第292話 口は災いの元

◇口は災いの元◇


「…あれがタニファ?あのサイズの魔物を私達だけでやるわけだね」


 タニファの縄張りと思われる手前の箇所にて、俺らは一際高い岩のうえに登り、奴の姿を確認する。乱立する石峰にてその姿の大部分は隠れてしまっているが、それでもその巨体は隠しきれることは無く、俺らにその姿を見せてくれた。


 でかいということは強いということ。タニファのサイズは俺らの挑戦がいかに困難かを如実に教えてくれる。四つの水掻きを備えた手足は樹齢数百年の丸太のように太く、腹這いになりながらもその体高は一軒家並の高さがある。


 体には鱗は無いものの、岩のような質感の皮膚に覆われており、特にその多くな口を形作る上顎と下顎は、土砂を掘り返すためなのか一際硬質そうな質感で、プロテクターを着けているかのように発達している。…唯一、体の大きさとは不釣合いな小さいつぶらな黒い瞳だけがチャーミングで、そこだけに注目してみれば意外と可愛い外見なのかもしれない。


「ハルトさん…。ここから先の地形は…、多分…タニファが作り出したものです…」


「ああ、俺もそう思った。都合よく、どの道もタニファの横幅と同じぐらいだからな…」


 目の前の窪地には石峰が乱立しているが、どちらかといえば、岩の間にマスクメロンの網目の如く谷間が走りめぐらされていると表現したほうがいいだろう。谷間のそこの砂利道は砂利を浸すほどの水が流れており、恐らくはグランドキャニオンのように水が作り出した浸食の谷を、タニファの頑丈な顎が掘り進むことで拡張したのだろう。


「見てください。どうやら何とか通ろうと頑張った狩人もいるようですわ」


 メルルが指差したのは乱立する岩の頂点付近。木々の梢ほどの高さの位置に、岩と岩を繋ぐ木製の空中廊下が建てられている。しかし、その板は苔にすっかり覆われており、既に使用されていないと見て取れる。


 その理由はその空中廊下を辿っていけば簡単に判明する。窪地の中心付近にたどり着いたあたりで、その空中廊下は唐突に途切れているのだ。そして、その途切れた箇所の石峰には、なにか大型の魔物が噛み付いたかのように牙の跡が刻まれている。


 空中廊下の高さはタニファの体高を凌ぐものだが、それは奴が腹這いでいる状態に限ったものだ。多少なりとも上半身を持ち上げれば、奴の口は石峰の頂点にも口が届くのだろう。


「結局、この石峰の谷間を進んでいくしかないみたいだね。ここから先は視認することができなくなるから注意しなくちゃ…」


 そうナナが呟いた言葉を合図とするかのように、俺らは奴の縄張りへと脚を踏み入れた。砂利が満ちる谷の底は水が流れているものの、水深は非常に浅く、水面よりも砂利の方が高い程だ。大部分の水は、敷き詰められた砂利の内部を流れていっているのだろう。


 しかし、その地形が俺らの隠密行動を阻害してくる。俺らが歩く度に砂利が軋む音を立て、俺らの存在を周囲に知らせているのだ。


「ハルト。風壁は張ってるの?」


「一応張ってるが…多分、意味は無いだろうな…」


 風で音を遮っても、地面を伝わる音までは遮れない。タルテの魔法を用いれば地面に伝わる振動を消すことも可能だが、その地面の中に水が満ちているため、今度は水が音を伝えてしまう。


 ならばメルルに頼んで水を伝わる音を消してもらうとどうなるか。その場合、振動を消す三人の魔法の境界が少しでもずれてしまえば、そこから相互に音が漏れ出し、完全に消し去ることができないのだ。


「ここの水は流れていますから、自然に音を消すのは私には無理ですわ。音を消しても水流に齟齬が発生して感付くものは感付きます」


 俺がこの地形で完全な防音が難しいことを伝えると、メルルも被せるように問題点を打ち明けた。俺も蝙蝠のように、反響音で周囲を知覚するものに対してはその姿を隠すことはできない。彼らからしてみれば、何故か音の帰って来ない虚空のような空間が存在してしまうのだ。メルルが難しいといった点も似たような理由なのだろう。


「もちろん、あいつが視覚に頼った魔物なら十分に潜めているのだが…、残念ながらタルファは目が悪いらしい。証明はされていないが、振動で獲物を感知している説が有力だ」


 つまり、このまま進めば十中八九、タニファに気付かれるということだ。もちろん、俺らは戦うことを承知でタニファの縄張りに足を踏み入れたのだ。


 四人で隊列を組み、谷間の道を進んで行く。いつ迫ってくるか分からないタニファを警戒して誰も何も語らず、砂利を踏みしめる音だけがあたりに響く。


 ふと気が付けば、頭上に朽ち掛けた木製の渡し廊下があった。遠方から確認した先駆者達の痕跡だ。それと同時にして俺の風が何者かの接近を教えてくれる。すぐさま仲間にそれを伝えると、正解だとも言いたげに、石柱に楔と共に固定された木切れがカタカタと音を立てて震え始めた。


 次第に木切れだけでなく、岩や砂利、そして地面までもが地震でも起こったかのように震え始める。そしてその振動の正体が、すぐさま俺らの目の前に出現する。俺らが目を向けている前方の谷間の脇道から、まるで暴走列車の如くタニファが突っ込んできたのだ。


 脇道から飛び出たタニファはそのまま石柱にその身を打ち付け、その衝撃の振動が俺らの方へと伝わってくる。岩肌が崩れ、落下してきた岩が水に当たりバシャバシャと音を立てる。かなりの衝撃であったろうに、タニファは怯む事無くその場で方向転換をし、俺らのいる方向へと向き直った。


 そして、肉色の大輪が花開くかのように、タニファはその大きな口を開く。あまりにもその巨大な口に俺らの目の前の谷間の道が、全て肉色一色になってしまう。タニファの開いた口は通路の幅と同等で、脇に逸れてかわすという事は物理的に不可能だ。


汝平和を欲さば、戦への備えをせよシー・ヴィス・ベラム・パラ・ベラム…!!」


 咄嗟にタルテが魔法を行使して石壁を作り出す。石材が周囲に豊富なため重厚で頑丈な石壁だ。しかし、タニファの突進を一瞬押し留めただけで、すぐさまその石壁は打ち砕かれた。


「うっそ…ッ!?怯みもしないの…!」


 下顎がまるでブルドーザーの如く地面の砂利を掘り返しながら、俺らの方へ向けて迫り来る。


「一端引くぞ!!このままじゃ丸のみだ!!」


 俺らは踵を返して谷間の道を戻り始める。背後には岩を崩し土砂を巻き上げるタニファの轟音が迫ってくる。まるで転がってくる大岩から逃げ惑う冒険者のような状況だ。


「そこだ!そのこ脇道に入れ!」


 岩と岩の間に開いた僅かな亀裂。おおよそタニファが入れそうにも無い小さな亀裂に目掛けて、俺らは一斉に飛び込んだ。


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