第325話 蝕む水の底

◇蝕む水の底◇


「ここも呪詛…!?…大丈夫なんだよな?」


 蝕む水の底には毒が満ちている。しかし、どうやら毒ではなく呪詛が満ちているようだ。毒の対処はヴェリメラやタルテができると聞いていたが、毒ではなく呪いが出てきたためにガイシャがうろたえている。しかし、少し前にメルルに呪詛払いの祝福を受けていたことを思い出し、窺うようにメルルの方を見ている。


 ヴェリメラとカクタスは懐から小さなタリスマンを取り出し、その状態を確認している。恐らくは呪い避けの類のタリスマンで、オーベッド・オマージュが呪術を使うということで用意した代物だろう。…念のため、メルルが二人にも呪詛払いの祝福を施す。


「その顔は予想していたって感じだな。…これは例の呪物の呪いが漏れ出しているってことか?」


「まあな。…半魚人サフアグンになった奴を連れてっているってことで、少しばかり心当たりがな…」


 半魚人サフアグンは穴掘りの労働力として使われ、完全に半魚人サフアグンになったものはどこかに連れて行かれている。呪術の実験体に使われるには記録を取っていないという不自然さがあったため、ガイシャはオーベッドの目的であるミドランジアの遺体の採掘のために連れて行っているのではと予想した。


 ガイシャはミドランジアの遺体が毒の満ちる蝕む水の底にあり、半魚人サフアグン達を使い潰すつもりでそこに派遣したのだと考えたのだろう。しかし、その推測は少しばかり事実と異なっていると思われる。


「なるほど…。呪術を施すことで呪術に耐性を持たせたというわけですか…」


「既に呪われている半魚人サフアグンは、呪詛にも耐えられるって事だよね?」


 メルルとナナの発言に対して、俺は軽く頷き返す。以前、愛を語る人ギャン・カナッハという妖精に対して、魔銀級の狩人であるエイヴェリーさんは呪剣を用いてその能力を封殺した。強固に現実を歪める呪いの類は、時として他の呪いを防ぐ守りにもなるのだ。


 蝕む水の底の話を聞いたとき、俺はまずそのことに思い至った。オーベッドが呪術媒体としてミドランジアの遺体を求めてきたのなら、その遺体にはまだ呪いが残っているということだ。ならば蝕む水の底に満ちるのは毒ではなく呪詛なのではないのだろうか。


 それならば、半魚人サフアグンになったものをそこで採掘させていることも説明できる。普通の人間であれば長らく活動できない蝕む水の底で、既に呪われている半魚人サフアグンもどきならば長時間の活動も可能なはずだ。


「へぇ…。呪術にもそんなことがあるのね。毒も似たようなことがあるわ。普通の人には毒になるものも、既に毒されている人には薬になったりね。他にも毒同士で打ち消しあったりすることもあるわ…」


「奴にしてみりゃ、半魚人サフアグンもどきは地底の呼び声へ渡す労働力にも、自分が使う労働力にもなるって訳だ。もちろん、まだそうと決まったわけじゃないが、もう直ぐそれもはっきりするだろう」


 既に縦穴の終点も視界に収めることができるほど近づいて来ている。まだ、歌声は大分遠いところから響いてくるため蝕む水の底とやらは結構な広さがあるのだろう。


 俺は風で周囲の状況を確認しなが、蝕む水の底と呼ばれた場所に降り立つ。どこかで作業しているだろう半魚人サフアグンのことを警戒しながらも、俺らは周囲の地形を把握するために忙しなく視線を動かした。


 光を放つ植物の類に、天井まで伸びる石柱が乱立する広大な地下空洞。地底の呼び声の拠点で見たような海の底を思い起こす光景だが、あそこまで光を放つキノコの類が群生しているわけではなくどこか寒々しさを感じてしまう。実際に気温もかなり低く、俺らの吐く息は白い煙となって周囲に霧散していく。


 そしてなにより、特徴的なのは複数の魔物や動物の死骸だろう。足首辺りまで浸水した広大な空間の中に、打ち寄せられたような死骸がいくつもの小さな山を形成しているのだ。


「こりゃなんだ?何かしらの魔物の餌置き場ってわけじゃ無さそうだが…」


「酷いところ…。あんまり長くは居たくないわね」


「どの死体も…食い散らかしたって訳じゃ無さそうだぞ…。状態も妙におかしいな…」


 幻想的な洞窟の中と言うことを除けば、ゴミ捨て場や死体置き場モルグのような光景だ。僅かにだが腐敗臭もするが、潮の香りの方が強烈に鼻をつく。…しかし、うろ覚えだが潮の香りの正体は腐敗したプランクトンの香りということを聴いた記憶もある。もしかして、ここの死骸が腐敗して潮の香りをかもし出しているのだろうか…。


「多分だがよ…、上から降ってきたんじゃないのか?上層や中層で死んで穴に落ちれば…ここにたどり着くんだと思う…」


 そう呟きながらガイシャは指を上に向ける。指し示しているのは天井ではなく、逆さ世界樹の上層と言うことなのだろう。…確かに、逆さ世界樹の大穴を落下し始めた死体、あるいは踏み外して誤って落下した生物は、その過程で何度も岩や崖にぶち当たり、細かく砕かれながら枝の一つに入り込むことになる筈だ。


 そして枝に入り込んだあとは水の流れに乗って更に下層へと運ばれる。それこそ俺らがここまで降りてきた道であれば、死体は容易にここまで運ばれることとなるだろう。


「ハルト様。ここらを見てください。…その舐めて確かめるつもりは無いですが、恐らくこれは塩の結晶ですわ」


「そうなるとこの足元の水が塩水なのかな?」


 皆で死骸の山を調べていると、メルルが死骸にこびり付くように結晶化した白い粒を指差す。…てっきり鍾乳石の類かと思っていたのだが、確かにそう言われれば塩の結晶にも見える。ここにたまる水はどこかで岩塩窟をとおり、多量の塩分が溶け込んでいるということだろうか…。


「ほとんど…腐敗が進んでいませんね…。闇の女神の祝福が掛けられた状態に似ていますが…どちらかと言うと…」


塩漬けピクルスだな。気温が低いこともあるんだろうが、単に塩水に漬かっているせいで腐ってないんだろ…」


 蝕む水の底は逆さ世界樹を落下してきたものが辿り着く、最下層の吹き溜まりということだ。ここまで行き着いた者達は塩漬けにされ、時の流れを忘れたかのようにゆっくりと腐敗していく。


 中には耐塩性が高い植物なのか、死骸の山に根を張るようにして成長している植物の類も見て取れる。その植物が灯す青白い光が、どこか死骸に残った死者の魂のようで、より一層蝕む水の底の風景を冷たく照らしているように感じた。


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