第316話 おっさんの歌声

◇おっさんの歌声◇


「ああ、これじゃぁ尾行は完全に不可能だな。…まぁ、幸い一本道のようだから向かう先が分かってるが…」


 歌に気を取られながらも尾行は確りと続けていたのだが、唐突に前方の者達が足を止めたのだ。まさか尾行に感ずいたのかと息を飲んだが、どうにも様子がおかしいため、風でより精密に探ってみれば、彼らが足を止めた理由が判明する。


 しばらく待っていると、足を止めていた彼らが再びゆっくりと移動を開始したため、十分な時間を置いてから彼らが足を止めていた位置まで赴いた。俺は彼らが足を止めていた理由を視界に収めつつ、他の皆に注意するように手で制してみせた。


 俺の視線の先にあるのは、地下へと伸びる崖と表現しても問題ないほどの急斜面だ。彼らはこの道を降るために極端に進行速度を落としたのだ。


「まぁ、今までが天然洞窟にしては随分通りやすかったからな。こんな道でもまだマシな方だろう」


 当たり前の話だが、人が通りやすい天然洞窟なんてものは存在しない。ここまでの道のりも、先人が開拓したとはいえ獣道以下の酷い道のりでは合ったが、この地下へと続く急斜面はより一層人の侵入を拒むかのように存在感を示している。


「随分長く待機すると思ったけど、彼らがここを降りきるのを待ってたんだね」


「流石にまだ降りている最中に私達も降り始めたら、確実に見つかるでしょう…」


 だが、その代償として俺らがここを降りきる頃には、大分距離が離されてしまうことだろう。それでも、この先の道のりが一本道であることを願いながら俺達もその斜面を降りはじめる。


 安全性の向上と、少しでも時間を短縮するため、タルテに頼み降りやすくなるように足場を生成してもらう。勿論、彼らが使ったであろう下降ルートからは離れた位置だ。必要最低限しか照らされていないこの洞穴の中なら、その足場が見つかってしまうことも無いだろう。


 その斜面を下っていると、歌声と潮の香りも次第に大きくなっていく。今まではなんとか歌と分かる程度であったその歌声も、今では一部の歌詞も聞き取ることができる。やはり、歌詞だけ聴けば単なる鉱夫の仕事歌のようだ。


「ハルト。なにか思い当たることがあるの?」


「ん?いやちょっとな…」


 斜面を降りるために光量を上げたタルテの光球に俺の顔が照らし出されたのだろう。歌を聞いて考え込んでいた俺にナナが小さく尋ねかける。


「おいおい、秘密にしていないで何かあるなら教えてくれよ…」


 斜面を降りることには慣れているのか、急斜面よりも歌声の方に恐怖感を抱いているガイシャがせっつくように喋る。あまり不確かなことは言いたくなかったのだが、警戒の意味をこめて俺は考えていたことを口にする。


「この潮の香りと…魔力が乗った歌声…。一応、該当する魔物がいるんだが…」


「…もしかして…例の雑穀は魔物の餌なんでしょうか…」


「なんていう魔物ですの?もしその予想が当たったときのため、対応策を聞いておきたいのですが…」


 みながその魔物について聞きたがっているが、俺はその予想が確実に当たっているとは思えない。近縁種とされる魔物も多く、その特長には差異があるのだが、とある特長が大きく異なっているのだ。


「有名な魔物だから聞いたことがあると思うが…、その二点だけに限ればセイレーンに特長が一致する」


「…セイレーンですか?ですがあの魔物は確か…」


「ああ、半人半鳥のの魔物だ。…決しておっさんの声では歌わない」


 セイレーンは海辺に住む顔と胸元が女性で残りは鳥という魔物だ。その神秘的な歌声は男達を惑わせ、時には傀儡に変えるとされている。雌しか存在しないため、惑わした男と交尾して卵を産むとも言われているが、それは誤りで実際には労働力と食料として扱う食人種カンニバルだ。


 事実、胸部は人と大きく変わらないらしいが、顔は大口で細い牙が連なっているため、美しいというよりも恐ろしい見た目の魔物だ。多分、半人の雌型の魔物と聞いた悲しき男達の妄想が、交尾するだなんて俗説を産み出したのだろう。


 妖精種には人と番う者もいるが、妖魔種には基本的にそんな種族は存在しない。人間の女性を求めるものもいるが、それは嗜虐的思考か、あるいは胎を借りるだけのような悪辣な者しか存在しない。


「男性のセイレーン…新種ですか…?」


「おっさんのセイレーンの可能性はほぼ無い。近縁種のハルピュイアなんかも全部雌型で、おっさん種なんて噂話すら聞いたことが無い」


 タルテが冗談なのか本気で言っているのか分からないトーンで喋る。…だから話す事を躊躇していたのだ。魔力の乗った歌声というセイレーンを代表するような特長が一致してはいるものの、おっさん声という相違点は無視するには余りにも無理がある。ここが海から遠いという問題など、おっさんの声という問題に比べれば些細なものだ。


「セイレーン…?それがこの歌声の主なのか?雌型?」


『…半人半鳥の魔物だよ。…おっぱいが丸出しらしいぞ』


「マジかよ。え?もしかして地底の呼び声の奴ら、そういう目的で飼っているとか…?」


 セイレーンを知らないらしいガイシャに、投げ遣りにセイレーンの説明をする。…もちろん、女性陣には聞こえないようにだ。大した説明はしてないのだが、ガイシャは先ほどまでの恐怖心はどこへ行ったのやら、妙にソワソワしはじめる。…こいつ、胸派か…。


 そんな話をしている間に、俺らはその斜面を降りきり再び前方へと足を進める。そうしてしばらく足を動かしていると、どうやらお目当ての場所が暗がりの先に姿を現した。


 壁面の裂け目とも、荒彫りした門ともとれるそこには、より光量を確保するためか魔導灯が吊り下げられており、粗雑ながらもクランを示すであろう旗が上部に貼り付けられている。そして何よりその横穴の先からは、だいぶはっきりと聞こええるようになった、おっさん達の仕事歌が漏れ出してきていた。


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