第326話 湖じゃない。海だ。
◇湖じゃない。海だ。◇
「おい、こんな物も流れ着いてるぜ。…研げば使えるか?案外上物も混じってるかもな」
カクタスが盛り土のように積もった死骸の山から錆びに塗れた剣を引き抜く。柄には肉のこびり付いた誰かの手首が付属していたが、彼はそ錆びた剣の刃を握り、手首を使って鋭く振るうことで吹き飛ばした。
装備を奪うことはまだしも、死体を粗雑に扱う行為にタルテが眉を顰めるが、言ってしまえば大半の狩人や傭兵はこんなものなので、わざわざ彼女も口に出してまでは注意をしない。だが、別の意味で問題があるので、俺は彼に口を出した。
「おい。オーベッドが居るかもしれないんだろ?あんまり音を立てないでくれ」
「あ?風で防音してんじゃないのか?」
「最低限しか防音はしていない。こういう音が反響する空間は、完全に防音すると逆に不自然なんだよ」
完全な防音を施すと、何も音が返ってこない空間ができあがってしまうのだ。野外ならば特に気にするほどではないが、逆さ世界樹のような環境では勘の良いものであれば気が付く可能性がある。なにより、たとえ野外であっても外の音が聞こえなくなるため、完全な防音を施したりはしない。
その辺は妖精の首飾りの面々は慣れているが、風魔法使いと行動することの無い彼には知っていなくても仕方の無いことだろう。もちろん、それはヴェリメラやガイシャも同じなので、俺は彼らにも釘を刺すつもりで目配せする。
…特に心配なのはガイシャだ。金に目が眩んだわけではないのだろうが、ここが深海の星天石の見つかった場所ということと、深層の未到達地のような場所ということで、少々興奮しているのだ。まるで初めて遊園地に来た子供のようだ。先ほどまで毒やら呪詛やらに怯えていたとは思えない姿だ。
「うぅ…、気をつけるよ。けどよ、こんな場所来て滾らないほうがおかしいだろ」
俺のジト目に気が付いたのか、ガイシャが姿勢を正して弁明する。一方、直接注意されたカクタスはどこ吹く風で、錆びた剣で死骸の山を小突いて何か無いか探している。
「…よくこんな場所でそんな無邪気な顔つきになれるわね。私には理解できないわ」
「私もその意見には賛成かな。…あまり気持ちのいい場所じゃないよ」
ヴェリメラの方は注意するまでもなく大人しく、男性陣二人を特異生命体を見るかのように見詰めている。ナナがヴェリメラの意見に賛同したように女性陣からしてみればこの蝕む水の底はゴミ捨て場と大差ないのだろう。
確かに女性陣の言うことも理解できなくは無い。青白い光に薄っすらと照らされた幻想的な洞窟ではあるが、その土壌は塩漬けされたせいで血肉の残った死骸で構成されているのだ。上手く岩盤を選んで足を踏み込めば問題ないのだが、誤って積もった死骸を踏んでしまおうものなら、妙に柔らかく滑りを持った感触が足に伝わってくるのだ。
しかし、そんな光景もだんだんと変化をしてくる。砂丘のように九十九に連なった死骸の山や、乱立する石柱を縫うように進んで行き、だいぶ歌声のもとへと近づいていくと、赤黒い色であった死骸の山に白色が混じるようになったのだ。
これが白骨化した骨だけであるならば自然なのであろうが、白色に変化した死骸には先ほどまでの死骸の山と同じで、ミイラのようにシワのよった肉片がこびり付いているのだ。
俺は不審に思い、近場に有った白い死骸を蹴り崩す。今までは柔らかく筋張ったような感触を返していた死骸が、硬い感触と共に割れるように砕けたのだ。
「おいおい、お前が音を立てるなっていったんだろ?何か面白いもんでも見つけたのか?」
「…見てみろよ。塩が表面に結晶化しているだけかと思ったんだが、どうやら死骸そのものが塩に変わってるぞ」
俺は声を掛けて来たカクタスに、蹴り崩した死骸の一部を見せる。全てが塩に変わっているわけではないが、どう見ても骨や肉に見える部位が、白く濁った塩に変わっているのだ。
「…呪いによる変質ですね…。地上で見た岩塩には呪いの気配はありませんでしたから…、たぶん比較的最近塩に変わったんだと思います…」
「その暴食ゆえに呪われたミドランジア…。食らうものを塩に変えてしまう飢えに乾くミドランジア…。…ミドランジアは本当にあったんだ…!伝説は嘘つきじゃなかった…!」
タルテの鑑定にガイシャが声を荒げ、俺は慌てて風壁の魔法を強化する。…この足元を浸す塩水は、流れ込む水が岩塩層を通ったからではなく、漬かる死骸が塩に変わっていたということなのか。
わざわざ他国の魔法使いかつ呪術者であるオーベッド・オマージュが死骸を掘り出しに来ているため、その存在はある程度確信はしていたが、目の前のこの塩化現象こそ飢えに乾くミドランジアの伝説の証拠となるだろう。
…しかし、死してなお残り、それどころか漏れ出した呪詛でここまでの効果を及ぼすのだ。ガイシャが神々が施した呪いとも語っていたが、納得してしまうほど強力な呪いだ。そもそもの話、口にしたものが塩に変わる呪いという事自体、現代では考えられない破格の効果の呪いだろう。
「なぁ、ミドランジアってどんな魔物だったんだ?狩人ギルドにはその辺の情報は無かったんだが…」
俺が知っているのは、生態系を崩すほどに暴食に走った特異個体の魔物が、呪われたことで更に手が付けられなくなって大暴走を起し、最終的にはこの逆さ世界樹に突き落とされたという話だ。余りにも昔過ぎて、その生態どころかどんな種族かも記録が残っていない。
「どんな魔物って…。いや、俺も色々聞いたことがあるけどよ…、どれも根拠なんてないぜ?よく聞くのは翼を持った黒い蛇竜って話かな…」
翼を持った黒い蛇竜…。この逆さ世界樹で聞くと伝説の
確かに塩の結晶が乱立するこの蝕む水の底は
「あとは…、蛇つながりで八つ首のヒュドラって話もきいたことがあるな。一つは根元から切り落とされ、そのせいで特異個体になったんだと」
「あら、ヒュドラなら戦ったことがあるわ。私には毒が効かないから有利かと思ったのだけれども…、向こうも私の毒が効かないみたいで、結局は他に雇われてた狩人が仕留めてたわ」
「…ヒュドラは亜竜の中でも強力な部類ではなかったかしら?よく無事でしたわね」
「もちろん沢山死んだわよ。まぁヒュドラにしろ蛇竜にしろ、竜種の特異個体が暴れたのなら伝説になるのもありえるんじゃないかしら」
ヒュドラは強力な毒を持った蛇竜だ。…もしかして呪いの正体が毒ということもありえるのだろうか?魔物の類が使う毒は自然毒とは異なり魔法で構築された毒といわれている。余り詳しくないが、その成り立ちは呪いと似通ったものがあるようにも感じる。
「別に何だっていいだろ。とっくの昔に滅んだ奴が生き返るわけでもないし…。なんなら遺体の入手を手伝って少し分けてもらうか?」
カクタスが興味なさげにそう呟いた。だが、その台詞を聞いていやな考えが頭に浮かぶ。…オーベッドが入手した
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