第293話 地底の勇魚漁
◇地底の勇魚漁◇
「おおう。危機一髪だぜぇ…」
背後の岩の切れ目の外では、轟音と共にタニファが通過していき、まるで特急が過ぎ去る駅のホームのように風が吹き込んだ。
パラパラと砂が頭上から降り注ぐ中、俺らは押し黙って身を潜めた。タニファは正確な俺らの位置までは把握していないのか、岩の亀裂に逃げ込んだ俺らに構う事無く、そのまま先ほどまでいた谷間の道を通り過ぎていく。…流石にあの質量の魔物と正面衝突すれば、頑丈な俺だって無事にはすまない。下手すればそのまま異世界転生してしまうかもしれない。
「…ハルト。そろそろどいてもらって良いかな」
「あ、すまん。…メルル、俺の上からどいてもらえるか?」
「まずはタルテに言って下さいまし」
「す、すいません…!今どきます…!」
四人で折り重なった状態から、塊を解すようにして順々に立ち上がる。ナナとメルルにサンドイッチにされた状況であったが、残念ながら互いに鎧を着込んでいるため硬質な感触しか感じなかった…。
風にて多少は把握していたが、亀裂の内部は思いのほか奥行きがあり、スレスレではあるものの四人が問題なく立ち上がることもできる。奥には小さいながらも済んだ水を蓄えた池があり、そこを中心にして空間が広がっている。
「おっと…、先客がいたか。おじゃましてます」
俺らと同じようにしてここに逃げ込んだのだろうか、亀裂の奥には一体の白骨死体が鎮座していた。その死体の足の骨は折れており、恐らくはその怪我のせいでここから逃げ出すことが適わなかったのだろう。
タルテはその白骨死体に近づくと、簡易的な祈りを捧げる。タルテが祈りを捧げる傍ら、俺はその白骨死体の胸元へと手を伸ばす。そこには彼の身元をあらわすギルドタグが括りつけられている。
別に規則で定められている訳ではないが、同業者の遺体を見つけた際には、こうやってタグを持ち帰るのが通例だ。ついでに白骨死体が大事そうに抱えている手帳も、嵩張るものではないので俺は背嚢の中にしまいこんだ。
「それで、どうしようか?馬鹿正直に相手にするには、少し地形が悪いよね」
「やってることは牙猪と変わらないんだが、左右に逃げ場が無いだけでこうも苦しいとはな」
タニファが削りだして拡張したためか、谷間は測ったかのようにタニファの幅とピッタリだ。タニファの幅と等しいということは、彼の口とピッタリということでもある。…いっそのこと口の中に飛び込んで、原の内側から破り出るか?
如何せん、あの機動力を殺さなければまともに戦えないだろう。先ほどの様子では、俺らを逃したにもかかわらずタニファはそのまま走り去っていった。つまり、上手くあの突進をかわしても攻撃できるのはすれ違う一瞬だけなのだ。
「…どうするか。いったん帰って装備を整えるか?大物を狩るには鎖突きの銛が定石だが…」
いつぞやの竜狩りのように、鎖で拘束するのは良くある手段だ。
「あの…、多分…その鎖…作れるかもしれません…」
「タルテちゃん。それは魔法で作るって事?」
タルテの発言にナナは首を傾げる。無からの物質生成はそれこそ己が身を削る行為だ。一瞬ならまだしも、長時間の大質量の生成はいくらタルテでも難しいはずだ。
タルテはそんな問いに答えるかのように、傍らの岩の壁面へと手を伸ばす。そして、まるで豆腐をくり貫くかのようにして、赤茶けた色の岩を指先で削り取った。
「これ…、鉄鉱石です…。そっちも…この下も…。多分、集めればかなりの量になるかと…」
そういってタルテは握った岩を粉砕しながら俺らに突きつけて見せた。逆さ世界樹は様々な鉱石が産出するが、それは宝石等の希少鉱物に限った話ではなく、鉄などの金属も産出するのだ。浅層の採掘場なんかは、金や銀も掘っているそうだが、主に取れているのは鉄だとも聞いている。
俺らは周囲の多量の鉄鉱石を眺めながら、タニファに挑むための作戦を立て始めた。
◇
「ナナぁ!そっちに行くぞぉ!」
俺は岩の上に待機しているだろうナナに目掛けて声を掛ける。俺の後ろではタニファが再び大口を開けて、土砂を撒き散らしながら迫って来ている。
「任せて!タルテちゃんに合図を出すよ!」
俺の役割は餌だ。風魔法で爆音を出してタニファを釣り出し、チェイスしながら三人が待機している場所まで誘導する餌だ。タニファはやたら煩い俺にご執心なのか、岩の上にいる三人に目をやる事無く、ひたすら俺を追いすがってくる。
前方の石柱の上では、タルテが土魔法を発動し、鎖のついた複数の銛が独りでに浮き上がっている。そして、三人が待機している岩を過ぎ去る瞬間、その銛が一斉に打ち出された。タニファの皮膚は分厚く頑丈なものではあるが、銛はやすやすとそれを貫通し、確りと返しがその身に食い込んだ。
「刺さりましたわ!勢いを殺します!」
「頼む!俺ごと行け!」
「全てを飲み込む淵底の玉座…!若き漁師を老父へ変える慈悲無き厄災…!
幾ら鎖で繋がろうとも、この速度で一気に鎖が張られれば、勢いで鎖が引き千切れてしまう。そのため、メルルには足止めを頼んでいたのだ。彼女は事前に集めていた水を魔法の完全発動と共に一気に開放する。そしてそれは俺の進行方向から鉄砲水の如き激流となって出現した。
俺は激流をかわすかのように、壁面の石柱を駆け上る。そして、数瞬もの間をおかず、眼下ではタニファの大口とメルルの激流が正面衝突した。
メルルのドリンクのサービスがお気に召したようで、タニファはそこで足を止める。そうなってしまえば、再び加速することを鎖の反対側に繋がれた碇が許さない。
「まだまだ行きます…!」
「私も手伝うよ!タルテちゃんはそのまま銛を投げて!」
まるで勇魚漁のようにタルテが追加の銛を投げ込み、タニファの背に飛び乗ったナナがより深くへと銛を突き立てていく。ここにきて、初めてタニファが捕食のためではなく、悲鳴のためにその口を開いた。地響きのような大音響が当たりにこだまするが、それでもナナとタルテは銛を打ち込む手を緩めない。
「おっし。動きを止めた!このまま一気に畳み掛けるぞ!」
俺は石柱を登る勢いのまま空中に飛び出し、剣を抜き放ちながらタニファの眉間へと着地する。そしてその勢いを殺さず、タニファの皮膚を切り裂きながら、尾のほうへと一気に駆け抜けた。
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