第305話 深海は宇宙に触れている
◇深海は宇宙に触れている◇
「クソっ…、またお前らか。調子乗りやがって…」
買取所に入ると、不機嫌な顔をした男が忌々しいものを見るような目で俺らを睨みつける。随分な態度のお出迎えだが、先ほどまで警戒していた待ち伏せという名のお出迎えと比べれば、会話を用いている分、まだ礼儀正しいお出迎えだろう。
買取所がまだ空いている時間帯ということもあるのだろうが、顔を覗かせた瞬間にわざわざご来店の挨拶を飛ばしてくるほど意識してくれているらしい。
「悪いな。今回は採掘に行ってたんじゃないんだ。遺体と遺品の回収依頼だよ」
俺はそのにこやかな笑みを浮かべながらそう答える。そして買取所のカウンターを素通りして買取所内に併設されている狩人ギルドの納品受付に向おうとしたが、買取所の男から待ったが掛かることとなった。
「おい待て!通るかそんなもん!その背嚢に宝石が入ってんだろ!」
怒声が響いたことで買取所内の人々の好奇的な視線が俺らへと集まる。やはり魔道具か何かで俺らの宝石の所持を把握しているのだろう。彼の言うことに間違いはなく、確かに背嚢の中には宝石が納まっているのだ。俺は溜息を吐きながら呼び止めた男に向き直る。
「だから、それも遺品扱いなんだよ。たとえそれをあんたらが買い取るにしても、狩人ギルドへの納品が先だ」
「はぁ…!?んなこと言ったら遺品扱いで何でもかんでもここを素通りじゃねぇか!?」
「その通りだよ。文句があるなら狩人ギルドに言ってくれ」
俺はそう良いながら受注した指名依頼書を男に提示する。回収する物には遺体が持っていた所持品とも確り記載されているため、俺の行動になんら違法性は無い。遠巻きにこちらを見ていた狩人達から、その手があったかと小さな声が漏れ出した。
「ひぇ…!?私は…その、単なる受付員に過ぎないので…」
唐突に話を振られたからか、こちらを窺っていた狩人ギルドの納品受付にいる男性が、肩を縮ませながら悲鳴にも似た声をあげる。確かに一般的なギルド員には荷の重い話なのかもしれないが、少なくとも今は納品が先になることが正しいのだから、もっと堂々としていて欲しい。
俺は買取所の男を無視して、狩人ギルドの納品所の気弱な男の前に移動し、そのテーブルの上に背嚢の中身と依頼書を突き出した。
「リーガングロックの遺体の回収依頼だ。…こっちの袋が彼の遺骸。そしてこの鞄が遺品だ」
「待て待て!何を無視してるんだ!その鞄だ!中に宝石が入ってる!」
買取所のカウンターから身を乗り出すようにして男が叫ぶ。そして彼の遺品である鞄と指差しながら抗議するかのように俺と納品所のギルド員を睨みつけている。視線を向けているのは買取所の男だけではなく、近くにいた狩人達も同様だ。先ほどから視線を集めていたが、リーガングロックの名前を出したため、より好奇心に満ちた視線で辺りが満たされている。
「…えっと、その…一応、内容確認をする必要がありますので…」
狩人ギルドのギルド員は申し訳なさそうに俺に伺いを立てる。つまりは今身を乗り出している男に鞄の中が知られてしまうという事なのだが、ここで納品をしてしまうので俺としてはどうとなっても構わない。あとは狩人ギルド内の問題なので俺は手でそれを促がした。
「…!?これって…!」
「おいおいおい…。深海の星天石か…!?そんなサイズどこで拾ってきた!?」
ギルド員が鞄の中身をカウンターに並べていき、とうとう買取所の男が指摘していた宝石が晒されることとなると、周囲にいる全員が思わず息を飲んだ。…こうなるだろうからナナ達とは見なかったことにするか相談したのだ。
深海の星天石。深い海を思わせる群青の中に、銀河を閉じ込めたように白銀が煌くそれは、世界の境界を揺るがすような神秘を灯す。深海も宇宙も決して人の手の届かぬ上位者の領域なれば、その相容れぬ両者を閉じ込めたこの石は、仮初とも言えども叡智の片鱗に指先を触れさせるのだ。
…しばしの間、買取所を沈黙が支配する。その静寂の中で、深海の星天石に閉じ込められた銀河だけが、ゆっくりと回るようにその姿を変えていく。本物の深海と銀河に比べれば、呆れるほど小さな代物だが、 深海の星天石の中では破格の大きさだ。誰しもがここに宿る神秘に畏怖を抱き恐れている。
それほどこの深海の星天石は貴重な代物だ。逆さ世界樹でも見つかったのは数えるほど。このサイズの物となれば初めてなのかもしれない。…ちなみに無加工の時点で美しく、カットを必要としないため、俺の食指はそこまで動かない。
「…ふざけんな!?そんな代物どこに渡すつもりだ!最終的にはこっちの買取だろ!?すぐにこっちに引き渡せ!」
最初に言葉を発したのは買取所の男だ。その目は血走っており、まるで餓鬼が食物を求めるかのように深海の星天石に手を伸ばしている。
「…一応聞いておくが、いくらで買い取るつもりだ?」
「ぁあ?書いてあるだろ価格表に!流石にそれは特上品扱いにしてやるよ!」
俺は壁に貼り付けられている価格表に目を通すが、呆れて物が言えなくなる。深海の星天石の項目が無いため、扱いとしてはその他となるのだろう。その中で最も高いものでも金貨十枚にしかなりゃしない。
買取所の男はニタニタといやらしい笑みを浮かべている。価格表で想定されていない代物なのに、そこに書かれている値段で押し通すつもりらしい。この宝石には最低でも金貨で言えば千枚、魔金貨ならば百枚の価値のある代物だ。それをこの価格など恥ずかしくないのだろうか。
…というか、そもそも買取所を挟む必要があるのだろうか?もとよりこれは遺品の回収依頼で最終的には主たる依頼者の領主に遺品が渡るはずだ。この買取所も領主の経営なのだから、お財布が別ということはあるだろうが、行き先は変わらないのだ。むしろ、物が物だけに交渉が発生するだろうが、原則的には俺らの懐には依頼料しか入らないため、買取所に売ったほうが得になってしまう。
「…まぁ、納品したからにはこっからは俺の手を離れるからな。あとは狩人ギルドと交渉してくれ」
ここで狩人ギルドが買取所に回すか依頼者に渡すかは俺らには関係ない。俺は言い切るとギルド員に依頼書のサインを要求した。
「サ、サインはします…!で、ですが…!せ、せめてギルドの会館まで護衛をお願いします!直ぐに!指名依頼を出しますから!」
気弱そうなギルド員は勇気を振り絞ったのか俺の腕に縋りつく。ここは所謂出張所のようなところであるため、そこまで警備が厳重なわけではない。そんな場所に次の輸送まで深海の星天石を保管するなど気が気ではないのだろう。
彼もギルド員の一員ではあるため依頼発注の権限は持っている。最終的に彼はこちらを遠巻きに観察していた全ての狩人に指名依頼を発注し、まるで王様のような数の護衛を引きつれ狩人ギルドへと向うこととなった。
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