第324話 仄暗い水の底へ向けて

◇仄暗い水の底へ向けて◇


「ええと…。次に枯れ川があるらしい。そこの縁に這って進まなきゃならんが穴が開いているっぽい」


 ガイシャが手帳に目を落としながら、俺らの進む先を指差す。その指示に従って俺らは暗い洞窟の中を進んで行く。


 地底の呼び声の拠点から離れ、だいぶ歩いてここまで来た。ガイシャの口から蝕む水の底が語られたことで、俺がそこに向うように提案したのだ。ガイシャの言った半魚人サフアグンの向かう先が蝕む水の底ということは根拠に乏しいため説得力が弱かったが、まずはあの場所を離れたいという俺の考えも加味された選択だ。


 なぜ、より拠点を探るのではなく離れたのかというと、目を血走られた男達が、二人組みの男女を躍起になって探していたからだ。あのままあそこに潜んでいれば、なし崩し的に地底の呼び声との戦闘になってしまう可能性が高い。


 俺は後ろを付いてくる二人組みに視線を向ける。すると、俺の視線に気が付いたのか、ヴェリメラが小さく手を振ってきた。…一応は共同して動くということで互いに自己紹介をしたのだが、完全に信頼できる間柄ではない。


 ヴェリメラとカクタスからすれば俺らを巻き込んだ戦闘は目的達成に繋がることであろうが、俺らからすれば避けたい状況だ。それを分かっているのか、意外にもあの拠点を離れてほとぼりを冷ますことに二人は素直に従ってくれている。…もしかしたら、戦闘が始まるとオーベッド・オマージュが身を隠す可能性があると考えているのかもしれない。


「お、あったぞ。たぶんこの穴だ。…ここをあのリーガングロックも通ったんだなぁ…」


「…よくその手帳が解読できるな。人に読ませるように書かれていないだろ…」


「そうか?あー、ガキ共に読み書きを教えているからかなぁ。言葉の足りない感じがガキ共の書く文章に結構似てるんだ」


 俺が半ば解読を諦めていたリーガングロックの手帳だが、ガイシャは読み解いてそこに記された道筋を知ることができている。


 今俺らが向かっているのはガイシャが語った蝕む水の底と言われる場所だ。ほとぼりが冷めるまで身体を休めるのも手だが、折角なのでガイシャの言うように蝕む水の底でオーベッド・オマージュが活動しているかを確認するつもりなのだ。


「んん…、少し引っかかりますね…。すいません…引っ張ってもらえますか…?」


「タルテちゃん…。…うん。ちょっと待っててね」


 俺らはガイシャの指し示した小さな穴を順々に通り抜ける。なにやら悲しい顔をしたナナがタルテを引っ張り出しているが、比較的大柄なカクタスが通れているため、この面子であれば全員問題なく通れるはずだろう。


 …ヴェリメラも胸がつっかえたと俺に助けを求めたが、俺が手を貸す前に手早くメルルが引き抜く。胸元に砂利が付いているところをみると、引っかかっていたことは本当のようだ…。


「ちょっと…。本当にここを降っていくつもり?…そんなに水の底とやらに行きたいのかしら?」


「協力が欲しいなら付き合ってくれ。…確証はないが少し思い当たる節がある」


 小さな横穴を抜けた先の光景を見て、辟易としたようにヴェリメラが呟く。目の前に続くのは長大な縦穴で、そこを降る苦労を考えれば足が止まってしまう。


 下方には地底の呼び声の拠点で見たような青白い光が浮かんでおり、この道が最下層まで続いているということを教えてくれる。また、光があるのは上方も同じで、酷く薄っすらとしたものだが暗闇に慣れた今の目ならその明かりを視認することができる。


 …恐らくはこの縦穴は逆さ世界樹の幹からほぼ垂直に地下へと向う枝の一つなのだろう。縦穴の壁にはその明かりの方から流れてくる水が複数の筋の滝となって下方へと降り注ぎ、飛沫となった水滴は霧雨へと変わり俺らを濡らしている。


 水に濡れて滑りやすい岩壁であるが、幸いにも完全な垂直というわけではなく、ねじれる様にして斜面を形成している。俺らは紐をその斜面にたらすと、少しづつ下へ下へと降っていく。


「こりゃ、帰りは別のところを通りたいもんだな。…オーベッドがこの先にいるなら、奴が使ってる道を使おうぜ?まだ通りやすいはずだろ」


「言っておくが、もし見つけてもいきなり仕掛けるなよ…」


 カクタスが俺を探るようにそう言い放った。やけに素直についてくると思ったが、俺が蝕む水の底に対して何らかの確証があると判断しているようだ。…確かに俺は少しばかり思い当たることがある。だからこそ、単純に身を潜め身体を休めるのではなく、蝕む水の底に向うことに従ってくれているのだろう。


 下へと流れる水と共に縦穴を降っていく。降りるにつれ、再び俺らの周囲を青白い光が包み始め、再び海底のような光景を俺らに見せてくれる。だが、そんなことよりも俺の注意を引くのはその臭いだ。さっきよりも格段に濃い潮の香りが俺の元に漂ってくるのだ。


 そして、暫くすればガイシャの推論を裏付ける証拠となるものが俺らの元に届いた。微かでは有るが、向う穴の底から例の歌が聞こえてくるのだ。それこそ流れる水の音に掻き消されるような遠い声ではあるが、その気味の悪さが音量以上にその歌を俺らの耳に留まらせた。


 誰言うとも無く俺らは視線を合わせる。その歌の不気味さと反して湧き上がった好奇心が俺らの脚をせっつくように早める。そこまで乗り気ではなかったヴェリメラとカクタスも、事態が進展したことに気色ばむことを隠せていない。


「その子…。ガイシャだっけ?意外と鋭いのかしら。まさか本当に当たってるとは思わなかったわ」


「そうか?俺は有り得るんじゃないかと思ってたぞ?ミドランジアの死体が今まで見つかってないのも、毒に満ちたところなら納得できるだろ」


「そこの二人。死ぬつもりが有るなら止めませんが、あまり先走らないで下さいまし」


 目的であるオーベッド・オマージュに近付いていることで、ヴェリメラとカクタスは嬉しげな表情を浮かべているが、対照的にメルルとタルテは渋い顔をしている。そして、そんな顔をしているメルルから冷ややかな声が二人に向って掛けられた。


「なんだよ。別に警戒を疎かにしているわけじゃないぜ?」


「そうではありません。まぁ、慣れない者には感じ取れないでしょうが…」


 そう言いながらメルルは似たような表情を浮かべるタルテに顔を向けた。


「はい…。これは…、呪詛です…。それも…かなり濃いものがこの下に漂っています…」


 青白い光に照らされているからか、それとも畏怖の念をいだいているからか、青白い顔色のタルテが深刻そうに小さくそう呟いた。


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