第318話 歌う魚面

◇歌う魚面◇


「それでは…!ゴリゴリ削りますよ…!」


 結局、地底湖の向こう側へと渡る方法は、タルテの穴掘りが採用された。と言うのも、俺やメルルが先行して敵を排除し船を奪って戻ってくる場合、帰路の選択肢も自動的に船ということになってしまうからだ。もし敵に追われるような状況に陥った場合、沈められる可能性のある渡し舟を使用するような状況はできれば避けて通りたい。


 だからこそ、俺らは旗の掲げられていた裂け目まで戻り、その裂け目を通り過ぎてしばらく進んだ位置まで移動して来ている。測量機器なんてものも無いため、魔法による感覚的なものにはなってしまうが、ここが地底湖の向こう側へと繋がる最短地点だ。


「うへぇ…。逆さ世界樹じゃ本当に土魔法使いは反則だよなぁ。俺も魔法使いになりてぇぜ」


「言っておくが、単なる土魔法使いには真似できないからな。タルテの膂力があってこそだ」


 土魔法使いであれば薄い岩壁を崩壊させることはできるが、長い坑道を生成できるほどの魔力が無い。かといって今のタルテの様に岩盤を軟化させるだけでは、結局はその土砂を人力で掻きだす必要があるのだ。


 タルテは指先を尖らせた手甲ガントレットで、まるで土竜のように岩壁を掘り進める。俺らはその後ろに付いて掘り出した土砂を外へ外へと運び出す。時間の掛かる作業ではあるが、既に追跡を振り払われているため、ここに時間を使ったところで問題は無い。


「んん…。ハルトさん…!もう開通しますよ…!風壁の魔法をお願いします…!」


 時折、岩壁に浸透してくる仕事歌の振動で進路を調整しながら掘り進んでいると、思いのほか短い時間で目標地点に到達できたようだ。俺はタルテの声に従い魔法を展開すると、タルテに壁を破壊するように合図を出す。


 まずは目線が通るほどの狭く横長の穴をタルテが生成する。その穴からは先ほど地底湖の上で浴びていた青白い光が、こちら側の闇を切り裂くかのように注ぎ込んで来ている。また、例の歌声も今までに無いほど鮮明にこちらに届いており、今いる位置がコンサート会場に近いことを教えてくれている。


 俺らは連なるようにしてその穴を覗き込む。岩壁に遮られた狭い視界ではあるが、それでも中の様子を確認するだけならば申し分ない代物だ。こちらへ注ぎ込むのは青白い光ではあるが、その視界の一角では温かみのある橙色の明かりが灯っており、そこで複数の篝火が焚かれているのが見て取れる。


「なんだあれ…。暗黒盆踊り…?」


「ハルト様。…その踊りがどのような物かは存じ上げませんが、一応は鶴嘴を振るっているようですわよ」


 一瞬、踊っているようにも見えたが、確かにメルルの言うとおり手には鶴嘴を握っている。だが、その動きはどこか緩慢で、鶴嘴を振るうというよりは、そんな振り付けがある踊りを踊っているようにも見えなくは無い。


 そして何より異様なのはその踊りを踊る者達だ。距離があるため正確に判断することはできないが、少なくとも平地人に見える容貌をしていないのだ。


「…蜥蜴人リザードマンじゃないよな?…半魚人サフアグンか?」


「私は半魚人サフアグンを見たことはありませんが、確かに伝え聞く容姿と似ておりますわね」


半魚人サフアグンがこんな内陸の地にいるの?あの地底湖が海へと繋がっているのかな。ハルトのいう潮の香りも地底湖が海と繋がっているなら説明が付くよね?」


 大きく節ばった鱗に刺々しい鰭の類。そして、人の美醜感からしてみれば醜く映るその魚面。図鑑でみた姿とは少々異なるものの、確かに半魚人サフアグンの特長を色濃く所持している。


 だが、ナナの言うとおりこんなところに半魚人サフアグンがいる事にも違和感を覚える。海から離れていることはなにより、彼らには種族としての問題点があるのだ。


「なぁ、歌を歌ってるし鶴嘴を使うってことは魔物じゃないのか?いや、でもトロールなんかも武器は使うか?」


「生物学的には人種と交配できるからトロールなどとは違って人種に分類されてる。…だが、人扱いされているわけじゃない」


 友好的な人魚マーフォークとは異なり、半魚人サフアグンは場所によっては討伐対象だ。なぜなら彼らは非常に好戦的で粗暴、知性もお世辞には良いとは言えず、独特な宗教を信仰しているため倫理観や道徳、宗教観も異なっているのだ。


文明を持ち言語を操る程度の知性はあるため話をすることは可能であるが、会話ができるかというと別問題で、未だに彼らと和平を結んだという国は聴いたことが無い。


 いわゆる未開の地の蛮族のような扱いであり、彼らがこの国の領土に侵入したのであれば、良くて拘束、悪ければその場で殺傷されることとなるだろう。だからこそ、彼らが半魚人サフアグンなのであれば俺らのように受付を通って逆さ世界樹に侵入することは不可能だ。それこそ、海からネムラまで辿り着くことも難しいはずだ。


「意味が分からんな。ここに半魚人サフアグンがいることも謎だし、そんな半魚人サフアグンが鶴嘴もって穴を掘ってるのも理解できない」


「…ハルトさん…。彼らは…半魚人サフアグンでは無いかもしれません…」


 今まで黙っていたタルテが小さくそう呟いた。手足は微かに震えており、彼女の顔が青く見えるのは、青白い光が注いでいるからではないようだ。


「薄っすらとですが…呪詛の気配がします…。あの姿は…呪痕ではないでしょうか…」


 タルテは怯えた表情をしながらも、力強い目で俺の目を見詰める。彼女の言葉を聞いてから、再びよく観察してみれば、確かに半魚人サフアグンには見られない特長も見て取れる。


 足には一般的な人種が履くような靴を履いているが、そもそも半魚人サフアグンであれば大きな足鰭となっているので履けるはずがない。それにズボンを履いている下半身もやたら細く、何より襤褸切れを纏っている上半身は、鰭が襤褸切れを突き破って出てきている。あんな鰭があるのならそもそも襤褸切れを着込むことすらできないだろう。それこそ、着物を着ていた状態で鰭などが後から出てきたような状態だ。


 …呪痕。人の魂が呪われたことで、魂が行う肉体の物質的形成に悪影響が及ぼされたもの。それは単なる痣や文様で済むこともあれば、時にはほぼ別の物質へと肉体を変えることもある。…有名所ではコカトリスやバジリスクの石化も呪痕の一種だ。


「…進もうか。ここで見ていても確証は取れない。幸いもし呪痕だとしても、タルテとメルルなら解呪ができるしな」


 俺が呟くとタルテも神妙な顔で頷いた。ナナとメルルも真剣な眼差しでこちらを見ている。唯一、ガイシャだけが不安そうな顔を取り戻しているが、三人の気迫に押され、強引に自分を納得させるかのように困り顔で顔を縦に振った。


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