまったのか、今では不釣合いというよりも、むしろ人知の及ばぬこの領域に残された僅かな人の営みのようにも感じてしまう。
「見えたな…。あそこに無限塩生成機があるのか…」
そう考えるとある意味戦略物質だ。町村から廃棄されるゴミの類から塩を生成できるのであれば、喉から手が欲しがる統治者など五万と居るだろう。…もしかしらた、それを手土産に誰かしらの庇護を求める算段もあるのかもしれない。
塩の結晶の影に隠れた俺らの視線の先には、地底の呼び声の拠点で見たように幽鬼のようにひたすら鶴嘴を振るう
「呪詛はこれぐらいでしたら直ちに影響はありませんわね。タルテは何か感じますか?」
「そうですね…。私も同じ判断です…。ただ…、あの塩の壁から…濃い呪いの気配を感じます…」
タルテの指し示すのは
なぜなら見えているからだ。既に掘り出され空気に触れている巨大な何か。まだ掘り起こされていない部位も、薄っすらと透けて塩の壁の中にそのシルエットを浮かび上がらせている。だが、それを口にしなかったのは未だに疑う心があったからだ。記録も不確かなほど昔の魔物であるならば、てっきり骨や化石化した遺骸だと思っていたが、塩の岩盤から姿を見せている遺骸には未だに肉が残っているのだ。
「ふぅん。あれがミドなんとかか…。…サラミの魔物じゃねぇよな?」
「確かに似てるけどな。あれは死蝋化してるってことか?それでも驚くべき保存状態だ」
赤黒く、それでいて絞られた雑巾のように深いシワの入ったその皮膚はカクタスの言うようにサラミにも見える。まだ生前の名残を残すその死体が白濁した塩の結晶の中から姿を現しているその光景は、まるで氷付けにされて保存されていたようにも思えてしまう。
死蝋化は腐敗菌の繁殖が阻害され、その間に内部の脂肪が変性して死体全体が蝋状に変質したものだ。…その条件は長期間に及ぶ外気との断絶に湿潤かつ低温の環境。この蝕む水の底はその条件を全て満たしているともいえる環境だ。
「すげぇ…。な、なぁ。あれってヒュドラって奴じゃないか?ヒュドラがミドランジアの正体か?」
「確かにいくつもの細長い首があるようですわね。鱗が無いようですが…それは風化して削ぎ落ちたのでしょうか?」
興奮を隠し切れないガイシャがミドランジアらしき遺骸を指差しながら騒いでいる。ガイシャやメルルの言うとおり、塩の壁からは大木ほどの太さの首のような部位が見えており、塩の壁の中にも薄っすらと似たような部位が見て取れる。具体的な本数までは数えることができないが、それこそそのシルエットはヒュドラといって間違いないだろう。
…幽都テレムナートでも
「…それで、どうするつもりかしら。何時までも鑑賞会としゃれ込むつもりはないのでしょう?」
「できれば…ミドランジアの死体を破壊しておきたいとこだが…、まぁまだ埋まってるなら下手に手を出す必要は無いか。…先にオーベッドを探そうか…」
俺が危惧していたのはミドランジアの死体がオーベッドの手に渡ることだ。
「ハルト…。どうするつもり?」
「問題は…時間だよな。時間を掛ければその分手札は増えるが…」
「私は…放置はお勧めしません…。あそこに眠る呪いは今もなお強大で…どこまで余裕があるかも不明です…」
小声で俺に尋ねてきたナナに俺は悩みながら答える。少々はぐらかした俺の回答に、今度はタルテが忠告をしてきた。彼女達が言っているのは地上に報告のために戻るかどうかということだ。今回の俺らの探索の目的は調査であって討伐ではない。ヴェリメラとカクタスは俺らを巻き込むつもりではあるが、安易にそれに乗るわけには行かない。
しかし、タルテが危惧したように、まだ掘り出している途中とはいえ、着実にミドランジアはその姿を露にしてきている。ここから地上に引き返し、現状を報告、その上で騎士団なりを率いて戻ってくるとなるとかなりの時間を要するはずだ。その間にミドランジアを完全に掘り返されると厄介な状況に陥ってしまう。…ここはこのままヴェリメラとカクタスと共にオーベッドだけでも止める必要があるのだろうか…。
未だにミドランジアを眺めていたそうなガイシャを引き剥がすようにして、俺らは移動を再開する。ミドランジアの掘削場所を回り込むように移動しながら、
塩の結晶に塗れた洞窟の痕跡を辿るなど初めての経験だが、そこを利用していたのは痕跡の隠蔽など考えていないであろう
「あら、私の毒が香ってきたわ。やっぱり、あの岩壁からここまで道があったみたいね」
「てことはそろそろか?さっさと終わらせて帰ろうぜ」
少しばかり歩くと、ヴェリメラが宙に手を翳し、香りを楽しむように空気を軽く吸い込んでみせる。彼女の言う毒とは岩砦で見つかった際に使用した毒のことだろう。俺の鼻にはまだその香りは分からないが、目や喉を押さえて嗚咽を繰り返した男達の声を聞いているため、念のために周囲の空気を遠ざけるように風を吹かせる。
「ほら、あそこよあそこ。誰も来ないところだから隠すつもりは無いみたいね。案外こちら側からなら入りやすいんじゃないかしら」
ヴェリメラの嗅覚が確かだったのか、彼女の指し示す先には明らかに人工の洞窟がぽっかりと口を広げていた。俺らはよりいっそう気配に注意しながら、その入り口へとゆっくりと足を進めたいった。
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