第317話 地底の海洋

◇地底の海洋◇


「見張りは…いないのか?」


 まず、追っていた奴らがここに入っていったのは間違いないのだろうが、その無用心な佇まいに首を傾げてしまう。地下空洞は旗の掲げられた裂け目以外にも、前方へと延びているためそちらに向った可能性もあるが、ここまであからさまな入り口が単なる罠とは考えすぎだろう。


 それでも、見張りがいないという不自然さが鼻に付くため、俺は風を慎重に流し込み、中の様子を確認する。俺の傍らでは、タルテも両手を地に着けて地形や地面の振動を感じ取ろうとしている。


「タルテ。振動を検知しすぎるなよ。魔力が乗っているということは何かしらの効果があるかも知れない」


「はい…!気をつけます…!」


 皆を包むように音を防ぐ風壁の魔法を薄く張ってはいるが、地面に伝わる振動はその限りではない。それに全くの無音は逆に危険であるため、音の全てを防いでいるわけではない。何かしらの影響がないか互いに診断しあう必要もあるだろう。


「んん…?随分広いな…。それに平ら…いや、蠢いている…?」


「…ハルトさん…。水じゃないですか…?下の方は…こう…魔法の通りが悪くなります…」


 俺とタルテで索敵の結果をすり合わせる。俺は風の流れで周囲を検知しているため、そこにある物体が何でできているだとか、どのような質感なのかは判別をすることができない。タルテも同様に、地形を把握することには適しているが、それ以外となると途端に精度が落ちる。


 しかし、二人して出した結論は暫くは人の気配がないというものであったため、俺らは警戒しながらも、裂け目の内部に足を踏み入れることにした。


「随分明るくなってきたね。…これは何の明かりなのかな?」


「光苔にも似てるが…、少し色の感じが違うよな。…タルテ、光球の魔法を一端といてくれ」


「分かりました…。暗くなりますので注意してくださいね…」


 俺らの向かう先からは、青白い光が溢れて来ており、タルテの魔法が無くても問題ないほどには暗い洞窟内を照らしてくれている。俺らは僅かに残った暗がりに身を潜めるようにして、その光の中に顔を覗かせた。


「…おっさんの歌声を除けば…随分神秘的なところだな」


「ちょっと…折角感動していたんだから、おっさんとか言わないでよ」


 俺らの目の前に飛び込んできたのは巨大な卵形の空間だ。俺らはその頂上付近から顔を覗かせていることになる。そして、その巨大な空間の中は、無機質な岩肌ではなく多種多様な植物のような物で溢れかえっているのだ。


「…ニンギョノコシカケにホウキイワダケ…。光っているのは…いっぱいありますが…ヒカリボウシにヤミクイダケが多いですね…」


「あそこに飛んでるのは浮遊岳蛸スパモン・オクタルスの幼生だな。あっちは羽クラゲに、雲海魚の一種…」


 一言で表すなら、地上…厳密に言うには地下だが、そこに現れた熱帯の外洋のような光景だ。タルテ曰くキノコらしいが、そこに隙間無く繁殖するキノコの類はさながら珊瑚礁のようで、神秘的な光を放っている。そして、その隙間を住処にした浮遊性の生物が漂う様はそれこそ生命豊かな海洋のようだ。未だに鼻につく潮の香りが、それこそここが海中だと錯覚させるように語り掛けてくる。


 しかし、眼下の一帯は大量の水が溜まる地底湖となっており、静かな水面が光の中で僅かに揺れている。その水面だけがここが地上であると教えてくれているのだが、何故だか海洋のような光景に妙にマッチしている。


「こりゃ、深層の中盤以降に踏み入れたようだな。初めて見たが納得したぜ。…今回の話に乗ってよかったよ」


「知ってたのか?こんな光景があるなんて聞いていなかったが…」


「深層は松明が要らないって言われてるんだよ。どんな光景が広がっているかは具体的には誰も語らないが…、確かにこんな光景を言葉で表すのは無理があるな。ここまで詩人を連れてくりゃ別だろうがよ」


 軽く興奮しながらガイシャがそう語る。身を潜めていることを忘れて身を乗り出そうとするため、俺は慌ててその背中を掴んで引き戻した。


「うぉ…!?わ、悪りぃ…」


「気をつけろよ…。…確か最初の枝が中層と深層の境目なんだよな。そう考えれば深層の中盤まで来ていてもおかしくはないか…」


 長距離を歩いてきたという訳ではないが、最初の枝自体が下方に傾斜している上、途中で急斜面を暫く下降してきたのだ。深度でいえば中々の距離を潜ってきたことになるのだろう。


「見てくださいまし…あそこ。船がありますわ。それに人も。船守でしょうかしら?」


「あ、本当だ。…この道は真下に降りてくみたいだし、あの船で向こうに渡る必要があるんじゃないかな」


 闇を纏ったメルルが斜め下方、地底湖を挟んだ向かい岸を指差す。神秘的な周囲の光景に目を奪われていたが、確かにそこには小さな手漕ぎの船が泊められている。風で俺らのいる場所から続く道を確認してみれば、確かにナナの言うとおり九十九折りとなった道が真下の方向へと伸びており、そこと船の止まっている場所は地底を挟んで対岸に位置している。


「なるほどね…。通りで見張りが居ないわけだ。ここを越えるにはあの船守に面通しが必要になるわけだ」


「おい、どうすんだ?自慢じゃないが俺は泳げないぞ」


 こちらと向こう岸は砂浜になっているが、その左右は切り立った岩壁だ。縄と楔を用いれば渡れはするだろうが、のんびりそんな事をしていれば確実に見つかってしまうだろう。かといって船守を用いた顔認証システムを突破する方法も無い。それに、もしかしたら松明を振ることで事前にサインを決めていたりもするかもしれない。


「まぁ、問題ないか。どうする?誰が行こうか?」


「こっそりと行くのであれば…私かハルト様でしょうか」


 こちらには風で壁に張り付ける者と壁に通路を作製できる者、水の上を歩ける者に水を枯らせる者が揃っている。…もちろん、最後の者ナナは隠密とは程遠いのでお留守番だが…。


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