第291話 奥地の大きなお口

◇奥地の大きなお口◇


「おい、凄ぇぞ…!ユメマダラだ…ッ!この国じゃ南方の一部に夏季の間しか見られない幻の蝶だ…ッ!」


 ヒラリヒラリと舞い遊ぶように姿を見せた幻想蝶。俺はその姿に思わず見惚れ、ナナの袖を引きならがユメマダラの方を指差す。


「なるほどな…。ここは地熱のせいで一定の気温だから…。いやでも餌は足りてるのか?ユメマダラは洞穴生物じゃないし、花の蜜や葉が餌として必要なはずだが…」


「ハルトさん…!あれっ…!あれですよ…!幽霊草が咲いてます…!それに骸草に…、獣飼いの蜜花…!あれがユメマダラのご飯になっているんです…!」


 タルテも興奮しながらバシバシと俺の腕を叩く。幽霊草は白く透けている蝋で作られたような神秘的な花で、光合成を必要としないらしい。骸草は光合成は行うが、動物の死骸に巣食うように茂るため、光の少ない場所でも育つのだとか。…だれか学園で骸草育ててなかったか?


 獣飼いの蜜草は、危険な部類の植物だ。あの花の蜜は摂取した動物の精神に作用し、花の奴隷に変えてしまうのだとか。奴隷となった動物は甲斐甲斐しく花の世話をしはじめるため、このように養分の乏しい土地でも生息できるらしい。幸いにも人には聞き目が悪く、蜜の摂取を控えていれば自然治癒するらしいが、一応栽培禁止の植物に指定されている。


 この地の植生はどうやら、光合成に頼らない植物たちが栄えているらしい。…そのような場所だからこそ、個性に富んだ魅力的な動植物に溢れているということか。


「ナナ、この二人の熱狂している人フリークスをどうにかしてくださいまし。そのうち蝶々に釣られて走り出すんじゃないかしら?」


「まぁ、それには同意するけど…、砂金に熱狂していなければもうちょっと説得力が出たよ」


 メルルが失礼なことを言うが、ユメマダラに関してはそれもありえる行動だ。あの蝶は衰弱と混乱を引き起こす毒燐粉をあたりに撒き散らすため、不用意に燐粉を吸い込めば俺らも夢の住人の仲間入りだ。


 背の高い草木は無いが、先ほどタルテが指摘した植物以外にも、苔や蔦、地衣類の緑色があたりに満ちている。薄暗い穴の深くではあるが、ジメジメとした纏わりつく湿気はなく、どちらかといえば森林限界を超えた高山のような風景だ。


 タルテが前方に向けて光球を漂わせるように飛ばす。青白い星明りのような明かりに照らされて、ユメマダラや幽霊草、その他の様々な生き物が光に照らし出されながらその姿を鮮明に映し出す。そして、その光に露になるのは、そのような小型の生き物だけではない。


「そこまで好戦的なのは居ないけど…、随分密度が多いね…ッ!」


「気をつけろよ。こんな魔物ともつかない小物ばかりじゃ、狩人達がわざわざ遠回りするはずが無い」


 そう言いながら、ナナは飛来してきた洞穴蝙蝠ケイブバットを切り捨てる。彼女の言うとおり、小型の様々な生物が俺たちに驚いて逃げ出していく。


「あら、タルテ。アレは何の植物かしら。随分綺麗ですけれども」


「…いえ、あれは植物ではありません…」


 メルルの指差した方向には、鈴蘭にも似た光る花弁を吊り下げる葉の無い花。タルテが植物ではないと否定したが、もちろん新種の植物なんかではない。その正体は俺らから逃げ出した大型の蛙がその植物らしきもの近づいたことで判明する。


 僅かな瞬きほどの瞬間に地面から牙が出現し、トラバサミのように跳ね上がると蛙をそのまま飲み込むようにして食らいついた。そこから現れたのはアンコウのような姿の醜い魚類のような魔物だ。大きさは大型犬ほど。光る植物らしき物は、ソイツの舌の一部で、ああやって光らすことで獲物を引き寄せるのだ。


行灯泥魚ガナニウスだな。完全なる待ち伏せ型の魔物だから、近付かなければ問題は無い」


 大型の蛙は、すんでのところで丸呑みにさせる事無く飛びのいたが、その足には行灯泥魚ガナニウスの細長い牙が突き立っている。行灯泥魚ガナニウスは胸鰭でハゼのように地面を這いながら、器用に暴れる蛙をその大きな口に飲み込んでいく。


「ふへぇ…。大きな口ですね…」


「あれはまだ小型の部類だぞ。でかい奴だと人間を丸呑みにするぐらい大きい」


 行灯泥魚ガナニウスは周囲の環境に化けるためか、生息域でその姿を大きく変える。岩が多く、平地の少ない逆さ世界樹では、あのくらいのサイズがちょうど良いのだろう。別種と呼べるほどではないが、その形状は逆さ世界樹固有の珍しいものであるため、俺はそのまま行灯泥魚ガナニウスを仕留めてみせる。


「今夜の晩飯に使おう。淡白だが柔らかくて美味いらしい。食う前にスケッチさせてくれ」


「これで小型なんだ。見てよこの口、体の半分ぐらいある…。私の頭ぐらいなら簡単に入っちゃうよ?」


「実際、戦う付近に居られると厄介ですわね。この牙なら私達の体にも刺さりますわ」


 俺が行灯泥魚ガナニウスを掲げて見せれば、その異様な形状を皆が興味深げに観察してみる。コイツは口を開いて見せれば体が全て隠れるほどの大口だ。


 このまま、行灯泥魚ガナニウスの鑑賞会に勤しんでも良いのだが、できれば今晩中に魔物の多いこのルートを抜けて、最初の枝までは近付いておきたい。俺らはそのまま先へと進み始める。


「大口といえば、この前倒したミミズもかなりの大きさの口を広げていましたわね。逆さ世界樹の大穴といい…、もしかしてこの迷宮ダンジョンは大口の魔物が多いのでは?」


「ミミズじゃなくて陸泳ヤツメウナギアースランプレイな」


「ふふ…、ハルトのレポートの題材が決まったね。逆さ世界樹における魔物の口の大きさについての考察」


 …口の形状はその魔物の植生や狩りの手法を如実に表すことが多いから、あながち間違いではないのだろうか?


 そんな馬鹿なことを語りながら歩んでいると、俺の風に不穏な音が飛び込んでいる。俺がハンドサインを出すと、皆は即座に気を引き締め直し、一斉に警戒態勢に入る。


「タルテは念のために石壁の魔法の準備。俺はちょっと高台から観察してみる」


 俺はそう言って、傍らにあった背の高い岩壁に登り、そこから進行方向の先を確認する。逆さ世界樹の壁面が削れ、入り江のように大きく窪地となった地形。そこには今、俺が登っているような背の高い石柱のような岩が森の木々のように乱立している。


 そしてその岩に負けないサイズの何者かがそこで悠々と過ごしているのが、ここからでもはっきりと確認できた。


「…どう?何か見えた?」


「ああ…。大口の話なんかしてたから湧いて出たのかもな。この先はタニファの縄張りだ」


 タニファ。アクアリザードに分類されるそいつは、なんといってもその大口が特徴的で、大きく口を開きながら突進することで、土砂ごと獲物を丸呑みにすると言われている魔物だ。その姿はサンショウウオに似ているが、サイズは段違い。俺ら四人が横一列に並んだところで、そのまま一緒に丸呑みにされるほどだ。


 恐らくはこいつの縄張りに行き当たるから誰しも遠回りして最初の枝に向かっているのだろう。だが、もしアイツを倒すことができれば、しばらくはこちらのルートを俺たちが独占することができるかもしれない。そんな期待を抱きながら、俺は岩を飛び降り、みなのもとへと着地した。


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